自殺してはいけない理由は?
最近ずっと、生きていても何だか毎日つまらなくて、日々が何となく流れていきます。
わたしは自分のことが嫌いです。何でこんな人間なんだろうと思い日々自分に疲れます。
明るい未来も想像できないし、これからやりたいこと、やり残したこともなく別に今命が尽きてもいいと思って過ごしています。
最近はテレビで自死を選んだ人を見ると羨ましく思います。
生きていれば何とかなるとよく言いますが、なんとかなるってなんでしょう?全て終わらせて仕舞えば楽になれるなら終わらせてもいいんじゃないんでしょうか?
不謹慎な質問かとは思いますがよろしくお願いします。
人と比べてしまって自分の価値がわからない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「もったいない」
ぴーこさま
「生きていればなんとかなる」というのは確かに無責任な言い方であり、何とかならない場合も当然にありますから、そこは何とも言えません。
仏教的には、「もったいない」ということは言い得ます。
それぐらい、人として生まれられるのは難しく、有り難いことなのであります。
ましてや、仏様の教えを学び修せられる境涯ともなれば、とてもとても有り難いことなのであります。有り難い×100乗ぐらいであります。人として生まれられても、仏教を学ぶことが難しい方もおりますからね・・
「全て終わらせて仕舞えば楽になれる」・・いやーなかなかそれが難しいのであります。。
終わらないのが迷い苦しみの輪廻(来世、来来世・・)なのであります・・特に悪い煩悩による業の因縁がたくさんあればあるほどに、その輪廻はより悪くなっていってしまうのでもあります。
何とか少しずつでも善いことをしてゆくことで、善い業の因縁によれば、より善い境涯の結果へと輪廻することが可能となって参ります。
今は、人生など、希望もなく、つまらないかもしれませんし、面白くもないかもしれませんが、恣意的なもので、心の捉え方次第では、変えられるものであります。
もちろん、次の輪廻だけではなく、善いことをしていけばいくほどに、今世でも善い結果に恵まれていくこともあります。でもそれは、始めないと始まらないのであります。
まあ、何か一日一善ではないですが、善いことに取り組んでみようと思って頂けましたら。それは何も、仰々しく、ボランティアや寄附やとかではなく、ほんのちょっとしたことで構わないのであります。
例えば、道端に歩いているカタツムリがいたとしましょう。
このままでは、誰かに踏まれてしまう、車に踏まれてしまう、そんなところにいるとします。
ああ、このままではきっと可哀想なことになるな、少し道端の端にのけてあげようとして、枝に乗せて、のけてあげることをするだけでも、一つの命を救った大きな善行になります。
もちろん、席を譲ったりとか、いつも和やかな笑顔で人と接したり、優しい言葉を掛けてあげたりとか、そんな些細なことでも善い行いとなります。
ちょっとずつでも善い行いを積むことをしていって頂けば、誠に有り難いことになり、少しずつ先々をより善いものに変えてゆくこともできるのであります。
川口英俊 合掌