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有り難し有り難し 12

禅の学校を卒業時に、色紙に関と書いて頂きました。
説明文には、

禅の修行のうちでも最後で最大の難関とされる。
関は何物も寄せ付けず、絶言絶慮、十方を坐断し
修行者の全てを奪い尽くす。
生滅・賓主を絶しきった純粋で自由闊達な境涯至らねば
これを透過することは出来ない。

とありましたが、どのような意味ですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ちょっと意地悪な回答で申し訳ないけど

 あー!良い言葉ですねぇ。

 禅の学校を卒業したから、これで禅は修了したんだ、などとおごらず、常に参究せよ、という激励の言葉、人生の宿題なんだと思い、そのいただいた言葉を忘れず、なんだかわからないままでもいいから常に胸に置きつづけましょう。

 わたしも、このhasunohaとすずらんさんをご縁に頂いたこの言葉を大切にして宝物にさせていただきます。
 ありがとうございました。

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・曹洞宗/静岡県/50代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、...

「仏教における修行」問答一覧

人間はなぜ修行しなければ悟れないのか?

ご質問させて頂きますハルソラと申します。 私は禅の思想に感銘を受け、座禅修行を念頭に日々の生活を送っております。 多数の書物やお話から理屈では「なるほど悟りとはこのようなものか」と理解しつつも、お坊さまはご存知の通り、頭の理解でどうにかなるものではなく悪戦苦闘の日々です。 そこで私はふと思いました。なぜ人間はこんなに修行しなければ悟れないのか?…と。 昔、文鳥を飼っていた事がありますが、文鳥は悟っていると思いました。 すべての行動が「作為なく自然体で、ありのまま」なのです。 例えば、指で突っつくと怒るのですが、次の瞬間に手のひらを差し出すと、怒っていた事はすっかり忘れて手のひらに乗って機嫌良くしているし、 晩年は羽の力も衰えて全く飛べなくなりましたが、そんな事を気にしたり落ち込んだりする様子もなく、シャカシャカと素早く走りいつも通りのご機嫌なのです。 動物植物などはそのように「ありのまま」生きている(…と思う私の推測ですが)のに何故に人間は長い間たくさんの修行をしてやっと悟れるか、あるいはそれでも悟れない、という言わば面倒な存在なのでしょうか? お坊さま方もお忙しい中まことに恐縮ですが、ご教授よろしくお願い致します。

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