火事の現場を携帯で撮影してしまいました
今日仕事の帰り道火事があり、最初は林の火事だろうと思い車を止め撮影しました。
取った後に気づきましたが、燃えていたのは一軒家だったようで非常に不謹慎なことをしてしまったと思い家に帰ってずっと自己嫌悪になっています。どうすればいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
気づいたら第一歩!
人は咄嗟の時に、法律違反ではないものの社会の常識や道徳、ルールを忘れ、本能のままに無意識的に動いてしまう場合があるものです。後で理性で考えると後悔することは誰でもあります。
私は師から仏教の教えは二度ごけしないための教えだと教えてもらいました。ニクニンニクさんは自身の行動に気がついたのですから、無意識に動く自分を理性で見抜く力を手に入れたのです。「よし次は不謹慎な行動には注意しよう」と思えば、一度目の行為は二度目に失敗しないための大切な経験になるはずです。
私も人生の中で今から思い出すと恥ずかしい行為をしたものだと思うことがたくさんあります。心の修行をすれば修行する程、過去の愚かな行為に対して恥ずかしさが増していきます。逆にいえばそれだけ物事を正しく見る力が付いてきているのだとわかりました。気づき・反省は人生経験を豊かに重ねる程、同じ失敗でも見方がどんどん変わるんだなーっと、この歳になってやっとわかってきました。合掌
火事を撮影しても悩むことではありません
私が通りかかっても撮影しただろうと思います。よく火事のニュースで通りかかった人が撮影した写真や動画がTVや新聞の紙面に取り上げられていますが、事件や事故の現場に遭遇すればカメラを持っていれば撮影するのは普通のことです。
手で払いのけたり踏みつけて消せるような火だったのに、そうしないで面白がって見ていたわけではないでしょう。不謹慎などと思うのは間違っています。
そういうことをくよくよ思うのは過剰な反応ですね。
もし大きな火災だったりしたら撮影した写真を新聞社にメールで送信してあげてください。
大きな津波の動画を撮り続けた人が沢山いましたが、誰も不謹慎な行為だなどとは思いませんね。
あなたは普通のことをなさっただけです。
とにかく相手の立場になることです
写真を撮ったことに後悔が在るか無いかではなく、相手の立場になって考えて下さい。この文章からは自分の保身が垣間見えます。行動や発言をするときは三度考えてください。
①相手はどのように思うか?
②自分がされたらどう思うか?
③自分がこの行いをしたら、人はどのように感じるか?
以上を基準に行うと行動が豊かになりますよ。
質問者からのお礼
お答えいただきありがとうございます。これからは理性を保ち行動することを心がけます。ありがとうございました。
ご回答いただきありがとうございます。胸に刺さったものが取れた気がします。ありがとうございました。