両親との同居がつらいです
このサイトを目にしたのもご縁かと思い、ご相談させていただくことにしました。よろしくお願いいたします。
50代のバツイチ女性です。離婚で分与されたお金で小さな中古マンションを買い実の両親(ともに80代)と同居していますが、同居し始めて約8か月ですでに心が疲れています。父は認知症の初期ですが昔からひねくれた人で、私は父がずっと嫌いでした。男尊女卑で他県に住む弟を「跡取り」としてそれはそれは尊重しています。母も否定的な物言いが多く過干渉です。弟は両親に電話をしたり両親をたまに連れ出しますが(私がそのくらいしなさいと弟に言ったからです)、ほぼ両親のことは私に丸投げ状態です。
親御さんを見送った友人たちからは「親と暮らせるのは貴重だ」と言われ、私もできるだけ前向きにとらえたいとは思うのですが、跡取りと特別扱いされる弟がほとんど何もしない中、パート勤めの自分が自身の老後さえ暗い見通しなのに、なぜ少ない財産を使って両親に住まいを提供し同居しているのだろうかと気が滅入ります。両親は弟には気を遣うのに私には気兼ねをなくてよいし、弟も自分の妻に面倒をかけたくはないのでしょうが、私だけが皆に便利に使われているようです。
今はパートで出かける時間を作ったりしてできるだけ両親と距離を置くようにはしていますが、この先自分はいろいろなことをあきらめて親を見送るまでは心が晴れないのかと気が重いです。ある時点で弟に「あとはよろしく」と立場を代わってもらいたいと思うのはわがままでしょうか。長寿というのは必ずしも幸せとは言えない、自分はあまり長生きしたくない、とまで思ってしまう自分がとても嫌です。これからの人生をもう少し明るい気持ちで生きていけるようなお言葉をいただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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抱え込みは不健康
ご質問拝見しました。
お立場お察しします。
『ありがとう、いつもすまないね。
はるまき様みたいな娘をもっと私は幸せだ』
『おねえさん、いつもすいません、ありがとう』
こんな労りやねぎらい、感謝がはるまき様に注がれたなら、人生の景色が変わるのに、、、『認知症』という病気やお釈迦様以来の四苦のひとつである『老い』が家族の関係を邪魔をする話はよく聞きます。
私が気になったのは、ご質問中の『ある時点』で『弟』にあとはよろしくという表現です。
これ、ある時点までは、はるまき様が今と変わらず介護抱え込んだ状態が続けることを意味します。
今でも、許容範囲の限度を超えた負担ではないか、私は心配です。
『あるとき』ではなく、今から少しずつ負担割合の変化をしていった方がいいです。
『親』に困ってるのではなく、『老いや認知症』に困っていることを理解してください。
親への最終責任は跡取りの弟さんが負うべきです。
責任ある人からの依頼という形で、役割分担という仕組みがないと、丸投げ丸抱えや押し付け合いが変わらず健全さが遠ざかります。
ご両親自身には、娘に甘えるときと、長男の奥さまにみてもらうときのギャップを減らす努力を伝えてもいいと思います。
(実際にできるかどうかは別として、親の欲を満たすことが介護のルールとは私は思っていません)
また『老いや認知症』の介護負担軽減は、『弟』に求めるより『ケアマネや専門職』に話を聞いてもらったり、ここ『ハスノハ』でモヤモヤを吐き出すなどストレスケアに時間を投資した方が健康的だと思います。
風邪や怪我のときは過ごし方を変えるように、家族が健康を保つには今までとの変化をご両親自身に受け入れてもらう必要があります。
介護する側がいいなりになる関係とは違うことも含めて、福祉専門職を通じてご両親に話をしてもらえるといいです。
(家族がこの話を切り出すと.責めたりモメるリスクが高いので)
私もwith介護で3年くらい過ぎました。
いろいろ語ると尽きないですが、字数のこともあるのでこれくらいで失礼させてください。
長文すいませんでした。
介護の正解は家庭の数だけ存在します。
参考になれば活用ください。
質問者からのお礼
お忙しい中、私の悩みに目を留めていただき、またお心のこもったご回答をいただき、本当にありがとうございました。お言葉ひとつひとつが心に沁みています。これからは少しずつでも視点を変えつつ、自分の生き方も大切にできるように日々を過ごしたいと思います。泰庵さまもご自愛の上お過ごしくださいませ。ありがとうございました。