hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

もう謝れない

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

恥ずかしながら、高校生の時、父親の財布から五万円抜き取りました。
当然、疑われましたが、あくまで知らないと言い張りました。
盗んだ理由は、賭け麻雀の負け金の返済の為です。
もう父親が他界して、二度と謝ることはできません。
また、真実を話すこともできません。

ただ、ずっと心が重たいです。自業自得ですが…


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お仏壇はありますか

 こんばんは、はじめまして。
 お仏壇はお持ちでしょうか?あるいはお墓はありますか?
 どちらかにお参りできるならラッキーです。「遅まきながら、今更ながら」生じた思いを伝えるのに、お墓やお仏壇は最適です。
 「親になってみなければ分からない」とか言いますね。後になって気づくことや理解したこと。後悔したこと。それを伝える窓口として、お墓やお仏壇を使って良いのです。
 「実際に対面して話す」よりも心理的ハードルが低いのも良い点です。ぜひ行動に移されよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
このお坊さんを応援する

直接でなくても

出家した比丘たちの場合は、誰かと何か問題が生じても、比丘サンガ全員の前で懺悔します。当人がいれば当人を含めて、当人か自分がどこか別のところに行ってしまったら、相手もいないのに。
比丘の場合は、された迷惑は、ただ、忘れなさい。で、終わりです。しかし、した迷惑は、反省して二度としないぞと踏ん張るために、公開で懺悔をするのです。相手のためというより自分のために、です。
在家でも、悪いことをして、クヨクヨ後悔するのは意味がなくて、さらなる悪行為。反省して、二度としないぞと踏ん張ることは善行為です。
あなたの場合は、相手がもういないので困っておられるようですが、まず、それと関係なく、残りの人生をしっかり生きましょう。道徳的な善行為はもちろん、適切に物事をこなす「巧みなこと」も善行為です。
しかも、亡くなっても消えたわけでなくどこかに生まれ変わっているので、あなたが亡くなって同じところに生まれるとまた会うこともあり得ます。その時にあれから頑張って自分は成長したよ、徳をいっぱい積んでここに来られた、と、胸を張って直接懺悔すれば、すっきりしますよ。
功徳廻向とか懺悔について、藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)とかスマナサーラ長老のYouTube(無料配信)とかで探してみると分かりやすいかもしれません。

{{count}}
有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。
仏壇を通じて正直に打ち明けようと思います。
許されるはずはありませんが、自己満足の償いとして、
残りの人生を懸命に生きるつもりです。
まだまだ私は死ねません…

ありがとうございました。

ありがとうございます。
自分が悪いことをしたということだけは胸に刻んだままで、
今後の人生を生きてゆきたいです。
うまく言えませんが、ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ