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父が死にました

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私の父は癌で昨年の5月に亡くなりました。余命を宣告されて2年後のことでした。

余命が長くないことを知り、宣告された日から父を喜ばす気持ちで学業や様々な活動に専念しました。テストでいい成績をとって報告するなど、それくらいしか私にはできることもなく、とにかく頑張りました。
ある日、留学のパンフレットに目が止まり、自分の夢も諦めきれず、長期の留学を決意しました。父のこともあり、複雑でしたが、両親は賛成してくれました。

留学して4ヶ月、父の容態が悪化し、一時帰国しました。
久しぶりに会った父の顔は、薬の副作用の痛みからか強張っており、お腹に水がたまり、最後に私が見た父は消えていました。再会した次の日に、私は1日看病をする予定だったので、その日はほんの少し話して帰りました。

次の日の朝、看護婦さんから父が息をしていないと電話が入りました。

病室に着いた時、父は口が開いた状態で、心電図の停止を知らせる音が鳴り響いていました。今でもその瞬間を忘れられません。そのまま父は息を引き取りました。

それから、死を受け入れることへの恐怖からか、自分を忙しくすることで逃げました。留学に戻って、忙しい日々を過ごしました。

昨年冬に帰国し、大学受験に挑戦しましたが失敗しました。もう一年勉強しようと構えていたのですが、予備校が始まるまでのこの期間に暇な時間ができたことで、父のことを考えるようになってしまいました。
気力がどんどん下がり、あの日のことを後悔するばかりです。なぜ、もっと話さなかったのか、感謝の気持ちを伝えられなかったのか、明日生きてる保証がないと理解していれば、、、意識が低かった、と。それに、留学もしてよかったのか、父の側にいてあげればよかったと後悔が募るばかりです。

今は、大学に進学する目的も見失い、頑張る目的がわからなくなりました。喜ばせる父もいなくなり、どうしたらいいか分かりません。

父の死をしっかりと受け止めることで前向きに生きたいと頭では思うのですが、心がついて行かず、無気力になってしまいます。

今後、父と向き合うにはどうしたらいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お父さんは見守っているのです

お悔やみ申し上げます。
お父さんはまだ私と同じ位の歳かな。
とても悲しいことです。
今は思い切り泣いてください。

ところで、
死とは永遠のお別れではありません。
宗教、宗派によって違いはありますが、
また会えるのです。
人は命が尽きると阿弥陀様によって極楽浄土に連れて行って貰うのです。
極楽浄土には苦しみがありません。
従って、病もありません。
また、たくさんのご先祖様が居られ、寂しくもありません。
そこからあなた達家族を見守っているのです。
いつかはあなたも極楽浄土にいきます。
その時、また会えるのです。

お父さんはきっと今、あなたの事を心配しています。
あなたが目標を失っていることを。
どうか今一度将来の目標を、どんな仕事をしたいか、あるいは、どんな仕事で社会に貢献できるか、考えて下さい。
そして勉強頑張ってください。
お父さんを安心させてあげてください。
お父さんを喜ばせてあげてください。

お父さんは見守っています。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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最後に伝えたかったこと

辛いお別れを経験されましたね。
お悔やみ申し上げます。

色々と後悔することはあると思います。
どんなにつくしていても「もっとあのときああすればよかったのか」という想いは拭えません。

さらさんは留学を決め、お父さんは送り出したとのこと。
自分の病気を理由に留学を諦めるなんてことは、お父さんきっと望んでなかったと思います。嬉しかったと思いますよ。

「親が最後に子供に教えることは、死んでその姿を見せること」なんです。
命の儚さ、生きることって当たり前じゃないこと、だから一生懸命生きなきゃいけないこと、それを最後に身をもって伝えるんです。
お父さんは立派に生きて、立派に死んでみせました。
そのメッセージは、確かに重いです。
そのメッセージと向かい合うと、涙が出てきます。
泣いて、たくさん泣いて、そうするとそのメッセージの重さがだんだんなくなり、自分の体に溶け込んでいきます。

「私の肉体は滅するがその教えは永久に残る」
「これからは自らに灯を灯し、教えを支えにしなさい」とはお釈迦さまが入滅なさる前にした法灯明の教えです。

お父さんの教えと共に生きて下さい。

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困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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質問者からのお礼

お言葉ありがとうございました。
いつか父に会える日まで頑張りたいと思います。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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