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法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

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先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。
その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、
(忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。

その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。
つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、
『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。

ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。

身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。

また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。
その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。
(今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。)

不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。

余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。
もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大きいなりの、小さいなりの

見通し未設定さま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
私は浄土真宗の高田派という宗派に属していますが、僧侶としての学びは本願寺派の仏教学院に通っておりましたので、参考としてお聞き下さい。

見通し未設定さんの帰省先がどこかわかりませんが、都市部から葬儀の少人数化、簡略化の波が広がっています。

私は今日、全国各地のお坊さんが集まる勉強会に参加してきたのですが、地域によって葬儀の雰囲気は大きく異なるのだな、と感じました。
複数の僧侶が読経し、百人以上が参列するのが一般的な地域。
僧侶は1〜2名で、家族親族で葬儀をする地域。
僧侶を呼ばず、数名で火葬のみ行うのが珍しくない地域、と様々でした。

私も大小さまざまな葬儀を経験しています。私自身の感想としては、大規模な葬儀は大きいなりの、小規模な葬儀には小さいなりの、良い点もあれば、気をつけなければならない点もある、ということです。

見通し未設定さんが不快を覚えたような、「小規模だから不幸、傲慢」とは全く思いません。
たとえ1人でも、心を込めて手を合わせてくれる方がいれば、それでいいのではないでしょうか。いや、その1人すらいなくても、仏さまは暖かく迎えて下さるのだと、私は信じています。

もしかするとその僧侶は、今まで大規模葬儀が一般的だったのに、最近小規模葬儀がポツポツ出てきて、社会の変化に対し焦りを覚えているのかもしれません。
一般の方の気持ちを推し量ることが出来ないような僧侶が存在することに、申し訳なさを覚えます。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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お寺さんとお話しください。

私も本願寺派ではなく、真宗山元派ですが、気になる質問でありましたので、書かせていただきたいと思います。

小さな葬儀が多くなりつつあることを、都市部とはいえない私の寺の近くでも感じております。

お寺さんの真意は、文面だけではよくわからないところもありますが、私なりに補って回答させていただきます。

葬儀には、重要な意味があります。
1,社会的な意味での、周りの人とのお別れという意味、
2,親族その他、個人に関係する人たちが、その人の死を受け入れるための儀式という意味。

最近よく言われている小さい葬儀というのは、「安く済むなら安く済ませよう」という発想から選ばれるような気がしてなりません。

1.については、故人の死を知らせなかったために、後から家に故人のゆかりのある人がたくさんお弔問にお見えになり、かえって大変だったという、笑えないような話を聴いたことがあります。

ある方の死は、親族以外の多くの方にとっても、大きな出来事です。
葬儀は、ある意味で、その死の意味を、故人と関わりのあった人々が共有できる場でもあります。
小さな葬儀の選択は、もしかすると、こういう場を多くの人から奪っているのかもしれません。

2.については、葬儀の大きさではなくて、葬儀に関係する人たちが感じた、葬儀の質の問題かもしれませんね。
充分な儀式をすることがなかった、ということであれば、故人との充分なお別れができなかったと、心の底に思いが残ることもあるかもしれません。

お寺さんの単なる誤解ということもあるかもしれません。

親戚が亡くなり、私も悔やみに行き、僧侶としてお勤めをさせていただきました。
そのことがありがたかったという意味で、親戚のものが、お手次のお寺さんに話したのだそうです。

「それはお手次のお寺の仕事だ。」とそのお寺さんは言われたそうですが、僧侶としてそういう場に赴いたなら、お経をあげることは当然だと思いますが、仏壇の前で読経をしたという事実が、伝えるときの言葉の不十分さ故に誤解を与えたのだと思います。

そのお寺さんが葬儀についてどういう考えを持っておられるのか、親族はどのように葬儀を受け止めているのか、一度忌憚なくはなされたらいかがでしょう。

案外つまらぬ誤解から生まれたことのように、私には思えます。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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どうとも取れる話を苦しみのタネにしない方が良い

先日お一人だけの法事がありました。
亡くなったその方には兄弟がいるのですが、たった一人だけで49日の法事をなされました。
亡くなった人の子供(40代)が身内をよばず、たった一人です。
その人はめんどくさがり屋なので煩わしいから呼ばなかったそうです。
私でいうと兄が亡くなったのに、兄弟の法事に駆け付けたいのに子供が私を呼んでくれずに法事をする、というカタチです。さすがにそれはちょっと寂しいですよね。
きっと、その住職さんは「故人は誰か特定の人だけの存在ではないから、広いつながりを感じ取ってほしい」という意味も込めて、深い意味で言ったのではないと思います。
(^<^)情報って、どんな角度からでもキャッチできるじゃないですか。
たとえば法事で坊さんが「家事は夫こそがやるべきである」という話をしたとします。
それを聞いて。
1夫側は、仕事があるのにそりゃキビシイよ。(-_-メ)
2妻側は、やってくれると助かるわ。(^<^)
3子供は、よし、ボクは結婚したら家事を手伝おう。(゜-゜)
4他の女性は、そうよね、うちの亭主に言ってほしいわ、とガス抜きになるかもしれません。
5他の方は、そうそう、支え合うことって大切…、と受け止めたかもしれません。
色んな効果、いろんな薬効成分があるのです。
単純に、お坊さんが話をするのは、何らかの意図があってするのであって、あなたをさらし者にしようとか、悪く言うようなものではありません。
お寺としては、檀家さん方のご家族が、お寺の法事や、お墓参りなどを通して親密になっていただきたいと願っているのです。ですが、現代家庭事情は逆行しています。
質問者様は、事情があられたから、親族葬をされたのであって、そういう意味ではなかった訳ですし、あまり気になさらない方が良いと思います。(^<^) 
私がその方に変わってお詫び申し上げます。
不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。

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おきもち

浄土真宗さんの場合における葬儀の意義

見通し未設定様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度の説法の内容に対しての憤り・・誠に最もなることであるかと存じます。

ただ、浄土真宗さんの場合における葬儀の意義と致しましては、供養というよりも、亡くなられた方とご縁の深くあったご遺族、参列者の皆様と共に仏恩に報謝するという側面が強くあるため、阿弥陀如来様や親鸞聖人の教えとの有り難いご縁(仏縁・法縁)をできるだけ大勢の皆様と共に分かち合い深めたいという想いがどこか説明不足にもこの度の説法にて現れてしまわれたのではないかと推察致す次第でもございます。

とは言え、昨今の世情や事情等も鑑みて、もう少し配慮を持ってその意義についてのお話をなさられると見通し未設定様もご納得するところがあったのではないかとは存じております。

以前には、家族葬に関しまして、逆に最後のお別れができなかったことへのご質問もございました。

問い「家族葬について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002953906.html

「・・ご葬儀の形態については、もちろん、費用・時間・煩雑さ等、現実的な葬送に係る問題も色々と控えてはございますが、できるだけ、故人、遺族はもちろん、縁故者・参列者たちにおいても納得・満足の頂けるような形にて調えて参りたいものでございます。・・」

また、拙生のお葬式に関しましての見解につきましては、下記の各問い、拙論の内容もご参照頂けましたらと存じます。

問い「お葬式」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004470067.html

問い「御葬式について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002959881.html

お葬式・葬儀に対する拙個人的見解の補足について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/644562be202e5ab9e6208d8f6b7d6b96

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

>なごみ庵 浦上 哲也様
解答有り難うございます。抱えていた悩みへの回答も確かに受け取りました。
そして1人でも手を合わせてくれる人がいればそれで良い という当たり前のことを見失っておりました。
仕事柄見てくれる人を欲することを多く望んでいた時だけに、思い出させていただき感謝いたします。
  
出身ですが、この質問自体が親族にバレると怒られそうなので、双方ともに九州の田舎の方とだけ書いておきます。年忌が行われた方の仏さまは生前の功徳もあってか、家族・親族・そして地域の方々が一丸となって葬儀が行われておりました。
  
そんな地域柄だからこその考え方の違いかもしれません。あるいはお坊さんの焦りやこれまでにありえなかった状況への不思議感もあったのかもしれません。
それでも納得がいかずに内に抱え、ここでようやく吐き出せました。それだけでも有り難く感じております。

>正善寺 藤堂尚夫様
お礼が遅くなり申し訳ございません。
まず、おっしゃられるように『「安く済むなら安く済ませよう」という発想』があるのではというのは私も薄々感じてはいます。もちろんそれ掘り返すことを憚られているため、謎のままです。
ただ、祖父(既に逝去)が地元でも著名な方と聞き及んでいるので、1のような事態も考えられたのかもしれません。

事情は知っているものの、実際に話そうとすると口をつぐむような素振りを見せるため、親族との話は難しいかもしれません。
しかし、帰省の際に説法をくださったお坊さんとは今後も会うことになるのは確かなので、一度話を行うよう取り組んでみます。
内情踏まえたご回答、ありがとうございました。

「お寺とのトラブル・嫌なできごと」問答一覧

住職さんが怖かった

生前沢山可愛がっていただいた親戚のおじいちゃんが亡くなり、葬儀に参列して来ました。その時の住職さんが怖かったので、相談させてください。 先日、親戚のおじいちゃんが亡くなったと連絡が入り、ショックでした。 お葬式の時にきちんとお別れしよう。と思い、お寺に向かいました。 お寺に付き、葬儀が始まりました。住職さんは真っ赤な服を着てだるそうに部屋に入ってきました。服が真っ赤だった事も驚きですが、あまりにもだるそうでしたので、「お疲れなのかな…?」と思いました。 住職さんは部屋に入り、遺族や参列者にお辞儀もお話もなく、一直線でお焼香台へ行き、お焼香をし、そのまま葬儀が始まってしまいました。普段お世話になっているお寺では、葬儀が始まる前に住職さんから一言挨拶が必ずあったので驚きました。 その後、滞りなく葬儀は進み、住職さんから「お焼香。」と一言あり、遺族の方がお焼香台へ向かいました。コロナ禍でお焼香は遺族だけに絞るお寺もあると聞いていたので、私達は行っていいんだろうかと他の参列者の方とソワソワしていました。そしたら住職さんがお経を読むのをやめ、「何してるんですか?続いてください。」と怒ったように発言し、怖かったです。 その後、何とかみんなお焼香を済ませ、住職さんから「これで葬儀は終わりです」などの言葉はなく。黙って座った状態で恐らく葬儀が終わりました。喪主が え? という風にキョロキョロしてると、住職さんが「ご挨拶。あるならしたら。やるなら今やって。今しか時間ないよ。」ときつくいいました。喪主が「孫から祖父に向けた挨拶もあるのですが…」と伝えると「は?なに?」とすごく大きな声で聞き返し、喪主の人がもう一度伝えると「それ必要?」とバッサリ… 結局お孫さんからの挨拶はなく、喪主が手短にご挨拶をして終わりました。喪主がお話している時、住職さんはいそいそと片付けをしていました。 その後、四十九日法要も続けてやったのですが、その時の住職さんの服装もミントグリーンのすごく派手なものを身に付けていました。 お疲れだったのかもしれません。でも、最後のおじいちゃんとのお別れが台無しにされたようですごく悲しかったです。 このような方が住職でいいのでしょうか? また、法要の際に住職さんが派手なお色の服を着ていいのか。法要ごとに服を変える決まりがあるのか。気になったので教えて頂きたいです。

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回答数回答 2

お寺が性犯罪の温床になる危険性

 いつもお世話になっております。  私は、13歳から発心し、以来、様々なお寺にお参りしてきました。 長い間お寺に通ってきて、気が付いてしまった事があります。  「性的な野心を持って門を潜る男性信徒が多い」 ということです。  今まで参詣した全てのお寺で、 ・突然見つめてくる者 ・堂内がガラガラに空いているのに、わざわざ距離を詰めて向かい 合わせや隣に座ってくる者 ・後をつけてくる者 ・声を掛けてくる者 ・ナンパをする者 このような、恐ろしい淫魔のような男たちに遭遇してきました。 一人や二人ではありません。  目撃者になったこともあります。そのときは無知だったので、 被害女性を助けられませんでした。  最後は、私自身が実際に最近被害に遭いました。しかし、 地元警察の生活安全課様が懸命に対応してくれ、難を逃れることが でき、感謝しています。  私は、戦うことを決めました。お寺で少しでもそのような 動きをする者がいれば、110番をしてお巡りさんに怒って もらいます。お巡りさんはプロなので、加害者は言う事をきく ほかありません。  今回対応してくださった刑事さんも、私がこの話を告げると、 「なるほど。何かに縋りたい方が行く場所ですから、そういう事も ありえるかもしれませんね」 とおっしゃっていました。  世間一般では、 「若い人がお寺に行くのは、大きな悩みがあり、弱っていて、 自分に自信がないから」 と認識されています。事実そうです。それに乗じて、邪な 男たちが活動するのです。  「私なんか、ナンパされる器量じゃない」 「お寺に悪い人は来ない」 「私なんか、誰も友達になってくれない」 そう考える彼女たちに、まず挨拶から近づき、若いのに偉いね、 とおだて、世間話をして懐柔します。彼女たちは、 「こんな私でも、友達になってくれる人がいる」 と油断します。男は、そこで、 「今度ゆっくり話そう」 と言って個人情報を聞き出し、連れ出し、加害に及ぶのです。  先程、全日本仏教会様に意見しました。こういう事が起きている ので、お寺に対策を、信徒に注意喚起をしてくださいと投書しました。  私は、どうしても許せません。お坊様方にも、何某か活動して いただきたいです。  先生方は、どうお考えでしょうか?

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住職である両親の態度に怒りが収まりせん

以前、寺の跡継ぎであった私と妻に対する、私の両親をはじめとした寺の者達の態度に納得がいかず、相談させていただいた者です。 いただいたご助言もあって、現在は、実家の寺を離れる事に踏ん切りが付き、実家と関わりを断って生活していく事を決めています。 しかし、関係を断って暮らす前に、残しておくと面倒事になりそうな事を父にメールで確認していた時の事でした。 「私が生まれてすぐに跡継ぎに指名していたくらいだから、後継ぎがいなくなる事は寺にとって大問題なんだろう。私が辞めた後、どうするつもりなのか聞かせてくれ」と私が問うと「跡取りを辞めたお前には関係ない」と父から切り捨てられました。 しかし、私は「物心がつく前から親に勝手に」寺の跡取りにさせられて、成人してから継ぎたくないなら継ぎたくないと言えば良かったと言うのは正論ですが、生まれてからずっと受けてきた親からの精神的呪縛を解くのは容易ではなく、そもそも跡取りになろうとしていたのも檀家さんの為、親の為に選んでいた事で、「私個人が住職の仕事を継ぎたいか継ぎたくないか」等という単純な理由ではないのです。 そして跡継ぎを辞退するに至った理由も私のわがままではなく、最後まで自分が継ぐ為に実家と話し合おうとして、それを拒否したのは両親なのに「”お前が”辞めると決めたのだから」もうお前には寺は関係ないと切り捨てられたのです。 実家の寺は単純に切り離せるものではなく、理不尽に関わらされたとはいえ私の人生の一部でした。 それを親から突然「もう関係ない」と言い捨てられたのは、半身をもぎ取られるような思いでした。 いくら跡取りを辞退しようと「自分の意志とは関係なく生まれながらに寺と関わらざるを得なかった人生」の私には、父達が今後の寺をどうやっていくつもりかを聞く権利があると思っています。 しかし、それは実家と揉めた事で私の精神がねじ曲がってしまっているのかもしれないとも感じています。 もう寺の事などは気にしないで自分の人生を生きた方が良いとはわかっています。しかし、上記のような思いがあり、寺を気にしない生き方がわからないのです。 今回は言われたのがメールだったから良かったのですが、目の前で直接言われていたら、私は父を殴っていたかもしれないと思う程でした。 そういう自分がとても怖く、気持ちを切り替える術が何かあればご助言いただきたいです。

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旦那の不倫相手にどう考えていくか

閲覧有難うございます。どうぞよろしくお願いします。 すでに離婚も裁判も終わっているのですが、旦那がイベントで知り合った僧侶と不倫をしました。 私は、結婚していても他の人を好きになってしまうのは自分ではどうにもできない、と思っており、発覚当初は二人が誠心誠意謝ってくれれば許そう。二人の結婚も祝福しようと思っていました。 しかし、裁判中、私を侮辱する発言や、寺ぐるみでの所得隠し、嘘の報告での減額の要請などがあり、結局は謝罪を貰うこともできませんでした。 誰かに吐き出したい。こんなことされた、あんな事言われたと言ってしまいたい。 ですが、親兄弟や友人に相談することもできず、死にたいと思っていても、私が死んだ後の事を考えると躊躇してしまい、死ぬこともできません。 そんななか、不倫相手が旅行に行ったり、楽しそうに他の方とSNSをしてるのを見かけると、なんとも言えない気持ちになります。 SNSを見なければいいのですが、仲良くしてくださってる方に、不倫相手の活動が好きな人がいて、どうしても耳に入ってくるのです。 彼女の僧侶としての活動は、誰かを元気にする有意義な活動だと今も思ってはいます。 しかし、僧侶としての活動と不倫は関係ないのに、どの口が法を説くのだろうか、と、否定的に捉えてしまいます。 彼女の活動は、本当に正しいのでしょうか? また、娘の不義と向き合うのではなく、共謀して、所得隠しまで手伝う住職のいる寺は、必要なのでしょうか? 私には必要ない、でも、誰かにとってはどちらも必要で大切なのです、その事実と折り合いをつけることができず、悶々としてしまっております。 不倫のこと、裁判でされた事を本山に訴え、何かしらの罰を受けてほしいと思っております。 その場合、プライバシーの侵害で、私が罰金刑等を課せられる場合もありますが、彼女に活動してほしくないという気持ちが強く、そうしてしまおうかとも思います。 彼女に活動は続けてほしくない、しかし彼女の活動で助かってる人もいる。 なにが正しいのかわからず、ずっと苦しい思いが続いております、どう考え、心に折り合いをつければいいでしょうか。 長文読んでいただきありがとうございます。 空行が反映されず、読みにくかったらすみません。

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住職に墓守を頼んだ結果

私の家は絶家の運命にあります。 ですが、家族だけで永遠に穏やかに安心して眠れるお墓を建てたいと思い、公営墓地にお墓を建てることにしました。 公営墓地は承継する人がいないと墓地の取得は出来ないとの事でしたので、お寺のご住職に相談したところ、墓守になってくれることを了承してくれました。 その後、墓地の申し込みをしました。 こちらも何もお金を出さないつもりではなく、父が残したお金の中から自分達に出来るだけのお金でお願いするつもりで、ご住職にどれくらい必要か、思い切って聞いた方が良いと思い、聞いてみたところ、とても支払えない高額な冥加金や懇志を請求されました。 墓地の修繕や管理にかかる費用は別です。 合計すると600万円を超える額です。 墓地代をすでに市役所に支払ってしまい、返してもらうことが出来ません。 こちらの家計の話をし、もう少し、なんとかならないか相談しましたが、払えないならこの話は受けられないとの一点張りです。 このようなことをお願いする場合、これくらいの金額は妥当なのでしょうか? もったいないですが、お寺さんに支払えないので、墓地は泣く泣く手放し、もうこのお寺様にはお参りに来てもらうのをやめるつもりです。 若い住職で普段からお金の話と他人の悪口や葬儀社や出入りの業者の悪口などを話し、故人の話やこちらの体調などを気遣ってくれる方ではありませんでした。 大切な家族を亡くしてから、体調を崩しているから月命日のお参りを休んでいたのですが、少しの時間我慢できないのか?とかずっと月命日はお参りした方がいいと思うよ、成仏出来ないよ、と言ってきました。 同じ職業の方の悪口になり申し訳ありませんが、皆様のご意見をお聞かせ頂けませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。

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生霊か神通力、お寺の方との関係、家の供養

感応 思念の伝達のようなものを感じます。 お寺の方からよく思われておらず、そこの一家から中傷の言葉をよく感じ取ります。 こちらが悪いことを言ったちゃんとした生き方や性格をしてないから快く思われていないという理由も、私自身の性格の汚さが原因なのだろうとは思います。 心の中なので汚く罵りました。 私のことなど、何をしているのか見られているようです。   また、おりんを鳴らしたら知らない女性と見えないもので繋がってずっと詰られていたこともあります。 その女性のことをお寺の人は擁護しました。 直接は聞けていないです。 一応薬は処方してもらってますが効果があるのかは体感としては分かりません。 ずっと批判されている中傷軽蔑嘲笑されているようで、精神的に怒りがおさまらないこともあります。理不尽に感じます。 こちらから心の中で、なじって軽蔑嘲笑したことがあります。 心の中でその人の意思が出てきて声を聞く、など体験しました。 寝ている時に夢の中や起き抜けや入眠前の微睡で声はよく感じます。 お寺の方にご供養のことや御供えの仕方など子供の頃に聞けなかったことが後悔です。 まるで神通力?霊視?のようです。 心臓にダイレクトに来て辛い時があります。 全てを環境のせいにするあなたにわかりません、と言われたのを感じました。 ふとした時にふわっと考え事をしている時に、地獄に堕ちろ、という声が響いて驚きます。 衝撃で勝手に決めつけられたように感じ、それを感じ取り悲しみと怒りで心の中で詰りました。 悲しさと傷と過去のこと、どうしたら良いのかわからなかったことも一方的にキツく言われているのを感じました。 心の中に響きます。 自分自身の汚さもよく感じました。 家の供養のことなど正しい行いを聞かなかったことが自分自身で悔しいです。 おかしなことが起きた時にお寺の方はそれを正しいのだと認めることを言っていたように感じます。 間違えたことはしていない、とも言っていました。 お寺の方と対立し、忌み嫌われたことが悔しいです。 取り留めがなくてすみません。誰かに言いたかったです。

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院内得度しましたが、お寺に行きたくない

ご縁あってあるお寺に通うようになりました。元々神仏様はとても好きで、興味がありました。お経とか読めたらご先祖供養が出来て素敵だなーと思ってました。御住職の法話や説法がよくて1年くらい通ったある時、院内得度の話しがでました。しかし自分は自営業を営んでおりますし、お坊さんになるつもりはなかったのですが、『得度をすると先祖供養にもなるし、たまにお寺に来てお手伝いをしてくれるだけでいいから』と言われ、院内得度をしました。しかし、得度して早々直ぐに叱られたり、月の10日くらいはお寺に行かなくては行けなくなり、自営業の方に影響が出るようになり、気持ちがモヤモヤ、うつうつするようになってしまいましま。でも、得度をやめた人の末路は最悪だと言われたり、神仏を怒らせる事になると言われ怖くて辞めるなんてとても言えない状況です。本山得度は考えておりません。自分は自営業の仕事が好きだし、仕事をもっとやりたいのですが、半ば脅されてる感じです。自分以外にも数人仲間がおりますが、皆、こんな筈じゃなかったと落胆してる始末です。少し福住職(奥さん)の気に触ると集中攻撃されて皆泣かされております。だから仲間は皆、副住職の目を気にしながらオドオドするばかりで、何のためにやってるのかわかりません。お二人が旅行などでお寺を空ける時は仕事が休みの人にお寺のお留守をしないとなりません(皆仕事をもっております)。当然のことながら日当などは出ません。副住職曰く、『お寺でお手伝いが出来るんだから徳の貯金が出来る有り難い事です』と言われます。 最近は家族から呆れられて行かないでくれと言われます。もう辞めたいです。でも辞めたら祟られそうで怖いです。

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ