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不審と信心と往生について

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1年前にも同じような質問をしたのですが
41願のことを「信心を得たものは諸根が具足する」と書いてある本があって(蜂屋賢喜代という方の四十八願講話という本です)、それなら
身体が具足することが信心を得た証拠になるじゃないか、おかしいじゃないかと思っていろいろな善知識の方に相談しました。
すると先生のように、身体は関係ない、と様々な方からいろいろな理由で言われました。香月院深励師の本には『初住以上の菩薩』と書かれてありました。
そこで素直に「そうだな、合理的に考えて41願以降の願が念仏者に向けられているとは考えられないし、41願のことは考えなくていい」と思えればよかったのですが、なぜか「41願によって信心を得たものは諸根が具足する」という思いが1年ほど強迫観念のように頭にありました。
今も、前ほどではありませんが、1日に何度も「41」という数字が頭に浮かびます。これは疑いなのでしょうか?
この不審があっても、往生の障りにはならないのでしょうか。念仏や生起本末には疑いがないのですが、この不審が頭に浮かぶたびに
「こんな心じゃ往生できない」と思ってしまいます。
けれど今はもう不審の「内容」は嘘だと分かっていて、41願の内容は念仏者ではない菩薩のことだと思っています。
この心は蓮如上人の言葉で言うと、自力の心を振り捨てて、の自力の心なのか、妄念妄執がおこるのもとどめるにあらず、の妄念妄執の心なのか、専門的に言えばどちらなのでしょうか

長文失礼しました。変な質問ですみません。ご返事いただければ幸いです。

2020年11月16日 9:36

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

第四十一願

のちさま

第四十一願に拘わらず、仏教を学び修せられる境涯としての「有暇具足」を得られたことが必ずしも念仏者における「信心」の決定、証左として成立するわけではなく、「有暇具足」を得られたのは、他の過去世における善業や仏縁の要因である場合も多々にて、凡夫、念仏者、菩薩に拘わらず「有暇具足=信心決定」というわけではないことにはまず注意が必要になります。

次に、第四十一願は確かに他国土の菩薩たちへと向けられたものであるため、その菩薩が五十二位の階梯におけるどの段階の菩薩からとなるのかについては、色々と議論はあるかとは思われますが、凡夫、念仏者へ向けられてのものではないのは、おっしゃられている通りであるのではないだろうかと存じます。

そして、「四十一」(願)に対して、特に気になられておられるのは、それだけ気になるだけの機縁(特に有暇具足を得ることに向けての)があるからであるかもしれません。

いずれにしても、往生へ向けての願は、凡夫、念仏者、菩薩であろうが、阿弥陀如来さま(法蔵菩薩さまの時代における願と共に)の慈悲の御心による救いのはたらきかけであり、それはどのような道にあるものでも、やがては仏の救いの道へと誘わんという強い願いの思いでもあります。

それはつまり、しっかりと六波羅蜜等の菩薩の行いに精進していく者にも、そのはたらきかけをなさられておられるということでありますので、不審や疑いの思いも、そこをご理解頂ければ少しは晴れるのではないだろうかと存じます。

もしくは、六波羅蜜の実践に励む先にも、往生への扉はいつでも開かれているということで、(のちさまも含めて)六波羅蜜の菩薩の修行の実践を妨げるものでもないかとも存じます。

もちろん、(現在時点における)浄土真宗さんの教義的には六波羅蜜の多くのことは自力と解釈されることになり否定されることになるかとは思われますが、、

いずれにしても、仏教の目的は悟りとなります、往生もそのための手段の一つ。極楽に赴いても、その先にて智慧と福徳の二資糧の集積は悟りのためには欠かせないものであることには変わりはありません。そのため、娑婆でも二資糧を積むことができるのであれば、できるだけ積んでおくに越したことはないというのが拙見解でもあります。

川口英俊 合掌

2020年11月16日 11:36
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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

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