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読経が何故供養になるのか教えてください。

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お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか?
大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。

仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。

法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、
数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。

その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。

自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。

しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。

現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。

とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。

子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。
物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか?

先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。
どうか教えてください。

2020年11月2日 6:19

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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いいご質問ですね~。

実はお釈迦様がご存命の時代にも同じような疑問を持った方がおり、
「お釈迦様、お経をあげると死んだ人が浮かばれると言う人たちがいるのですが、本当の事なのでございましょうか?」と尋ねました。
するとお釈迦さまは静かに足もとの石を拾われ近くの池に放り込み、
「この池の周りで石よ浮かび上がれと言って祈れば、あの石は浮かんでくると思うか。」
「いえいえお釈迦さま、そんなことで石が浮かび上がるはずがありません。」
「その通りだ。石は自らの重さで沈んでいったのだ。どんなに周りで浮かび上がれといっても、浮かび上がることはない。それと同じように死後苦しんでいる人はその人自身が死ぬまでに造った悪業(あくごう)によって決まったものだ。周りでお経を上げたからといって、どうにかなるものではないのだ。」

お釈迦さまはこのように読経は死者のためにならないと教えられているのです。
いきなり身も蓋もないお話を致しましたが、ではお経は何のためにあげるのでしょうか。

まず知っておいていただきたいのは、お経は亡くなられた方の為だけに読んでいるわけではないという点です。もちろん故人やご先祖様への供養の気持ちで行う読経もございますが、本来はお釈迦様が生きている私たちに向けて本当に幸せになれる道をお説きになった尊い教えを、故人様を含めたその場にいるみんなで学ぶ場であるのがお葬式やお法事といった仏事の本来のあり方なのです。

またお釈迦様は死後の事柄についてはお説きになられませんでしたが、「心と業(カルマ)は滅しない」とも説かれました。それを前提に考えれば連綿と続く御先祖様たちの意識の前で仏の智慧が詰まったお経を学んで、今生きている私たちが良い人生を送ることができればご先祖様たちも喜ばれ、それが一番の供養になるのではないでしょうか。

2020年11月2日 17:50
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一般家庭からお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普通に働い...

故人が喜びそうな善行

昨日の大河ドラマで、織田信長が御所(天皇のお住まい)の塀を修復した話がありました。信長の父が生前に修復していた塀が再び破壊されていて、それを信長が修復したわけですが、ドラマでは信長が修復を「父上への供養」と言っていました。
亡くなった人が喜びそうなことや、やりたかったであろう良い行いを、遺族等が代わりにやる場合に、なんとなく「供養」になりそうな気がしますよね。
読経も、故人が喜びそうな善行の一つだと思います。その他に、故人が信仰していたお寺や僧侶にお布施(寄付)することも、供養になりそうな気がしますよね。
ですから、法要に僧侶を招いて僧侶におもてなしすることも、故人への慰めになりそうです。
また、仏教には、善行為の功徳を他者に回向(えこう)することができるという考えもあります。
読経や布施などの功徳を、死者が生まれかわった新しい生き物のために回し向けるのです。
亡くなった祖父母は、今はどこかでベビーカーに乗っている赤ちゃんに生まれかわっているかもしれない。
その、どこかにいる生まれかわりの幸せを願って、その人に代わって私が読経などを行うのです。
私は、宇宙に善行為が増えれば、宇宙に暮らす他者にもメリットがあると思います。
お経の功徳が世界に広まりますように。

2020年11月2日 12:45
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

形骸化から再編なるか?

供養の本来の意味は、宗教者など目上の人のお世話をすることです。故人には直接お世話をすることができないので、宗教者に最初は食事などの、後に品物やお金などのお布施をしてお世話し、その善行為の功徳を故人に廻向していました。その仕組みは藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)をご覧ください。
 お世話の供養だけでは目に見えにくいのか、釈尊は、お布施した人に説法したりその善行為を称えてあげたりしなさい、と、決めました。現在でも、東南アジアのテーラワーダでは、布施の後で説法をします。
 中国、朝鮮、日本では、最初は国家仏教で、僧侶が、国家のために、供養していました。為政者が僧侶に依頼するのです。やり方は、セレモニーだし、経典自体がインド、中国から将来された有難いものだから、それを読誦していました。
 日本では鎌倉時代あたりから、民衆に入る僧侶が出ました。読経よりも、説法と民衆からの布施の、本来に近い関係です。
 しかし、江戸時代に幕府の要請で全国に増えた僧侶は、また、形どおりになりました。僧侶がみんな説法できるほど学んだりしていないので、形式がある方が、僧侶は楽なのです。
 今、それに意味があるの?と問われる時代になりました。
 私は、読経は、心を静める修行と言っています。内容よりも、セレモニーの意味を拡大解釈しています。(内容は勉強会でやってます。)そして、布施も善行為で。読経の後に必ず説法します。

2020年11月2日 8:08
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

よっしーさん、こんにちは!

>客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。

子どもに絵本を読み聞かせるのは、とても善いことですよ。よっしーさんが思っている以上に、子どもは絵本からたくさんのことを学んでいます。なので、それが譬えになるんだとしたら、やっぱり読経はいいことだってことになっちゃいますねぇ…。

大栗道栄の『ポケット法華経』とかいいですよ。僕の友達は感動して泣いてました。

喩えていうことのできることは、善いことだってブッダも言ってます。

教えはすべて喩えです。喩えではない教え(仏法)はないと言ってもいいです。

仏の教えに出会えるのは、とても稀有なことです。

先祖様も、いまごろ道に迷われてるかもしれませんから、仏法に出会って、迷いを離れ、罪と後悔を乗り越え、智慧を起こし、道を歩むことができるといいですよね。

よっしーさまも、よく励み、立派に生きていれば、その生き様(物語)をみた人に、たいへんな利益をもたらすことがあるかもしれませんよ。まさに歩くお経。

ウイスキー飲みすぎて眠いので寝ます。おやすみ。

2020年11月2日 22:52
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菩薩になりたいです。 仏教は、ほんとうにすばらしい教えだと思います。...

仏教の智慧のお力を賜ることによって

よっしーさま

下記のご質問の拙回答において、般若心経の読経の功徳について触れさせて頂いております。

https://hasunoha.jp/questions/47880

【・・般若心経は、仏教における智慧の重要な思想となる「空」を説くお経となっております。シャーンタラクシタ大師の「中観荘厳論」の最後においては、『この「空性」の智慧を心に生起できれば、自ずと衆生を利益(りやく)すること(衆生の役に立つこと)ができる』と述べられておられるほどに「空」の理解を深めれば深める程に、それだけでも衆生を利益する功徳になるということであります。そして、その功徳は、つまり、自分やご先祖さま、あるいは全ての衆生たちの悟りの糧にしていくことができるということでもあります。ですので、「空」の智慧の要諦が説かれてある般若心経を読誦するだけでも、もちろんご先祖様への功徳となり・・】

お経を読むということは、仏教の智慧のお力を賜ることができるため、その智慧の力によって、行いをより善くすることに資するところとなり、それが結果的には功徳を積むことに繋がるというものになるからであります。

そして、これまでに積みたる功徳、これから積む功徳等を、皆の悟りへと向けて、必ず回向を行うことが供養として大切となります。

お経やお題目、お念仏、ご真言等も様々に仏様のお加持のお力を頂戴しているため、そのお加持のお力により智慧を賜ることができるとも言い得ます。

最初はただ読むだけでも、それはそれだけでも微々たるかもしれませんが、一つのご仏縁となり、やがてはただ読むだけに留まらなくなってゆく、更に仏縁に繋がってゆくものであるとお考えを頂いても。

もちろん、今生ではなく、それが来世、来来世に繋がって花開くことになるかもしれません。

いずれにしても、少しずつでも構いませんので仏縁を紡いでゆきたいものであります。その一つが読経であるのであります。

川口英俊 合掌

2020年11月3日 16:37
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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

「お経・経典」問答一覧

お経について(大きな勘違い)

またよろしくお願い致します。 私は今まで、告別式等で、御坊様があげる「お経」とは 亡くなった人が迷うことなく浄土に辿り着くようにと、 お祈りをしている感じに捉えていました。 しかし、本日、NHKのテレビを見ていたら、 「お経」とは亡くなった人のためではなく、 残された人のために、あげていると聞いて びっくりしました。 これは本当でしょうか? 私は既に終活を始めていますが、 後継者等がいない夫婦なため、最終的に一人になって 自分にとって残された人という存在が無い場合は、 「お経」は必要無いということでしょうか? もう一つ、疑問があります。 よく「亡くなった人の魂を慰める」という言い方を聞きますが、 亡くなった人の魂は、今、生きている人が慰めてあげなくては いけないほど、悲しんでいるということでしょうか? この「慰める」という言い方が気になります。 以前、テレビで見たのですが 夫が病気で激しく苦しみながら息を引きとった時、 奥様が泣きながら「あなた、やっと楽になれて良かったね」と 声をかけたそうです。この気持ち、よく分かります。 たとえ病気で亡くなった人も、痛み・苦しみを持った肉体から 解放され、浄土で安らかにニコニコしていてほしいです。 だから「慰める」という言い方は、浄土でも苦しんでいるみたいで、 違和感があります。

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経典に記載された悪趣を回避する具体的方法

前回質問への回答追加で、新規で問答立てを、、とのことでしたので質問送らせて頂きます。(別のお坊様がたも、ご意見やコメントなどありましたら、是非お待ちしております) 経典に書かれているからという根拠で、 「確かなる仏縁や功徳が、過去世、現世のどこかにおいてあったのであれば、その後の輪廻転生の中において、多少の紆余曲折があっても、必ずやその仏縁、功徳による果報により、仏の道を外れずに、善き流れを進められる場合があり得る」ということを信じておられるならば、 同じように、経典に書かれているという理由で、世尊が説示なさったという、その具体的方法も信じて実行なさったら良いのでは?と思ってしまいました。 私はその一切悪趣清浄タントラという経典を読んだことがないので、その具体的方法というのが、どんな内容なのか、実行可能か不可能かも分かりませんが、 たとえば他にも、経典に載っていて実行可能なものでいうと、十一面観音や文殊菩薩など、ご真言を○遍唱えれば悪趣へは行かない、などとされる存在があったり、陀羅尼でも、悪趣を回避できる陀羅尼が載っていたりしますよね。 地獄に落ちてでも他を救ったり慈悲や布施で功徳を積めるかも!というお考えには反対しませんし、凄いなぁ、どうかご武運を・・・!という気持ちで拝見しておりますが。 単純に、回避方法もご存知ならば、回避なさったら良いのでは?と思ってしまいました。  経典Aに載ってある内容aを信じるならば、同じ経典A内の内容bも信じるのが筋通っているのでは?と。

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