お坊さんを怒らせてしまった
お坊さんを怒らせてしまいました。
とある悩みについてお坊さんにメールしました。
悩みやすい性格であるため、何度もメールをしては、アドバイスをしてくれていた方でした。
その方から先日、アドバイスとともに、「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」とメールがあったので、
私は「こちらこそ、これからも友達でお願いします」「いつもありがとうございます」と打ちました。
そしてしばらくして、新たな悩みについて相談したところ、
「なぜ1円も納めようとしないのか」というメールの返信が来ました。
「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」の後者を選んだ理由は、
納め方がよくわからなかったからなのですが、これについてかなり怒っており、見た瞬間震えてきてしまい、メールを削除し、
今現在学業で忙しいから今度でよろしいでしょうか、と返信しました。
すると、この期に及んで言い訳するのか、とメールが来ました。
その前は、あなたの悩みやすいその性格が全ての原因だ、的なことも書いてありました。
それから返信はしていません。
ただ、信頼していた方だけにショックですし、納めることが義務だとは思いませんでした。
若干トラウマになりそうです。
この体験とどのように向き合えばよいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お世話になったのなら、喜捨する
こんにちは。
「この体験とどのように向き合えばよいでしょうか」と、書いています。
「この体験」と、過去のことにしてしまう前に、為すべきことを為しましょう。
「1円」でもいいといわれるのだから、その額と振込み手数料併せて納めるべきです。
なるほど、「納めること」は「義務」ではありません。
しかし、あなたが「義務」を持ち出すのなら、あなたの「何度もメールをして」くる相談をそのお坊さんは聞く「義務」もありません。ご本人が「義務」だと感じない限り。勿論、法律にもそんな「義務」はないのですから。
「信頼していた方」だからこそ、「何度もメールをして」相談してお世話になっただからこそ自分にはすべきことがあると思いませんか。
そのお坊さんは、お坊さんとして役割を果たすべくあなたに接した。
あなたはその役割を掲げる人に相談したのだから、自分の相応の役割を果たすべきではないですか。
お世話になったのなら、喜捨する。
「1円」を。
なんの不思議もありません。
うーん・・・ご相談を読む限りではお互いの文章の解釈にズレがあるようですね。
私個人の解釈だと「一円でもいいから納めるか、それか今後も友達で居続けるか」という二択だと感じましたので、後者を選んだりんなさんの判断が特段おかしいとは思いません。「それか」と言っているのですから英語だと「or」ですもんね。
然しながら僧侶側の返答を見るとお友達で居続けること+お布施も納めるようにと両方求めているように思います。
ただ何度も相談したりお世話になっているのであれば、手段は色々とあるはずなので、今できる範囲での御礼は道義や礼儀としてしておくべきだったかなとは思いました。学生さんならお賽銭程度のお礼でも普通は怒りはしません。
今後社会に出ればモノやサービス以外の形に残るもの以外でも人様にお世話になることがあると思います。
そうした時に義理を欠かさないことはこうした後々のトラブルを回避したり人間関係を構築する上で非常に重要です。今回の件はその予習になったと思いましょう。
対価
生命同士の交流についてスマナサーラ長老が「give and take(取る)ではちょっとキツイ。give and given(与えられる)くらいだとうまくいきやすい」というニュアンスのことをおっしゃっていました。
商品には価格があるのでgive and givenが釣り合うところが分かりやすいのですが、人間同士の交流で「やってもらう、やってあげる」の関係は、はっきりしていません。やってあげる側とやってもらう側の満足度が同じなら、釣り合うのでしょうけど。
一方的にどちらかが「やってもらうだけ」他方が「やってあげるだけ」では、なかなか釣り合わないでしょう。ペットを猫かわいがりしてやってあげるだけに見えるのは、可愛らしさを飼い主がもらっているからできることです。心の交流があれば、老いても病んでも死ぬまで、あるいはそれ以後も世話するでしょうけど、対価がかわいらしさだけだったら、かわいくなくなった病気や老いたペットは、生きているうちから捨てられてしまうでしょう。
もっともレベルが高いところでは、悟ったら、対価を考えずにただやってあげるだけの生き方になります。その代わり、相手の成長(マイナスが減るだけでも)が見込めないと、時間の無駄になるので関係をなくすかもしれません。釈尊は誰のためにも無償で動いていましたが、見込みなしの人を、ただ、無視していました。
卑近な例では、男女の関係でしょう。お互いが上げたりもらったりでないと長続きしないでしょう。
布施は、双方向の布施です。葬儀や法事にお寺をお願いしてお布施するのは、商取引のような対価ではありません。寺にお布施する功徳を、故人や自分自身のためにもらっているのです。だから葬儀や法事を頼まなくて、ただお布施する場合があります。金銭のお布施をもらわなくても、相談など、僧侶がただやってあげる場合があります。どちらも布施(あるいは法施[仏法のお布施])なのです。
相談は相談で、ただ、相談して回答を得て良いでしょう。布施は布施で、ただ布施して受け取って良いでしょう。バランスが崩れると、うまくいかなくなります。今、相手の方はそれを指摘しているように見え、貴方はそれに気づいていないように見えます。相手から何かを求めることは僧侶からは言いにくいので、布施の仕方が分からなければ「どうすればよいでしょうか」と問えば良いと思います。
社会人として
お尋ねの件ですが、お坊さんにも色々な方がおられますので、一概には言えませんが、例えば、housunohaでお答えしている時は、お坊さんもボランティアとして行っていますので、お礼は頂いていません。その代わり時間の空いている時しかできません。
個別のリモート相談に関しては、事務局が仲介してくださるので、すべて事務局任せです。
今回、りんなさんの場合は、特定のお坊さんに相談されていたと思います。
回数は分かりませんが、メールの相談に対しての時間と労力を費やしたことは間違いありませんので、そのことに対する、気持ちとしてのことだと思います。
りんなさんはどのような考えておられるのか分かりませんが、お坊さんもこの世に生きています。
お寺があれば、お寺の維持をしていかねばなりません。又、家族があれば養う義務もあります。
弁護士や、医師に相談されても一定の費用が請求されます。
同じように、お考えになられることで、社会人、大人としての常識を育むことにもなるでしょう。
今回の、お坊さんの言われた「一円でも・・・」とはそのことだと思います。
決してお金が欲しいから言っているのはないと思います。そうであれば最初から金額を提示されるでしょう。
りんなさんは、自分の問題解決のために、他人の時間を束縛していることになり、
それに対してのお礼なり気持ちがないと見えない借金となります。
そのお坊さんの言われたことは、りんなさんに見えない借金を作らないでという意味もあると思います。
私自身も、このようなご相談はありますが、供養なり、ご祈祷を行う時は金銭の必要を言いますが、
そうでない時は要求はしません。でも、あまりにも理不尽な時は相談を打ち切ります。
今もこうして返信させて頂いていますが、もちろん金銭は必要ありません。
少しでも人のために、求めている方に奉仕するのも役目だと思います。
お答えになっているのか分かりませんが、そのように思います。
学生さんの立場であれば、金銭をと言われても出来ないでしょうし、又、要求もしません。
いずれ、社会人となり自分で給金を頂けるようになった立場で、再度考えてみてはどうでしょうか。
私は、子供たちや学生さんがお寺に来た時は、少々くらいのことは大目にみて言います。
「壊した分は、出世払いね!」と。
謎ですね
うーん。。。
お坊さんも色んな考えの人がいます。
その方の真意は解りませんが、相談料を請求されたのか……相談を受けて代金を頂くか否かも、それぞれの考え次第ですからね。
お布施をしろ!というならば、それは間違っていますね、と言えるのですが。
初めに聞いておいたら良かったかもしれませんね。相談料はかかりますか?と。
ちなみに。私の本音としては、相談を受けて一緒に悩み生きることが坊さんの本分では?と少しクエスチョンがついてしまいます。
いずれにしろ、ケジメをつけられるならば、一円お支払いして、嫌なことは早く忘れることです。引きずっている時間が勿体ないですよ。
質問者からのお礼
渡部さま
お答えいただきありがとうございます。
何度も相談したりお世話になっているので、今できる範囲での御礼は言葉と、お賽銭程度のお礼であると気づきました。
今回の件はとても勉強になりました。
お答えいただき本当にありがとうございました。
釋様
お答えいただきありがとうございました。
自分がすべきことをいま一度考えたいと思います。
今回の件は勉強になりました。
お忙しい中、お答えいただき、本当にありがとうございました。
藤本様
お答えいただきありがとうございます。
相手の方の指摘で私は今まで気づかなかったことに気づくことができ、20過ぎて情けないと自分を責めるばかりです。この経験で学んだことをこれからも糧に頑張って生きていきます。
本当にありがとうございました。
日延様
お答えいただきありがとうございます。
ケジメをつけるために一円お支払いします。そして、この経験で得たこと:学んだことを忘れず、これからも色々なことを頑張っていきます。
お答えいただき本当にありがとうございました。
鈴木様
お答えいただきありがとうございました。
メールでも対応してくださり、感謝しております。
本当にありがとうございました。
この経験で学んだことを忘れずに、社会人としてこれからも頑張りたいと思います。