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修行とは?

回答数回答 2
有り難し有り難し 31

人生そのまま、そのものが、修行だと思っています。出家の道を辞め、還俗してもやはり、生きることは修行だと思います。
現在私は自営業ですが、金儲け主義の商売はしません。世の為の事業をしています。顧客の立場に立った仕事をしています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きることそのものが修行です。

ご質問というよりも、
ご意見頂戴したく、
ですかね?

愚僧は6歳から
神仏習合修験の真似事を
して過ごし、
自身の未熟さ、
中途半端さが、
原因なのですが、
生業もあり感得するもなく、
今世の正覚は、
とてもとても困難と自覚し、
他力の教えに、
転派いたしました。
そこはまた自身の
中途半端なところで、
自力の道も捨てられずに、
求道してみたりと、
日々自問自答しております。

還俗されて自営業を
営んでいらっしゃるとのこと、
愚僧は住職をしながら、
会社を経営しております。
コロナ禍で四苦八苦では、
ございますが、
何とかやり繰りしています。

どちらも、
御縁のある方々に、
愚僧として精一杯、
関わらせていただく。
御縁に感謝し、
御縁を大切にして、
参りたいと思っています。

僧籍があるかどうか、
社会で成功しているか
どうかというのは、
この娑婆世界での、
現象に過ぎないと、
思います。

遷化した時に、
仏さまから、
汝は娑婆世界での生活を
楽しく生きたか?
と聞かれるように思います。
世のため、
人のために、
などと大したことができる、
ものでは愚僧はありませんから。

仏さまに、
お陰様で楽しく過ごさせて、
いただきました。
ありがとうございました。

と感謝できるように、
行きたいと思っています。

 無道人之短 無説己之長  
 人の短を言う事なかれ、
おのれの長を説くことなかれ
 
己を戒めて、
生かしていただくばかりです。

御活躍を祈念しております。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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真理に気付くために

仏教の修行は闇雲に苦労すれば良いものではないと思います。
悟るために、真理に気付くために行うものです。
これは戒(道徳的な生活習慣)・定(精神集中)・慧(現象を観察して真理に気付く智慧)の三つが基本です。
また、浄土宗では来世で悟りやすい環境に生まれられるように、極楽浄土に往生できるように生きることが修行です。
この場合は南無阿弥陀仏と念仏をすることが中心です。
いずれにせよ、仏教は悩み苦しみの原因である煩悩を消すためには真理を悟る必要があると説きますね。
また、悟らなくても煩悩をある程度制御できる、つまり悟っていない人でも悩み苦しみを制御できるテクニックも仏教にはあります。
煩悩を消すこと(悟り)を目指しつつ、当面は上手く煩悩を制御して快適に暮らす。
これが仏教徒の生き方ではないでしょうか。
例えば、怒りの煩悩を無くす理想を掲げつつ、まずは怒っても怒りを長引かせないテクニックから習得する。
南無阿弥陀仏と念仏するだけで怒りが冷めたりしますからね。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

理想に近づくために精進するんですよね。煩悩は、悟りへの機縁として受け止めるべきありがたいものなのかもしれません。南無阿彌陀佛🙏

花山さまありがとうございます🙏
私は家系は浄土真宗です。浄土教がやはり向いているんでしょうか?

「仏教における修行」問答一覧

達磨大師は架空の人物ですか?

彼は「仏教をよく知らない中国人によって架空に作られた存在」または「達磨さん自体は実在したが、仏教をよく知らない中国人が適当なストーリーを考えただけ」と言われることがあって、「そうかもしれない」と思いました ・ なぜなら彼は悟りを開いたはずなのに、教えを請う凡夫に対して無視のいじめを行ったり、「これは試されているんだ」とポジティブに考えて耐え忍んだ凡夫に「仏教はそんなに簡単に教えてもらえるものじゃない、命をかけろ」と言って凡夫に腕を切り落とさせたりしました ・ とても悟りを開いた人の行為とは思えません。「自分はお前より偉いぞ、そう安安とは教えられない仏教を熟知しているぞ、自分をタダで師事できると思うな」なんていう態度は、「菩薩道」の精神から大きく逸脱していないでしょうか。知識の独占という時点で「利他」じゃなく「利己」だし、傲慢な振る舞いは「慈悲」じゃなくて「暴慢」です ・ それならむしろ、偉いお坊さんにいじめられてもくじけず「自分は試されているんだ」とポジティブに考えた凡夫こそまさしく仏に相応しいのではないかというトリックにさえなってしまっています ・ 彼がもし実在してストーリーも本当なら、彼のスタンスは間違いなく仏の教えを利他や慈悲などで解釈しないただの「知恵」でしかないとする(つまり悟りとは賢いかどうかだけで優しさなど必要ない)「小乗仏教」と批判される類のものだったことが伺えます。やはり、彼は架空のお話で色を付けられた、本来ならば謎多き存在でしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ