回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「私は万人の友である」 釈尊
苦手な人とか、価値観の違う人とも仲良くなれる方法は「こちら」「わたし」「強烈な自我」がなくなること。とげとげした「アタシ」という「ガ(我)」があれば、ぶつかり合ってしまうこともあるでしょう。
そもそもなんで坊さんが坐禅をするのかと言いますと、一つにはこの自分自身の上から「ガ(我)」というオレオレ、自分自分、アタシアタシした我の意識をその立ち上がり以前、起動する以前の自己を見つけるためでもあります。
坐禅なんて意味ないと私も学生時代に思っていましたし、足痛いし、退屈じゃんとおもっておりましたが、トンデモナーイ。(-。-)y
心は穏やかになる、自分の持っている眠っていた力は引き出される、コンプレックスは解消される、発想は無限大、アイデア、イノベーション、トンチは沸く沸く。
指導者がポン〇ツだと何をやっていいかわからんですが、ちゃんとマスターされた人のもとで行えば手ごたえのある素晴らしい功徳が得られます。
その結果、本当に自分に正直に生きられるようになれますし、この男性はちょっと違うなぁということもわかるようになれますし、本当に自分にとってふさわしい相手を見つける力にもなるでしょう。
機会があったら数分でもいいので、坐禅をちゃんとやってみようと志してみてください。要点を会得すれば人生を変える大きな力となるでしょう。
あなたはどんな人を友達や恋人にしたいですか?
過去の質問も含めて読ませていただきました。
人生に絶望し、人間関係もうまくいかなく、生きる気力を失っておられるのですね。心中お察しいたします。
さて、お釈迦様の教えに、「友達と恋人の作り方」なんていうハウツー的なものはありません。
仏教とは、そもそも自分と向き合うものなのです。世の中はあるがままに存在するのみであるとの真理を学び、それを自己と照らし合わせながら自分と向き合うのです。もちろん言葉でいうのは簡単ですが、実践するのはとても難しいものです。
それはさておき、友達と恋人の作り方を知る前に、人との交わりを前向きに行う状態に持って行かなければ、そこまでたどり着きません。
では人と上手に付き合うにはどうすればいいか?それは小手先の言動だけではどうしようもありません。いくら上辺だけ繕っても、そのうちに見抜かれてしまいます。そして人は離れていくでしょう。
ですから、一生懸命に前向きに誠実に自分が生きることが大切なのです。一生懸命な人は、輝いて見えます。前向きな人は、一緒にいて気持ちが明るくなってきます。誠実な人は、一緒にいて安心できるでしょう。
たとえばmicuenさんは、後ろ向きで否定的で、何もせずに愚癡ばっかり言ってるような人と友達になりたいと思いますか?もしくは恋人としてお付き合いしたいと思いますか?
自分がどういう人と友達になりたいか、恋人になりたいか、そこを考えてみれば自ずと答えは出るんじゃないでしょうか。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。
質問者からのお礼
お礼遅れて申し訳ありませんでした。また相談にのってください。