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法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

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先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。
その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、
(忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。

その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。
つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、
『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。

ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。

身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。

また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。
その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。
(今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。)

不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。

余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。
もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大きいなりの、小さいなりの

見通し未設定さま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
私は浄土真宗の高田派という宗派に属していますが、僧侶としての学びは本願寺派の仏教学院に通っておりましたので、参考としてお聞き下さい。

見通し未設定さんの帰省先がどこかわかりませんが、都市部から葬儀の少人数化、簡略化の波が広がっています。

私は今日、全国各地のお坊さんが集まる勉強会に参加してきたのですが、地域によって葬儀の雰囲気は大きく異なるのだな、と感じました。
複数の僧侶が読経し、百人以上が参列するのが一般的な地域。
僧侶は1〜2名で、家族親族で葬儀をする地域。
僧侶を呼ばず、数名で火葬のみ行うのが珍しくない地域、と様々でした。

私も大小さまざまな葬儀を経験しています。私自身の感想としては、大規模な葬儀は大きいなりの、小規模な葬儀には小さいなりの、良い点もあれば、気をつけなければならない点もある、ということです。

見通し未設定さんが不快を覚えたような、「小規模だから不幸、傲慢」とは全く思いません。
たとえ1人でも、心を込めて手を合わせてくれる方がいれば、それでいいのではないでしょうか。いや、その1人すらいなくても、仏さまは暖かく迎えて下さるのだと、私は信じています。

もしかするとその僧侶は、今まで大規模葬儀が一般的だったのに、最近小規模葬儀がポツポツ出てきて、社会の変化に対し焦りを覚えているのかもしれません。
一般の方の気持ちを推し量ることが出来ないような僧侶が存在することに、申し訳なさを覚えます。

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有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

お寺さんとお話しください。

私も本願寺派ではなく、真宗山元派ですが、気になる質問でありましたので、書かせていただきたいと思います。

小さな葬儀が多くなりつつあることを、都市部とはいえない私の寺の近くでも感じております。

お寺さんの真意は、文面だけではよくわからないところもありますが、私なりに補って回答させていただきます。

葬儀には、重要な意味があります。
1,社会的な意味での、周りの人とのお別れという意味、
2,親族その他、個人に関係する人たちが、その人の死を受け入れるための儀式という意味。

最近よく言われている小さい葬儀というのは、「安く済むなら安く済ませよう」という発想から選ばれるような気がしてなりません。

1.については、故人の死を知らせなかったために、後から家に故人のゆかりのある人がたくさんお弔問にお見えになり、かえって大変だったという、笑えないような話を聴いたことがあります。

ある方の死は、親族以外の多くの方にとっても、大きな出来事です。
葬儀は、ある意味で、その死の意味を、故人と関わりのあった人々が共有できる場でもあります。
小さな葬儀の選択は、もしかすると、こういう場を多くの人から奪っているのかもしれません。

2.については、葬儀の大きさではなくて、葬儀に関係する人たちが感じた、葬儀の質の問題かもしれませんね。
充分な儀式をすることがなかった、ということであれば、故人との充分なお別れができなかったと、心の底に思いが残ることもあるかもしれません。

お寺さんの単なる誤解ということもあるかもしれません。

親戚が亡くなり、私も悔やみに行き、僧侶としてお勤めをさせていただきました。
そのことがありがたかったという意味で、親戚のものが、お手次のお寺さんに話したのだそうです。

「それはお手次のお寺の仕事だ。」とそのお寺さんは言われたそうですが、僧侶としてそういう場に赴いたなら、お経をあげることは当然だと思いますが、仏壇の前で読経をしたという事実が、伝えるときの言葉の不十分さ故に誤解を与えたのだと思います。

そのお寺さんが葬儀についてどういう考えを持っておられるのか、親族はどのように葬儀を受け止めているのか、一度忌憚なくはなされたらいかがでしょう。

案外つまらぬ誤解から生まれたことのように、私には思えます。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職

どうとも取れる話を苦しみのタネにしない方が良い

先日お一人だけの法事がありました。
亡くなったその方には兄弟がいるのですが、たった一人だけで49日の法事をなされました。
亡くなった人の子供(40代)が身内をよばず、たった一人です。
その人はめんどくさがり屋なので煩わしいから呼ばなかったそうです。
私でいうと兄が亡くなったのに、兄弟の法事に駆け付けたいのに子供が私を呼んでくれずに法事をする、というカタチです。さすがにそれはちょっと寂しいですよね。
きっと、その住職さんは「故人は誰か特定の人だけの存在ではないから、広いつながりを感じ取ってほしい」という意味も込めて、深い意味で言ったのではないと思います。
(^

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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

浄土真宗さんの場合における葬儀の意義

見通し未設定様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度の説法の内容に対しての憤り・・誠に最もなることであるかと存じます。

ただ、浄土真宗さんの場合における葬儀の意義と致しましては、供養というよりも、亡くなられた方とご縁の深くあったご遺族、参列者の皆様と共に仏恩に報謝するという側面が強くあるため、阿弥陀如来様や親鸞聖人の教えとの有り難いご縁(仏縁・法縁)をできるだけ大勢の皆様と共に分かち合い深めたいという想いがどこか説明不足にもこの度の説法にて現れてしまわれたのではないかと推察致す次第でもございます。

とは言え、昨今の世情や事情等も鑑みて、もう少し配慮を持ってその意義についてのお話をなさられると見通し未設定様もご納得するところがあったのではないかとは存じております。

以前には、家族葬に関しまして、逆に最後のお別れができなかったことへのご質問もございました。

問い「家族葬について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002953906.html

「・・ご葬儀の形態については、もちろん、費用・時間・煩雑さ等、現実的な葬送に係る問題も色々と控えてはございますが、できるだけ、故人、遺族はもちろん、縁故者・参列者たちにおいても納得・満足の頂けるような形にて調えて参りたいものでございます。・・」

また、拙生のお葬式に関しましての見解につきましては、下記の各問い、拙論の内容もご参照頂けましたらと存じます。

問い「お葬式」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004470067.html

問い「御葬式について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002959881.html

お葬式・葬儀に対する拙個人的見解の補足について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/644562be202e5ab9e6208d8f6b7d6b96

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

>なごみ庵 浦上 哲也様
解答有り難うございます。抱えていた悩みへの回答も確かに受け取りました。
そして1人でも手を合わせてくれる人がいればそれで良い という当たり前のことを見失っておりました。
仕事柄見てくれる人を欲することを多く望んでいた時だけに、思い出させていただき感謝いたします。
  
出身ですが、この質問自体が親族にバレると怒られそうなので、双方ともに九州の田舎の方とだけ書いておきます。年忌が行われた方の仏さまは生前の功徳もあってか、家族・親族・そして地域の方々が一丸となって葬儀が行われておりました。
  
そんな地域柄だからこその考え方の違いかもしれません。あるいはお坊さんの焦りやこれまでにありえなかった状況への不思議感もあったのかもしれません。
それでも納得がいかずに内に抱え、ここでようやく吐き出せました。それだけでも有り難く感じております。

>正善寺 藤堂尚夫様
お礼が遅くなり申し訳ございません。
まず、おっしゃられるように『「安く済むなら安く済ませよう」という発想』があるのではというのは私も薄々感じてはいます。もちろんそれ掘り返すことを憚られているため、謎のままです。
ただ、祖父(既に逝去)が地元でも著名な方と聞き及んでいるので、1のような事態も考えられたのかもしれません。

事情は知っているものの、実際に話そうとすると口をつぐむような素振りを見せるため、親族との話は難しいかもしれません。
しかし、帰省の際に説法をくださったお坊さんとは今後も会うことになるのは確かなので、一度話を行うよう取り組んでみます。
内情踏まえたご回答、ありがとうございました。

「お寺とのトラブル・嫌なできごと」問答一覧

納経所にいるお坊さん

皆様がこの不安な世の中を生きるために苦しい胸の内をご相談されているなか、このような質問をするのは忍びないですが、是非ともお教え願いたいです。     最近、神社やお寺をお参りしていて、四国に住んでいるのもあり、四国霊場のお寺を順番は関係ないですが行ける時に行ける範囲の所へ足を運んでいます。       昨日、子供たちを旦那が見ていてくれるというので、少し距離はありましたが香川のお寺にお参りにいきました。 14時を少し過ぎて到着し、御朱印帳を用意して納経所へ行ったのですが誰もいらっしゃらず、インターホンがあったので鳴らしました。 次にお寺に行った時はお線香をあげさせてもらいたいな、と思っていたので、初めてだし質問してみようかなとワクワクしながら待っていました。 すると別の建物から若め?のお坊さんが出てきてくれたのですが、あからさまにめんどくさそうな顔をされ、会釈をしても、お願いしますと声に出して言ってみても無視され、御朱印帳もぱっと取られ、お釣りの小銭も御朱印帳の上に置いて返されました。 お礼はなんとか言えたのですが、内心すごくショックで、お線香のことも聞くに聞けずでした。 自分なりに大事にしている御朱印帳なので、小銭置きにされたのは正直腹が立ちましたし、それなりの時間をかけて子供たちも旦那に預けてお参りに行っていたので本当に残念でなりませんでした。       しかし家に帰る途中、ひょっとすると神社とお寺の御朱印を一緒にしていたのがいけなかったのかな、それとも緊急事態宣言が解除されたとはいえ、このご時世の中来ないでほしかったのかな、と頭によぎりました。     今まで行ったお寺では、特に何を言われるでもなく、ようお参りくださいました、とまで言ってくれる方もいたので、謎です。   もしかして、14時くらいからお坊さんのお昼ご飯は始まるのでしょうか。   なにか私に悪いところがあれば、納得もいきますので、どうかお教え頂きたいです。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

小さな冤罪

彼岸会に参らせて頂き、別院で2時間程の行事に参加した後の事です。 本殿(観光地となっています)前の野外で親子で順に1人づつお線香に火をつけていた時、本殿の奥から 「あんたお金払わないといかんよ」と怒鳴られました。あぁ、間違いかな と思い「払いましたよ」と応じたところ 「ずっと見ていたから払っていないの分かるよ」「悪い事はしたらいかん」「この人が払ったよ、見とった あんたは払っていない」 と、こちらが いついつこういう形で払ったという度に表に出てくる事なく中から大声でおっしゃるので、本殿の中に入りお参りするのも悲しく辛い状況になりました。 「この人が払ったのは見た」という、この人とは私の家族です。家族でひとりだけお線香代をくすねる訳無いと思うのですが。 お線香代は、良心販売方式で箱に100円入れる様になっていて本殿中からは3M以上離れています。 同行していた幼い子がお中日のお線香初体験を楽しんでいましたので、この子に気持ちが落ち込んだ事が伝わってはいけないと思い本殿にすすみ手を合わせましたが、疑いをかけた人物は不審な者を追うような目で睨みを利かせていて怖かったです。 まだ昨日の事なので、幼い頃から親しんだお寺に怖い印象が湧いてしまいそれが悲しく辛いです。どの様な心持ちで思い直せば良いのでしょうか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

月命日に来られるお坊様。

4年前 大学卒業間近の息子を事故で亡くしました。あまりにも突然の死を受け入れ事は出来ず、未だに涙する日々ですが、毎朝、お仏壇にお花、ご飯、コーヒーをお供えしお線香を上げて、「我が家に生まれてきてくれてありがとう。亅と語りかけています。友達も多かったので 帰省の折には、必ず我が家にお参りに来て下さり、お線香を上げ息子を偲び、私の体調を心配してくれます。 優しいお友達に恵まれて、本当に幸せな21年間だったのだなあと思います。   お坊様にお聞きしたい事は、月命日に 来て下さるお坊様が、お供えしてある お土産や本、手紙などを、当たり前のように、手に取って、中をみたり読んだりされるのが嫌で、辞めて頂きたいという相談です。 お茶を出すために、席を外し戻ってきたら、遺品の財布を開けられている事もありました。お坊様だから勝手に触る権利はないですよね。その方個人のモラルだと思うのですが、お坊様が来られる日は、お仏壇の周りには、何も置かないようにしています。   ところが、先日お茶を持って部屋に戻ってきたら、息子のパスポートを見ながら 「あちこちの国に行かれたのですね。」 とー 床の間の端に置いてあったパスポートや 本を離れている場所から持ってきたようで、パラパラめくっている所でした。 悪意はなく、ただ興味本位でされている様ですが、不快でたまりません。 実はお経を上げている時も、珍しいものがないかと、首がぐるぐる回ってあちこち見ているのが、後ろに座っていてもわかります。世間話でも、自分の息子の話をされているので、配慮のない方だなと悲しくなります。 主人の家が長くお世話になっているお寺ですが、月命日の日が本当に憂鬱です。 主人は、私以上に悲しみの底にいて 未だに、お墓にも行けず、お仏壇にもお線香を上げる事はできない状態ですので、相談もできません。 私が、神経質なのでしょうか? 出来れば、月命日に来られる方も、他のお坊様に変えて頂きたく思っています。 どうか、良いアドバイスをお願いします。 長文読んで頂き、ありがとうございました。

有り難し有り難し 51
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お通夜での出来事が許せません

先日、父が亡くなり親族葬を行いました。 突然の死でしたので残された家族と共にバタバタしながらも、父や列席していただいた方々に失礼のないよう努めてまいったつもりです。 そんな中、お通夜のお焼香の時に一人ずつ順番に出て行ったところ、お坊さんのお経の方が早く終わってしまい席を立たれてしまいました。さすがに退場されることはありませんでしたが、その時にお坊さんが「もっと早く出てこなあかん!お焼香は喋るとこちゃうよ!」とお怒りになられました。 喋るというのは恐らく、親族の方々が順番が来て前後の方と「どうぞ」「ありがとうございます」とやり取りされてたことだと思います(狭い会場でしたがそれ以外に会話は聞こえませんでした)。 たしかにお焼香は一人ずつ席を立たず前の方の後ろに並んで途切れることなくすべきだったのかもしれません。お葬式に不慣れとは言え、お坊さんにとっては無作法で失礼に値することだったのかと反省するところはあります。 しかしながらお通夜にも関わらず高齢の親族へ声を荒げられたお坊さんに対し、憤りを感じてしまったのも事実です。 故人である父はこういう場面だと「皆さん足元気ぃ付けておいでください。」と親族を気遣うような人です。その父に背を向け親族を怒ったことが許せませんし、父の通夜を、列席していただいた皆様の思いを侮辱されたような気分です。 何より喪主である母が「こんなことになってお父さんに申し訳ない」と落ち込んでいるのが辛いです。 いまだに気にしてしまっていること自体、父に失礼なような気もしますし、それよりも父を思う気持ちが大事だということは分かってはいますが、この出来事がなかなか頭から離れません。 我が家はお坊さんのお寺の檀家で、これまでも長く付き合いがあり、これからも顔を合わせることはあると思います。 どうやったら落ち込む母を励まし、またこの出来事を乗り越えて、今後もお坊さんとわだかまりなく付き合えるのでしょうか。

有り難し有り難し 34
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法要時、肝心な箇所を間違われたら?

初めて相談をさせて頂きます。宜しくお願いいたします。 先日親戚の四十九日法要と納骨がありましたが、その際に僧侶の方が「参列者の名前を間違えて唱える」という場面がありました。 ※卒塔婆を立てる参列者の名前を読み上げていったのですが、私の家族全員が「名字」を誤って読まれました。 ※私の名字は、故人が生前 結婚する前まで名乗っていた旧姓でもあります。また故人は生前私達の家に対して大きな愛情を持って接して下さいました。 ※墓所と法要を行ったのは葬儀会社が運営する霊園です(今回の僧侶の方は霊園職員の方が手配。霊園と提携するお寺のようです) 亡くなる直前まで私達の家族を愛して下さった親戚。私の家族もまた故人を愛していましたし深く感謝しています。だからこそ今回「名前を間違われた」事は悔しく感じました。 法要後、思わず僧侶の方に『恐れ入りますが名前を間違われて読み上げられました。▲▲(間違った名字)ではなく、●●(正しい名字)です』と申し出てしまいました。 しかし僧侶の方は「じゃあ墓前納骨時に言い直しますから」という『軽くあしらわれた』と感じる言動を取られました。これには参列者一同唖然となりました。 今日の為に必死に準備をしてきた施主や関係者全員、そして私の家を心から愛してくれた故人の事を思うと…あの言動は非常にショッキングでした。 納骨時には正しい名字で言い直してお経を上げて下さいましたが、参列者全員わだかまりが残ってしまい非常に残念です。 実は前回、祖母の回忌法要においても同様の事件がありました(回忌数を間違われて読み上げられた) 連続して類似問題が起こり、悲しさと憤りを抱いてしまいました。 霊園職員の方には「2度連続で誤って進行された」と抗議したので次回以降はこのような事がないよう願うばかりです。 さて、このような事態を経験してしまったのでお伺いしたいのですが、法事の席で僧侶の方が名前や回忌数など「参列者にとっての重要点」を誤って進行する事はあり得る事なのでしょうか? またこのような誤りがあった場合、参列者はどのような対応を行うのがベストですか? そして…故人に対する供養はどうすれば良いでしょうか?今回はモヤモヤが残るような法要となってしまい…故人に申し訳ない思いがあります。 稚拙な文章で恐れ入りますが、お知恵を拝借願えますと幸いです。宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

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