hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死にたいのか生きたいのかわからないです

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

私は10年ほど、死にたいという気持ちと一緒に生きてきました。
きっかけは他の方からしたらきっと些細なことだと思うのですが、
その後人付き合いが上手くいかず、
当時は全く問題なかった人間関係を上手く築けなくなり、
他にも辛いことが重なり、
死にたいと思うようになりました。

生きたい人が生きられない現実がある事もわかっています。
ある時から(プロフィール参照)
私は自分の手で人生を終わらせることが出来るんだ
と思うようになり、
いつでも死ねるというのは
私の希望になりました。

ですが最近、死ぬ事が怖くなりました。
自ら命を絶つのが怖いのではなく、
事故でも病死でも寿命でも、
人間いつかは必ず死ぬ、
という現実が怖いです。
こればかりは絶対避けられない現実なのに
怖くて怖くて仕方がないです。
それなのに死にたい気持ちが無い訳でもない。

死にたいのか生きたいのかわからないんです。
今現在私が生きているということは
少なからず死にたくない、
という気持ちがあるんだと思います。
死にたいと思っても、死ぬのが怖い、
だから生きるのもこわい。
こんな矛盾に戸惑っています。

人間はいつか必ず死ぬ事、
どうしたら自分を納得させられるでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

つまり、あなたの命の主人公はあなたの考え方ではないのです。

あなたが今、そこで息を吸って、はいている。
その一呼吸をよーく見つめてみてください。
その自然な呼吸がなされている時に、死にたいか、生きたいか。
そんなことを考えながらこの呼吸は「なされて」いますか?
あなたの意志とも無関係。
あなたの考えとも無関係。
あなたが死にたいと思っても息をしている。
あなたが生きたいと思っても息をしている。
あなたの考え方とは無関係にあなたの命は働いてくれているのです。

人間は24時間、何かを優先してアクションをしています。
何もしていない時は何もしないというアクションをしているのです。
坐禅や瞑想を通して心に何も思わせないようにするということをすれば、心はなにも考え事を優先しようということが無くなり、生きたい死にたいとは関係なしにこの世の素晴らしい映像、音声、香り、味わい、感覚、心象作用の素晴らしい上映が自己の身心スクリーン「宝鏡」に映しだされるようになるのです。
そこにはあなたの優先させている思いこみや、死にたい、生きたいという論争煩悩に苦しめられることも無くなるのです。
もしその考えが人類史上、最高最上の論であるならばあなたも相手にするべきでしょうが、それは残念ながらあなたを「救う」働きにはならない。
あなたにとっては大切な、何か大きな問題であることには違いないのですが、その論を煮詰めていくことで心底あなたや周りの人たちを救いに導くような力になるかといえば、現在の結果はどうかといえば「迷い」「未解決」の中におられるわけでしょう。
人為的なこと、有為的なこと、哲学的なこと、心で意識的に人間が「なにかを【しよう】」という意識で行なう分析マインドには限界があるのです。だから哲学者は自ら命を絶とうとまで、思い詰めてしまう。
死ぬのが怖ければ、死ぬことが怖くなくなる方法があるのです。
それが仏道、仏教の説くところです。
お釈迦さまも歴代の祖師もみんなそういう考えで苦しんだ。そして、そのもがきの中で「人生の真実」「ほんとうのこと」を求めようと志されたわけです。
そして、その答えを明らかにされて方法を説いたのです。
それを求めようとするのであれば、真剣にあなたが自分の人生の苦しみを根底から無くしたいという決心をもつ。それが「菩提心」を持つことです。
それは悟りというこの上ない明晰なこころをもとめ、涅槃というこの上ない安らぎを求めることです。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

回答、ありがとうございます。
自分の呼吸を見つめる、というのは初めてでした。
見つめた事によって、私の考え方ではない、というのにも納得出来ました。
仏教の説く、というのをまずやってみようと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ