死後の世界
10代、20代の時は「今」を生きていたので死について深く考えてきませんでしたし、死ぬことは怖くありませんでした。
しかし、身近な人が亡くなるにつれて死後について考えてしまうようになりました。
大事な人はいずれ死にますし、いつか会いたいと思っていた人もいつの間にか死んでしまいます。
子供の頃の友達、近所のおばさん、世話になった先生、みんなに昔の姿で会うことはできませんし、次会ったとしても当時のように話はできないと思うと苦しくなるのです。過去には絶対に戻れないこと、死はせまってきていることを実感していく感覚。
この感じはみんなにもあるのでしょうか?
また、お坊さんに対して愚問だとは思いますが死んだ後人はどうなると思いますか?
個人的な意見をお聞きしたいです。
①輪廻転生
②天国、地獄
③同じ人生を繰り返す
④無
⑤その他
私の今の考えとしては希望も含めて③だと思います。
長文をお読みいただきありがとうございました。
皆様のご意見をお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一考察
しろさんの疑問に対しては、個々に違うと思います。なんと言っても亡くなった方が戻ってきて証明されていないからです。しかし、それぞれの体験を通じて死後の事を感じている人もおられます。
文面の都合上ご質問のみですが、
①はそうであると思いますが、単純に同じ人生を繰り返す訳ではないと思います。
この世に誕生してきた事には偶然はなく、原因と結果として必然の事だと思います。そして望んで生まれて来たのですか、様々な経験をしながら、自分が何者かであるかを体験したいのでしょう。
仏教では、みんな仏の子と言われているのですからその事を経験したいのではないでしょうか。
もちろんこれは仏教とか他の宗教とか宗教を信じようが信じまいとも問わず、すべての人類に共通する愛とか絆とか慈愛とか、その様な次元での事かと思います。
肉体は変化しても魂、意識の次元は滅する事は無いと思いますので、死後の事が分かると生まれてくる前のことも解明されるのでしょう。
しかし、誕生と同時にすべての事は忘れる様に仕組みなのかと思います。
ゆえに人として努力すること、又、未来を想像出来るようになっているのでしょう。
②天国、地獄は死後でなくても、この世で日々の生活の中で、心の世界でも実際に体験する中にでもあります。
日常生活の延長線上に肉体が滅びたら(死)そのまま天国、地獄さらなる次元の世界へ移行するでしょう。
あくまで私見ですから、私も死後分かるのか思い出すのかはその時かと思います。
仏戒を受け、仏弟子となれば、仏国土に行きます。
タイトルに書きましたように、死後自分は仏様の世界(仏国土)に行く。と信じております。そういう信念に基づいて、檀家さんの葬儀をお勤めしております。
以前、下記のような回答をしました。参考になるかもしれません。
「仏教史の流れと民俗文化の中に答えがある、と思います」
https://hasunoha.jp/questions/45602
以前、寺の会報に書いた記事ですが、これも参考になると思います。
『やすらかに旅立ち、やすらかな世界へ』
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12511892592.html
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12512318090.html
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12513598181.html
無上瑜伽タントラにおける三身修道から学ぶ
しろさま
こちらの拙回答も参照していただければと存じますが、
https://hasunoha.jp/questions/53947
仏教における死後から次の生へ向けたありようについては、後期インド密教の無上瑜伽タントラにおける三身修道において、それが詳しく説明されるところであります。
三身修道は、死、中有(中陰)、再生(次の生まれ)のサイクルを擬似的に体験する高度な修行となりますが、最終的に悟りへと至るためには、実はこの死、中有、再生のサイクルの構造を活かすことが求められるからであります。
もし、死から次の生へ向けた詳細を知りたいとなりましたら、下記文献が役立つものとなりますので、是非、参考にして頂けましたら。
「ゲルク派版 チベット死者の書」(学研プラス・平岡宏一先生訳注)
「秘密集会タントラ概論」(法蔵館・平岡宏一先生訳注)
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
吉田様
ありがとうございます。
仏教についても学んでみます。
川口様
ありがとうございます。
文献確認してみます。
鈴木様
ありがとうございます。
求めていた回答です。私見をいれていただき、ためになりました。
死後に分かる。思い出すという言葉が響きました。