幸せな働き方とは
就活中の大学四年生です。
私は今、人生の岐路に立たされているように感じています。
右の分かれ道は、女性には厳しいとされる会社でプライベートな時間も仕事につぎ込んでがむしゃらに生きるような生活です。
左の分かれ道は、女性にとって働きやすい環境で、与えられた仕事をコツコツとこなして夜は好きなことをする、という生活です。
どちらの道にも不安はあります。がむしゃらに働けば心身のバランスを崩すかも知れませんし、男社会に揉まれて生きることは容易ではないはずです。プライベートな時間がなくなれば、何のために生きるのか悩んでしまう日も来るような気がします。
また、コツコツと働く道では、がむしゃらに働く場合のような輝かしい功績や評価は得られないかも知れません。もし、もっと頑張りたいと思った時にどうしたら良いのだろうと不安に思います。
どちらかの道を選ぶのは私です。だからどちらが良いか問うことはできません。しかし、悩むほどに「何が幸せだろうか」と思います。
私の夢は家庭を持つことです。両親が私に無償の愛を注ぎ込んでくれたように、自分も豊かな家庭を築きたいと考えています。
そのために、女性として働きやすい環境を選択することは間違いではないと思います。ただし、自分の中には「それは逃げではないのか?」と責める気持ちもあります。
私は両親のお陰で良い暮らしをしてきました。お嬢様校で育ち、名の知れた大学に通い、何不自由ない暮らしです。これまで散々贅沢をしたのだから辛い環境に身を置くべきではないのかと何故か思うのです。
両親に就職先に文句を言われたり、どんな仕事をして欲しいと言われたことはありません。
なのに楽をしてはいけない、きっと後悔する、と思ってしまいます。余裕ある暮らしを望むのはなぜこんなに罪悪感があるのでしょう。あるいは、罪悪感を押し切って選んだ「余裕ある暮らし」に幸せを感じることはできるのでしょうか。
一体「幸せ」とはなんなのでしょう。
何でも他人と比べてしまう 寂しがり 自慢話をしてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分に合った生き方を…
拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。
まず幸せとは、自分次第になります。
がむしゃらに仕事をすることが幸せだと思う人もいれば、マイペースに仕事をすることが幸せだと思う人もいます。
家庭を持ったことで幸せを感じることもあれば、家庭を持ったことで不幸を感じることもあります。
順風満帆に生き、輝かしい活躍をしている人でも悩み苦しんでいる人もいますし、苦難や逆境の連続で人生思い通りにいかない人でもその日その日を楽しく幸せに生きている人もいます。
つまり幸せとは、外にあるのではなく自分の心の中にあり、境遇や状況を楽しめる人が常に幸せを感じられる人になります。
あと人生は、短距離走ではなくマラソンみたいなものですからね。ほどよく頑張ることが良いと思います。
毎日がむしゃらに仕事をしている人でもきっと心身に余裕を残していると思います。逆に心身に余裕がないことに気づかず頑張っている人は、いつか心身に異常が生じると思います。
そして人によって心身の状態は違います。心身に余裕が少なくても、がむしゃらに仕事ができる人もいれば、心身に多く余裕を残しておかないと長く仕事ができない人もいます。
他人ができているのだから自分もできると過信してしまい、心身に異常が生じてしまう場合もあります。
なので自分にあった生きやすい生き方を選択すれば良いのではないでしょうか。
ただ個人的な意見としては、心身に多く余裕を残している人生の方がいいと思います。人生は本当に何が起こるか分かりません。不測な事態が起こったときに、心身に多く余裕を残している人のほうが的確に行動をしやすいと思います。
幸せは足元に
ご自分を追い込んでみたくなる。自分を試したい。限界に挑戦したい。そんな気持ちになることあると思います。
しかし、それが心底やりたいことならそんな苦労も充足感になるでしょう。健康面だけは気をつけたいですがそれも悪いことではないですよね。人のためになる仕事ならなんでも良いと思います。
幸せは、お金と時間があっても訪れない。自分自身を痛めつけても訪れないものではないでしょうか。
お釈迦様は王子様として生まれ、不自由なく暮らしていても、心は満たされず、出家して難行苦行の道を選んでもやはり、満ち足りず、最終的に中道を見つけられました。
本当の幸せとは、どんな選択をしても他に道があったとか、人にどう思われてとか地に足のついてない生き方をするのではなく、今目の前のことに満足できる力があるかどうかということでしょう。
思いの世界ではなく、今目の前の当たり前とも思える様子に満足する力がないと、他に生き方があったような気がして、自分を大きく見せようと嘘をついたり他人と比較したりすることになってしまいます。
どんな人でも人は生まれつき仏様なんです。足りないと思い込み貪り、幸せがどこか他にあると思うから苦しくなるのです。
今目の前の当たり前の生活そのものが幸せなのです。知足と言ったりします。
今「幸せ」だと感じてますか?
「禍福は糾える縄の如し」
100%の幸せも
100%の不幸せもありえません。
人生は選択の連続ですが
どちらを選んでも多少の後悔は生じるものです。
今あなたが罪悪感を抱くのは
社会の多くの人が困窮する中において
自分が恵まれていることを知っているからです。
多くの人が他に選べない道を歩むのに
自分は岐路に立つことを許されている。
それはあなたのご両親のおかげであり
幸運な星のもとでもあるのでしょう。
ノブレス・オブリージュ (高貴なる者の義務)
これをあなたは意識しているのではないですか?
質問者からのお礼
たくさんの助言をいただきまして、ありがとうございます。
拝見してからしばらく考えましたが、まだ答えは出ません。がむしゃらに働いて「私は人生において仕事を頑張った!」と言えることも、無理せず余裕を持って働いて仕事よりも余暇に生き甲斐を持つことも、どちらも魅力的に感じます。
ただし、これはとても贅沢な悩みであることを知ることができました。世の中には、特に今は、生きるために必死で環境や仕事を選べない方もたくさんいらっしゃるだろうと言うこと、その中で選択肢を持てる自分はやはり恵まれているのだと痛感しました。
まだ悩むと思いますが、自分にとって良い答えが出せると良いなと思います。ありがとうございました。