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仏教での畜生の考え方

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有り難し有り難し 27

今日、我が家の犬が旅立ちました。

ペットは今や【家族の一員】とまで言われています。
そんな大切な家族(所謂、動物=畜生)のお弔いについて、
家族内で意見が分かれてしまいました。

父は『家族であっても、そこは畜生だから、お弔いしなくても良い』
子供は『大切な犬だったけど、人ではないので収骨まではしたくない』
私は『お経をあげてもらって、少しでもあの世で楽になれば』

家族内でも様々なので、仏教でも様々な捉え方があるのではないかと疑問がわきました。

我が家は曹洞宗ですが、祖父母は「もんとさん」(すみません正式名称忘れました。)、本家には「馬頭観音」があったり、
前に飼っていた猫が死んだ時は日蓮さんにお経をあげてもらった記憶があったりと、今まで様々な仏教に触れる機会がありました。

それぞれの宗派の中で【動物】や【畜生】に対してはどのような定義・教え・考え方なのでしょうか。

是非、ご教示いただけますでしょうか。

お忙しいとは思いますが、宜しくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ワンちゃんは仏様のはたらきをあなたに届けます

ご相談拝読しました。まずはワンちゃんのご命終わりに謹んでお悔やみ申し上げます。

さて、お察しの通りペット、つまりは仏教で言う「畜生」の「成仏(輪廻の迷いを解脱して仏様になる)」あるいは「往生(阿弥陀仏の極楽浄土に往き生まれる)」については様々な「見解・解釈」があります。近年は特に浄土宗さんで盛んに研究・議論されているイメージがあります。検索すると色々出てくるでしょう。

しかし、それが「見解・解釈」である限り、この先も一つの明確な「答え」が出るわけではなく人の数だけ違うものが生まれ続けるでしょう。なぜならば誰も確かめることができないからです。

つまり、愛するペットの成仏等についての問題は他でもない一人一人の問題なのです。

そうはいっても埋葬や法要などについては個人ではなく家族の問題となることもあるでしょう。そうした問題は皆で話し合って妥協点を探るほかはありません。

あなたのご家族のそれぞれの言葉からも今どう捉えているかが感じられます。

人と動物は違うか同じか、同じにする必要があるのかないのか、同じにしたら弊害があるのかないのか、何かしてあげないと迷ったり苦しんだりするのか…。

ワンちゃん自身はただ命の終わりという一つの事実を家族に見せてくれたのですが、そのことからご家族がそれぞれああではないかこうではないかと計らっているわけです。

阿弥陀仏という仏様はいつでも・どこでも・だれでも、具体的には「蜎飛蠕動(けんぴねんどう):飛びまわる小虫・うごめくウジ虫」の類までも救いの対象とする仏様です。

その救いに制限はないのですが、ああいうものは救われないとかこういうものは救われないと制限をかけるのはいつも人の思い計らいです。

その思い計らう私をこそ救いたいと願うのが実は阿弥陀仏なのです。私たちはいつでも思い計らいで自ら苦しむのですから、阿弥陀仏の救いの目当てはあなたであり私なのです。

そのことに気がつくならば、ワンちゃんは命の終わりをもってあなたに阿弥陀仏の救いを届け伝えてくれる存在として見出されます。いわば仏様としてはたらいてくださっています。
どうしてそのワンちゃんが死後迷い苦しむことがあるでしょうか。仏様は迷いません。迷っているのは生きている私たち。

そのことをこれからも気づかせ続けて貰う為にもご家族で話し合って供養していきたいものですね。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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畜生されど畜生界。

まず「畜生」とはなんであるか。ですが、仏教では十界という世界観があります。
下から、地獄(界)瞋り(いかり)生きていること自体が苦しい
    餓鬼(界)瞋り(いかり)欲望が満たされない、心も自由にならない
    畜生(界)癡(おろか)理性がない、判断がつかない、本能のまま
    修羅(界)諂曲(てんごく)心が曲がっている、争いを好む
    人間(界)平静(へいじょう)物事の判断が明確にできる
    天上(界)喜び 願望や欲望が満たされている。しかし一時的である
  ここまでを六道といい、
さらに、声聞(界)聞いて物事を理解する
    縁覚(界)縁によって物事を理解する  
    菩薩(界)自らも努力向上し、他人をも救う
    佛(界) 悟り、一切の苦しみ不安はない
 の十種の世界をいいます。
実際に苦しい時は、地獄のようだといいますが、生きている間にすべてを経験できます。又、実際に瞬間瞬間に心はいづれかに動いています。

さて、畜生というのは、動物なのかといいますが、動物の中には盲導犬や、家族の一員となり心を慰めてくれる場合もあります。又、動物以上に残酷な人間もいます。
そして、いずれも一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)とあらゆる生き物には佛と同等であると経典にはあります。
ゆえに畜生界においても同じであり、動物も同じです。

どのように葬るかは自由ですが、家族同様に暮らし愛していたのですから、感謝をして、人間と同様な思いを持って頂ければ、皆さんもいいのではないでしょうか。
ただし、あまりお骨や必要以上には執着しない方が動物にしてみてもいいと思います。
あくまで、思いが大切だということです。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

お忙しい中、ご回答いただき、有難うございます。

経典にある【一切衆生悉有仏性】という考え、
阿弥陀仏様の【蜎飛蠕動】まで救いの対象であるということ、
とても興味深く読ませていただきました。

また、良い意味で深く心に刺さりました。

畜生界があり、また生きている事で十界の全てを経験できる。
それぞれの言葉としては聞いたことがありましたが、
今回正しく理解ができました。
また、生き物は佛と同等であると経典にあるのですね。

改めて質問させていただいて良かったと思いました。

また、阿弥陀仏様は毎日メソメソしている私を見ていてくれているのですね(笑)
そして、「家族の一員」の役割を終えた、私の犬でも救いの対象なのですね。
安心しました。

これを機会に仏様への感謝を忘れないよう生活したいと思います。

有難うございました。

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