死の受け入れ方が知りたいです。
祖母が亡くなってから半年が過ぎました。未だなお立ち直れておらず、ふとした時に悲しみや絶望に苛まれます。
わたしはおじいちゃんとおばあちゃんが昔から大好きでした。とてもよくしてもらいました。とても可愛がってもらいました。10年以上前におじいちゃんが亡くなったときも大変つらいおもいをし、泣いてばかりの日々が続きましたが、おばあちゃんを支えないとという気持ちもあり立ち直れたような気がします。しかしおばあちゃんも亡くなった今、生きる希望がありません。わたしをあんなに可愛がってくれる人はもういません。わたしももう良い歳なのに、はやくわたしも死んでおじいちゃんとおばあちゃんに会いたいという気持ちばかりです。おじいちゃんとおばあちゃんがこの世にいないなら死にたいです。思えば、小学生の頃でしょうか。死というものを知ってから、わたしがこの世で最も恐れていたのはいつかくるであろう祖父母の死でした。寝る前に手を合わせて祖父母と家族の健康を祈ることが日課となっていました。それほど恐れていた祖父母の死を経験した今、もう怖いものはなくなりました。ひたすら祖父母に会いたいという気持ちしかありません。このまま生きていても二度とおじいちゃんと話せないしおばあちゃんのおにぎりと卵焼きも食べられない、二度とふたりに会うことができないことをふとしたときに思い出し、絶望し打ちのめされます。思い出の場所や外食した店、買い物した店など日常を過ごす中でふとしたときにも思い出がたくさん甦ってきて悲しくなったり泣いてしまったりします。仕事は頑張って行っています。趣味も楽しめてはいます。でもやっぱり祖父母に会いたいと思ってしまいます。仕事帰りにお墓に行き、ひたすら泣いて疲れて帰るという日もあります。夢にも出て来てくれるときもあります。
この気持ちは日にちが経てば落ち着き、癒えるのでしょうか。亡くなって少し経った頃、地元のお寺さんに供養に行った際に教えていただいたのは、悲しむのは悪いことではない泣いていいということでした。とても救われました。しかし半年も経ったのにまだまだ悲しく苦しいです。
わたしはどういう気持ちやおもいで日々を生きていけばよいのでしょうか。わたしはどうしたらよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お墓参りを続けてみてください
おはようございます!
お釈迦様も愛別離苦をお説きになられたように、愛する人やものと離別する苦しみと辛さは耐え難いものがあります。
亡くなられてからある程度の目処として「四十九日」が主となっていますが、亡くなられてから100日目にの「百ヶ日」という日があり、これは「卒哭忌」とされ「故人は無事に極楽へ向かわれましたので泣くことはやめて顔をあげましょう」という法要であります。
心の整理は時間がかかりますし、向き合う時間も人それぞれです。
心の整理がつかずにお仏壇に御遺骨を置いておかれる方もおられます。
しかしながら、いつまでも悲しんでおられると故人も安心できません。
仏様となられた故人は手を合わせた所に現れてくださいます。姿は見えずとも近くで見守ってくださっておられます。
同じように愛別離苦に苦しみ、辛くてお墓参りに行くこともできない方もおられます。今は心が落ち着くまではお墓参りを続けてみてはいかがでしょうか?
今は寂しい。でも大丈夫。
泣くのも供養。泣いてください。
悲しみはいつかいえます。今は悲しいけれど、落ち着いてくるものです。
供養とは亡くなった人のために行じることで残された人が救われる行です。
お経も唱えてもらうのではなく唱えるのです。
生まれ死ぬるということは、お茶を飲む前と飲んだ後ということです。つまり私たち日々生死の中に生きています。目を向けた景色も次の瞬間には変化しています。していないように見えているものも、時間の経過とともに、変化しています。「今」という時は「今」しかない。切り取ることのできない「今」は常に出会いと別れの繰り返し。毎日、毎秒、一生に一度の出会いと別れをしているのです。それが生きるということです。
こうした働きを「いのち」というのでしょう。思えるという働きも同じです。その時に思えたという働きがある。
生命は終わっても大きないのちの働きの中でより身近に感じることができるようになります。風が吹く、雨が降る、花が開く、川の音、お茶の味、全てがおばあちゃんでありおじいちゃんでしょう。肉体はなくても生命の大きな働きの中でおばあちゃんはあるのでしょう。DNAということを考えてもあなたの中にいるわけです。
寂しくなったら手を合わせてください。時に泣いて思い出すのも良いですから。
質問者からのお礼
この度は素敵なお返事をいただき、ありがとうございました。ひとつひとつの文章を噛み締めながら読みました。わたしの今の気持ちを認めてくださり、肯定し、寄り添ってくださるお言葉がとても嬉しく、感動致しました。無理に抗わなくても、無理に頑張らなくてもいいのだ、と読みながら涙が溢れました。いつでも側にいてくれているという言葉が大変心強く明日からも頑張って生きていかれそうです。心が折れそうなときはこの素敵な言葉を読み返し、手を合わせることを大切にしていきたいと思いました。
お坊さんに直接ご相談させてもらえるなんて、初めは驚きましたが、とても貴重で有り難い気持ちでいっぱいです。お忙しい中、相談に目を通していただき、また素敵なお返事をくださり、ありがとうございました。一生忘れません。