大切な人の死といつかが怖いです。
ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。
私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。
祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。
身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。
声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。
今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。
自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。
分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。
時が止まればいいのにととても切実に思います。
そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。
それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。
でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。
でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。
吐き気も涙も止まらないです。
頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。
どうすれば泣かずにすむのでしょうか。
家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。
覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。
すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。
ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。
色んな方のお悩みを拝読致しました。
その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。
失礼いたしました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心を鍛える
拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。
まずあおさんは、とても大切なことを考えているんですよ。
大抵の人は、死について考えても意味がないと思っています。
しかし死を蔑ろにしていると、いざ死が迫ったときに悩んでしまうのです。
若いうちから死を考えるということは、本当に大切なことなんですよ。
しかし死ということを考えてしまうと、恐怖や悲しみに襲われてしまったのだと思います。
しかしこの問題は、時間が止まることでは、解決することができずに、違う苦しみが襲ってきます。
それは、
「何も変化がない日々を永遠に繰り返す」という終わりがない恐怖が襲ってきます。
そしてすべての恐怖の原因は、外界にあると思ってしまうのですが、実は、人の心が影響しています。
例えば、友達からほしいものを貰ったとします。しかし翌月にまた友達から同じものを貰ったらどうでしょうか。恐らく嬉しさは、半減してしまうと思います。
外界では同じ現象が起こっているのに、なぜ喜びが違うのか。それは、「心」を返してみているからなんですよ。
人は、「心」を返すことで、喜んだり、悲しんだりしているのです。
つまり、「死」「死別」という現象を乗り越えるには、心=メンタルを鍛えるしかありません。
ただメンタルを鍛えるには、日々の積み重ねが必要になってきます。
具体的な方法としてまず「今この瞬間を集中して感じる」ということをおこなってもらいます。
イスに座り、呼吸の流れに意識を向けて、5秒程度ゆっくり吐いて、5秒程度ゆっくり吸います。
1分から3分程度、慣れれば5分程度、毎日おこなってください。
そして死や死別の恐怖が頭の中に浮かんだら、呼吸の流れに意識を集中させて、恐怖を受け流します。
最初のうちはうまくできないと思いますが、慣れてくるとパンチを避けるように恐怖のパンチを避けることができますよ。
このようなことをしていると、死の恐怖の見え方が少しずつ変化していき、何かに気づくことで死を少し受け入れることができると思います。
また死後亡くなった人に記憶ありで再会ができる。ということを信じてみるのもいいかもしれませんよ。
騙されたと思って試してみてはどうでしょうか。きっと効果がありますよ。
お悩みごとがありましたら、私でもhasunohaでもご相談お待ちしております。