物事を悪く考えてすぎてしまう。
最近、悩んでいるせいか、まだ起きてもいない先のことで悪いことがおきるのではと考えることが多くなりました。
両親にそのことを話すと、「まだ起きていないじゃないか、起きてから考えればよい」と言われ、そのとうりだなと思うのですが、すぐに起きてもいないことで心配したり、悩んだりしています。
また性格的に切り替えができないのです、何かちょとしたことがあると引きずったり、また少しの嫌なことがあると過去に嫌な経験を思い出し気持ちが沈むことが多々あります。
悩んでいます。
皆様、お知恵を貸して下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
切り替えができないのではなく執着しているのです
切り替えができない→その事にこだわっている・執着している・しがみついている→つまり他の事をしたくない、しようとしない→他の事をしようと思ってもちょっと思っただけで実行に移すほどの価値を見出せない→よって切り替えないことを優先している。
アタマの中でチョット「切り替えたい」(-"-)と思ってただけであって、離れることの方が価値があると思っていない状態なので、脳が好むおやつの方に気を向けることです。
人間は2秒に一回洗濯、じゃなかった選択している、という言葉を聞いたことがあります。
('ω')
人間には、最終的にやっていることを脳が選択したわけです。
本当はあっちが良いのに、といっても、それをやらないということはこっちが良いのです。
本当に、本当に、やめようと思ったら、人間やめます。
やめないのは、実はあなたがとどまる事を選択しているからです。
まさか自分がそれを選択しているとは思えないかもしれません。
自分をしっかり見てください。自分を縛っているのは自分なのです。
縛られているといっても、自分の思いにしばられている、だけなのです。
執着に目を向けて、そこから出離し、自分を生きるのです。
煩悩や執着に影響を受けない心、そういう自由な心を涅槃という。
今出来る事に集中
何かの物語でしたかうろ覚えですがこんなセリフが有りました。
「昨日?そんな昔は憶えちゃいねぇ。明日?そんな未来の事はさっぱり解りゃしねぇ。」
私、実はこの言葉が大好きです。
人間はどんなに頑張ってもタイムマシンでもなければ、
過去へは行けませんし、未来に行く事も出来ません。
どんな時も「今」を生きているのが人間です。
だとしたら、過去に縛られ未来に翻弄されるのは
「今」を台無しにしてしまうことになると思いませんか?
起こるべき事は起こるべき時に起こります。不安に感じていようがいまいが…。
では過去と未来は人間に取って無意味なものなのでしょうか?
…いえ、それも違うと思います。
過去は「学び」として、未来は「希望」として
「今」の一瞬の中にのみ存在していると言えるのではないでしょうか。
つまり、今、この瞬間の中に人生が凝縮しているとも言えるのではないかと思うのです。
小さな事でも、今出来る事をコツコツとやること…
それが過去の嫌な経験を活かし、未来への不安を払拭する事に繋がると私は信じています。
悩むことをいとわない、という道もあります。
ひとというものは、基本的に物事を悪い方に考えるものであります。
だから、楽を求めるわけですが、それによって、逆に苦を怖がってしまう、
それによってもっともっと苦しんでしまうものであろうと思います。
ただ、そうやって考えることは、実はわたしたちのこころが
健康であるともいえるのです。
もともと悪い方向に考えてしまうのが人間である、ということは、
その状態は人間にとって当たり前の姿「通常状態」であると言えます。
でも悩んでしまうとつらいですよね。
むかしのことわざ、でしょうか。こんな言葉があるんです。
火の車 作る大工はおらねども 己が作りて 己が乗り行く
火の車とは、悩み苦しんでいる自分自身です。
悩みも苦しみも、自分にしかわからない。
ということは、悩みも苦しみも、自分の中からしか、
生まれてこないのであります。他人の苦しみは他人のものですから。
そして、そんな自分自身に、やっぱり自分が乗り込んでいる。
熱い熱いといいながら、乗り込んでいくのであります。
でも、それが自分の本当の姿。
自分が自分で悩みや苦しみを生み出している、
それに気が付くこと。
頭だけではなく、自分自身全体で感じることが出来た時、
火の車はべつのものに変わるのです。
さきほどのことわざには別にこういうものがあります。
極楽は 作る大工はおらねども
己が作りて 己がのり行く
極楽もまた、私自身で作ることが出来るんですよ、
と、古人は申すのであります。
あまり御参考にはならない回答かと存じますが、
おこころが安らかとなる日々が参られます様、
心より祈らせて頂きます。
さちあれ。さちあれ。合掌
一台が動けば渋滞は自然と解消されます
生きているとは悩み、苦しみの連続ですから、悩んでいるということは、それだけ「真剣に生きている」証しかもしれません。
とはいえ、そのことで辛い思いをコンさんはされているのですから、なんとか解決したいところです。
ほとんどの悩みは一つひとつならなんとか解決できるものです。しかし、いっぺんにそれらがくると交通渋滞を起こしてしまいます。きっとほんの少し整理をするだけで、元通りスムースに流れていくのだろうと思います。
まずは、悩みがあるのは当たり前だと覚悟を決め、「悩んでいる自分」を悩むのをやめましょう。そうすればまず一つ悩みが無くなります。そしてこの一つがきっかけとなり、コンさんが自ら前に進めることをご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
回答していただきありがとうございました。
皆様からの回答、是非参考にさせていただきます。
コン