「苦」も真如なのでしょうか?
センジョウ男性/20代
分別(ふんべつ)やその分別から生ずる苦しみも悟りの現われであり、禅宗における“仏性”の一様であるのでしょうか?
また、もしその通りであるのだとしたら、それを疑いなく自覚するためにお坊さんである皆さまは、日々どのような修行を行ってらっしゃるのでしょうか?
私の煩悩:
自分の納得がいくまで、物事や行いに対してこだわってしまう。
この問答を娑婆にも伝える
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感覚および主体の視点というご質問も拝見しましたか
苦は人によって感じ方や認知が変わる相対的なものである。と私は理解してます。
苦は仏性より物騒。真理より心理に違いものかなと思います。
私も禅師のお言葉から学びたいです。
{{count}}
有り難し



特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。
このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。
話すことだけが人生の目的ではありません。
言葉が浮かばないときは、
ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。
日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、
ひととき身を離れるための「避難の時間」として
この場を使っていただくこともできます。
僧侶である私は、何かを答える人というより、
あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、
静かに同席する存在でありたいと考えています。
話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。
この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。
なんまんだぶつ。