仲間がほしいです
私は以前、ある人から、『あなたに必要なのは仲間なんじゃない?』と言われた事があります。しかも、違う人にも全く同じ事を言われたのです。
もう言われてから5年は時間が経過していますが、いまだに仲間とか、友達はいないです。
正直言って、精神的に辛い時があります。
友達なんかいなくていいと思って生きてきましたが、その考え方にこだわる事もないと思います。
強く生きていくために、友達がいた方がいいようにも思います。
でも友達はいまだにできません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
御自分の長所を見つけ、伸ばすことがその近道です…
友達は居た方がいいです。私もそう思います…。
ただ、友達も人間ですから、「自分が精神的に辛い」ときにだけ一緒に居て欲しい…そんな自分にとって都合の良い存在ではありません。
自分が辛いとき、疲れているとき、寝ていたいときにも、友人が頼ってきたなら、あなたを頼ってくれたなら、「友人のためなら…よし一肌脱ごう!」という位の強い思いが必要ですよね。
だから、友人は数を競うものではありません。また「友人になって欲しい」と頼むものでも無いでしょう…あなたがそのように請われたときのことを想像すれば、頷けるのではないですか。
友人は、男女間でも…恋愛関係も含めて、「互いへの尊敬」から成り立つものだと思います。相手を見下げながらの友人関係など有り得ません。
ならばもう、答えは一つ…「あなた御自身を磨く」ことに尽きます。
何か(それこそ何でも良いのです…「遊び」だって徹底すれば、遊びの領域を軽々と超えていきます)に熱中することで、そのことに長じ、人から一目置かれるようになる…あなたの望みを叶えるにはそれが一番の近道ではないかと思います。
広場で仲間がやってこないから、一人サッカーボールのリフティングを練習していたら、なぜか人が集まってきた…昔何かの漫画?で読んだ光景です。
友人を探しに出るよりも、御自身の長所を見つけ、伸ばすことの方が目的への早道だと思いますよ…。
苦手なものと友達になる方法
私にも絵にかいたような友達がたくさんいるわけでもありません。
仲のいい親友とあって飲んだり話したりもせいぜい数時間です。
つまり、友達という存在との関わりはあっても数時間。何をやっているかと言えば価値観の共有、共感や磨き合い。同じ理解。同じ価値観でお話をして学びをしているということなのです。
お釈迦様は「私は万人の友である」と言われます。
小さな我や、小さな自分をとことん捨て切れば誰とでも仲良くなれます。多宗派や新興宗教の人とでも普通に仲良くなれます。私もSNSを通してネトウヨさんからパヨクさん、過激思想家や陰謀論者やネカマ主さんとも仲良くなりました。
実生活でも今日も70過ぎの見知らぬおっさんと話し込みました。昨日は刑務所から出てきたばっかりの人といきなり人生相談とかしてました。よって、仏教を学ぶと本当に誰とでも仲良くなれてしまうのです。
つまり、あなたが求めるべきは「友達を求める」ではなく、仏教を通して自分というものを学ぶ。そうすることで、自分が対人関係で何故うまく話せないのかとか、なぜ迷いが出てくるのか?とか事前の好き嫌いが生じてフリーズしていることが自分でわかるようになる。
見知らぬ曲でも条件付けなしであれば普通に楽しめるでしょう。
料理だって異国のものでも衛生的に調理されたものであれば、口にすれば偏見や先入観も取れるはず。
私は坐禅を通して嫌いな虫対する偏見を取り除いてG・ブリトニー(仮名)を克服するという過酷な修行にのぞみました。はじめはこれはエビだエビだエビちゃんだ!と真言を十回繰り返しました。それではダメでした。深い禅定に自身を導いて、名称や好き嫌いの心の生じない純粋感受領域の心で臨みました。
するとエビちゃん♡(仮名)は私の手の中でかさかさと「ただ動いている」だけになりました。苦手とする「≠モ仏シ(仮名)」と私が和解・和合した瞬間であり、坐禅の功徳を実証した瞬間でした。一度だけではないだろうか?この力をもう一度確かめてみようと、子供たちに証人として見守ってもらいました。坐禅の力によってキモゴキ(仮名)は触れるかどうか?の検証。結果、合格でした。スゴイオトーチャン。
ぜひ、坐禅を通して万人の友になれる心境を目指してみてください。
ただし、その後に恐ろしいことが待ってました。
子供たちがGが出るたびに私を呼ぶのです。そんなに触りたいわけじゃないです。
質問者からのお礼
小林住職様、ありがとうございます。
昼間、仕事しながら御住職の御言葉を考えていました。長所について。短所についても。サッカーの事についても。私はちょうどサッカーの経験者なので。
そして、色々考えてみると、私は悩むのが好きなんだな、と思いました。しかし、悩んでいる暇があったら、自分を磨いた方がいいと思いました。
御住職の言葉はとてもありがたいものです。本当に。
また、悩んでしまうのかもしれませんが、とにかく、感謝したい気持ちです。
ありがとうございました。
また、こちらに何か書きたくなって書くかもしれません。その時もし、私の質問を見たら、また、ご助言いただけたら幸いです。
丹下住職、ありがとうございます。
住職のアドバイス、参考にさせていただきます。