死にたい衝動を抑えるのがつらいです
昔から死ぬことに憧れていました。
小さい頃から母が厳しく、叱り始めると手や足が出ました。頬を叩かれたり、髪や耳を引かれたり、外に出されたりしました。
幼稚園の頃には「私が悪い子だからこんなに怒られるんだ。早くいなくなってあげないとママがかわいそうだ」と思っていました。しかし、養ってもらっている以上私の命は親のものだからと、死ぬ方法を色々調べるの止まっていました。
今思うと何を考えていたんだろうと呆れるばかりです。
中高と自立することが増え、そんな考えも薄れていました。しかし大学1年生の時に母と進路のことで仲違いし、「産んじゃって悪かったね!」と言われた時に、全て赦された気がして家にあった常備薬を全て服薬して自殺しようとしました。
その後3回ほど繰り返し、自律神経失調症の診断をもらい大学は退学、地元の専門学校へ進みました。在学中も母とのふとした会話で死にたくなりましたが、頑張って自傷行為に止まりました。
就職し、実家を出たことで収まっていた衝動ですが、職場の人間関係から再度精神疾患を発症、退職をしました。
その際は当時結婚前だった主人のおかげで持ち直したのですが、出産し育児をするようになってまた強い衝動が来ています。
思うようにいかない小さい息子にイライラすると、自分がされていたように手が出そうになります。それを腕に爪を立ててこらえます。同じ思いはさせてはダメだと、必死です。
ただ、我慢をすればするほど自分の「死にたい」という気持ちが強くなります。主人は人生で一度も「死にたい」と思ったことがないらしく理解は得られません。
今すぐにでも首を吊ってしまいたい。このハンドルを思いっきり左に切って横転させれば死ねるのでは。洗い物をしながらこの包丁を突き立てればいいのでは…と頭の中でグルグルと考えてしまいます。
小さい息子のため…と頑張って思いとどまるのですが、本当にしんどいです。
母とは現在和解しており、育児を一緒に手伝ってもらっています。母の生い立ちを知ったことで、受け入れることができました。
側から見ると仲のいい幸せな家庭に見える我が家です。
しかしそれでも「死ぬこと」が私にとって明るい未来にしか感じないのです。私は本当に死ぬことに憧れているのでしょうか。
死んではいけないのでしょうか
何かにつけて急に死にたくなってしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
母の未熟さを現在の母の自分の未熟さと知り互いに赦しあう
本当は当初から他の反応、他のリアクション、他の選択肢、他のやりかたや、他の心の表し方もあったはずなのです。ですが、赤ちゃんや子供が苦しいとき、つらいときにどうしても泣くことしかできないように人間は苦しいことが続くと他に向かう方向を見失ってしまうのです。
子供は純粋に無条件でどんな親の元に生まれても親のことが大好きだから、親に怒られたり否定されたら心の逃げ場所、居場所がなくなってしまうものです。
親から否定され続けることは自分にとってはこの上なくつらいことなので存在することすらいけないのではないかと思ってしまうのです。たとえば親が日常的に発する常習的な発言が子供側にとては受け入れがたい表現というものがあり、それが続くと子供が病むようになることがあるものです。
仏教で出家を説くのは親であれ、子供であれ、どちらも「家」という人間のエゴルールから脱却してお互いが自由な立場になりなさいということ。相手も自分も解放されるべきだとを説いてくれているのです。別に頭丸めて坊さんになりなさいというだけのことではありません。たとえ在家であっても、人間世界のエゴルール、世間の自己中心的なエゴ、マイルール、マイワールドからも抜け出してあなた自身を開放しなさいということなのです。あなたも無自覚ながらに親御さんからの心理的な支配、ルールによるシバラレがいつのころからか生まれてしまったのかもしれません、今日から自分を見つめて脱却する気持ちを持ちましょう。各家にはそれぞれ家のルールがある。家長の父親・母親はあなたに対してルールを強いる、いつのころからか。幼稚園、学生時代、成人後も家庭のみならず、各家庭出身の友人関係・人間関係も同じ。社会、人間世界の間・間・間に関わりあう中で何らかの押しつけがましいルールを強いられ、不健康・不健全な心がたまたま偶発的に生まれてしまうのです。あなたの死にたい欲求はそこからくるものかもしれません。
好きな音楽も本も最初に手にしたものが大きく影響する。
それによって影響されるのが脳・こころ・あなた。
今や思い出すこともできないほどですが、いつとも知れずに培われた、いつとも知れずに根付いた経験・体験=心に縁を加えられたこと。それがあなたの心をたまたま苦しめてしまっていたのです。そこからの出離・脱却・浄化・懺悔が出家の道なのです。いつでもお電話ください。