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修行について

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

お坊様方は毎日修行に励んでおられると思います。
そして日々成長もされておられると思います。
修行を通して得た学びや、成長したと体感できた
ことを教えて頂けないでしょうか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お念仏の生活

こんにちは。

「在家修行者」さんは、どのような宗派の立場でしょうか。
まず、ご自身の現在進行形の「修行について」を明らかにして頂いた方が、回答する側も的を得た回答になりやすいかと思います。

「毎日修行に励んで」「日々成長」ということを想定して書いているようですが、どのような「行」を「修」めるか、宗派によって違うことはご存知かと思います。

私の浄土真宗では、お念仏を称(とな)えるという「行」があります。ただ、それは自らが「励んで」「日々成長」するためのものではありません。あくまで、阿弥陀如来様の救いの心を聞き受け信ずる所から湧き出る感謝です。そこには、自分が「成長」するという要素はありません。仏様が私を支えてくている、という安心であったり感慨を深める、という意味での「体感」はあると思います。

これは、浄土真宗が自分を高めることで仏様に成るという方向性の仏教ではないためです。

成仏道において(一般社会的な努力とは違う)、自分で自分を高めて功徳の蓄積をするよりも、むしろ逆方向に悪業の蓄積をするのが人間(衆生)であると考えます。このために、阿弥陀如来様によって完成された功徳円満の「行」、南無阿彌陀佛によってのみ往生成仏が可能と考えます。

以上のような背景で、私はお念仏を称えることを通して、救われようのない自分と救われる自分という感慨と感謝をもって日暮らしをしています。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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愚鈍なる凡夫の自覚

在家修行者さま

得た学び、成長した体感・・へっぽこの愚鈍なる凡夫の自覚ということになりますでしょうか・・

一応僧侶と言われても、ほんの微々たる仏様のことの真似事をしているに過ぎないもの・・一凡夫が今世における数年の修行程度で大して変わるものでもなく・・

ただ、色々な不純物が混ざった金鉱石を純金へと近づけていくのと同じで、日々少しずつでも心(業)を仏教の修習により清らかにしていかなければなりません。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

お返事を頂きありがとうございます。
家は曹洞宗となりますが、私自身に宗派はありません。

尊敬しているお寺はタイのスカトー寺というところです。
ここのお寺では気づきの重要を説いておられます。
私の修行法は気づきの訓練で、今は1日中自分に気づいて
いることが目標となります。
気づきにより、以前より苦しみや迷いが少なくなりましたので、
この方法が私には合っていると思っています。

日本にはたくさんの宗派があり、それぞれ違う方法で修行されて
いるのは想像できましたが、よく分かっていません。
実際に修行をされているお坊様方の学びを知りたいと
思いましたで、投稿させて頂きました。
たくさんの宗派の方々の話を聞けたら嬉しいと思います。

ここの掲示板では心の悩みでたくさんの方が、
相談されていますね。
それを助けてあげようと思われるお坊様方に
ご尊敬とご活躍をお祈り申し上げます。

また、お時間がありましたらお話を頂けたら嬉しく思います。

「仏教における修行」問答一覧

達磨大師は架空の人物ですか?

彼は「仏教をよく知らない中国人によって架空に作られた存在」または「達磨さん自体は実在したが、仏教をよく知らない中国人が適当なストーリーを考えただけ」と言われることがあって、「そうかもしれない」と思いました ・ なぜなら彼は悟りを開いたはずなのに、教えを請う凡夫に対して無視のいじめを行ったり、「これは試されているんだ」とポジティブに考えて耐え忍んだ凡夫に「仏教はそんなに簡単に教えてもらえるものじゃない、命をかけろ」と言って凡夫に腕を切り落とさせたりしました ・ とても悟りを開いた人の行為とは思えません。「自分はお前より偉いぞ、そう安安とは教えられない仏教を熟知しているぞ、自分をタダで師事できると思うな」なんていう態度は、「菩薩道」の精神から大きく逸脱していないでしょうか。知識の独占という時点で「利他」じゃなく「利己」だし、傲慢な振る舞いは「慈悲」じゃなくて「暴慢」です ・ それならむしろ、偉いお坊さんにいじめられてもくじけず「自分は試されているんだ」とポジティブに考えた凡夫こそまさしく仏に相応しいのではないかというトリックにさえなってしまっています ・ 彼がもし実在してストーリーも本当なら、彼のスタンスは間違いなく仏の教えを利他や慈悲などで解釈しないただの「知恵」でしかないとする(つまり悟りとは賢いかどうかだけで優しさなど必要ない)「小乗仏教」と批判される類のものだったことが伺えます。やはり、彼は架空のお話で色を付けられた、本来ならば謎多き存在でしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ