私は還俗すべきでしょうか?
このサイトにくるのもしばらくぶりになります。私は寺の生まれで、後継ぎとして育てられたから、仏教には親しみを感じて育ってきましたが、好きなこと本当にやりたいことは他にありました。
最近仏教の専門書はだいぶあったのを、実家の寺に送り返そうかと思っています。大量の本仏教書だけは処分するんじゃありませんよと母が言っていたから。
最近仏教のSP盤聞いて思ったんです。懐かしいなとは思えど、唱えたくないなと。今の坊さんの魚酒肉とか女とかの事情は在家とはあまり変わらない部分がありますが、(これは宗派によって違うかもしれない。私は浄土宗です。)
これは還俗したほうがいいんでしょうか?また還俗は最近その概念がなくて僧籍返上というらしいですが、これはどうでしょうか?
一遍上人は(私は元時宗)還俗したあと再出家したそうですが、そういうこともまた可能なのでしょうか?
余談ですが、私の妹たちも得度を受けて?受けさせられて?いましたが、僧籍登録は妹たちはしなかったそうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
道心。求道心をもつ。発心。菩提心をおこす。
私も含めてテラノムスコ坊さんに関して感じることは「菩提心がない。宗教心がない。」ことです。(私も含めて)
あなたの場合はこれをきっかけに菩提心を本当に心の底からふるいおこせばよいでしょう。何やってんだ?俺と。周りを見回してみてください。たまーたま「寺に生まれた」というだけで、なんとなーく坊さんやってる人も多いでしょう。ぶっちゃけどこの業界も同じですよ。政治家・農家の息子さんだからって本当にいい政治・農業をやろうとは思う人は少ない。農業であればめんどくせーからと事務的農業でドローンで農薬散布で楽して遺伝子組み換え農業をするような悪魔に魂を売る人もいるわけです。農業愛、食品愛、人類愛がない。大地愛、自然愛のない農業。同じように仏教愛、人類愛、菩提心が生じないけどお坊さんみたいな。求道心があまり生じないけどお寺の息子だとか。私も学生時代はそんなもんでしたよ。
本人に人生がひっくり返るようなことが起こらない限りなんとなーくぬくぬくと坊さんをやっちゃうんじゃないでしょうか?医者の息子が家の金でイイところの大学に入って本当は医療なんてやりたいわけでもないのに親の跡を継いでグダグダな医者をめざすような。(あなたのことではありません。どこの業界にもいえることです。)
宮大工の「匠」の世界でも本当に心底やろうという熱意がない限り続かない、ものにならないそうです。
道元禅師も若い頃は世のため人のため自分の為に求めていた時期もあったのですが中国で「お前さんは何のためにそれをやるのか?」と徹底的に追及されて目が覚めたそうです。
あなたも自分に問うてみることです。
人の為でもない。
自分の為でもない。
世の中の為でもない。
ただ、最高のことそのものの為に。仏法そのものの為にとはどういうことか?
わかりやすく言えば、画力の天才さんがマニアウケな㊙絵ばかり描いていたとします(知人にそういう人がいます)。それは、それでその世界ではウケるのでしょうがチョット才能の無駄遣い的な…面も感じます。誰もがひきつけられるような素晴らしい画力をお持ちであれば、もっと他で重宝されてもよいはずでしょう。人々の人間性を高めるようないい映画やドラマに用いられた方が名作化するという事もあるでしょう。それぞれの才能+菩提心に花を咲かせる。あなた自身の才能を他に活かしたければお寺を才能のある方に譲るもよし。再出発も可能です。
形はどうあれ
拝読させて頂きました。
あなたが還俗なさるか僧籍に残るかでお悩みなさっておられることを読ませて頂きました。詳細なあなたの状況やお気持ちはわからないですけれどもあなたがその様にお悩みなさっておられるお気持ちはわかるように感じます。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
あなたは既に仏様の教えをお受け取りなさっておられてお釈迦様・善導大師・法然上人のお念仏の教えを受けとっていらっしゃします。
世間的なことや生活面でのことはどの様になさっていくのがいいのかわからないですけれども、あなたは今までもそしてこれからも仏教者であり念仏者であることに何ら変わりはないと思います。
詳細は法然上人のお言葉にあると思います。
どの様な状況であってもどんな生き方であっても私達は一人の小さい凡夫であり念仏者であると思います。
様々な生き方の中で改めてあなたの信仰も深まっていくのではないかと思います。
またあなたがこれから求めていきたいことややっていきたいこともあるかとも思います。
形式にとらわれるよりもあなたが穏やかに素直に生きて、仏教を信じながらお念仏おとなえしやすい生き方をあなた自身がご選択なさることが望ましいと思います。
あなたがこれからの未来を心穏やかに安心なさって仏教を信じてお念仏おとなえなさって下さいます様にと心より祈っています。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お返事ありがとうございます。心より応援してますね。毎日を大切になさって下さいね。至心合掌 南無阿弥陀仏
法類の人数は大丈夫?
質問者からのお礼
空誉上人
温かい言葉ありがとうございます。「聖にて申されずんば、在家になりて申すべし。」ですね。なので私は還俗すべきなのか悩んでいたのです。
寺の仕事はしていませんので、還俗したと言えばしているわけですが。しかし、親である師僧の恩情で、寺を大病で休職して寺を出てはや16年。いまだ副住職の地位を解かれず、寺からお給金を頂いて、(つまりお佛飯を頂いて)いるわけで、申し訳なく思っているのです。
買ったけど読んでなかった「蓮門住持訓」を読んでいるところなんですが、いいことがたくさん書いてありました。祖父母を孝養するなら生活費だけにしなさいとか。確かに生活費だけ頂いているような感じです。
そのほかに障害年金も私は受給しているので非常にありがたい話です。それを無駄に使ってしまう自分に嫌気がさしています。趣味遊興費が大きすぎて、借金まであるというのは何かおかしいです。
そこをまず悔い改め、小欲知足を心がけたいと思います。重ね重ねありがとうございました。
丹下覚全さま(曹洞宗での敬称がわからないため)
厳しいお言葉をありがとうございます。私は『月刊住職』で知って以来、「ファンシィダンス」が原作・映画大好きなんですが、ああいう感じなんですかねー。
確かに大学はいってみて、ひどいところに来たと思いました。推薦入学で入ってきて、ただ、跡取りだから着てるようなひとばかりで、その交換条件にか、その当時高かった携帯電話もってたり、ブランド物のボストンバッグもってたり、やたら生活は派手でしたね。
それが修行に行って目覚めるって話で憧れて、曹洞宗さんでは、大学卒業後1年間は永平寺か総持寺で修業しなくてはならないとのことでしたが、浄土宗では大学中に3週間の修行を終えればいいのですが、3日風邪で休むときに特別に医者に連れて行ってもらって、なんとか下山を免れました。
その当時の加行日記が最近部屋から出てきたので読んでみましたが、ちっとも修行に身が入らず、道場の外ではあれがあるんだろうなあこれがあるんだろうなあって雑念ばかり書いてあります。
大学卒業後本山で1年間修行しましたが、京都にある本山での道場でしたが、毎日講義聞いて、勤行をしての繰り返しの生活が楽しかったですね。ここでも、医者通いしながらの修行でした。今思うと体も心も弱いのに無理しながら、続けていたんだなと思います。
そこでの出会いが私の発心のベースでしょうか?大学は授業も出ずテストだけ受けて、サークルばっかり行ってて、卒論指導も受けず、パソコンで書いた論文を手書きで深夜のコンビニで書き写して、提出だけして卒業しましたから。案の定口頭試問でこっぴどくやられましたが、(善導上人とはどういうこととか)何とか卒業はさせてもらえました。
話は戻りますが、発心坊主という言葉がありますね。やはり大事なのは求道心だと思います。知的好奇心というかなんというかですね。この場合仏法にたいすることを怠ってはならないとのことですね。
開経偈って曹洞宗さんも使うんでしょうか?これですよね。菩提心に関しては、法然上人は捨てて念仏に帰すべしと『選択集』で言って、それを読んだとがのおの明恵上人が『ざいじゃりん』を書いて、菩提心を捨てるとはどういうことかと批判したのは一部で有名ですね。
菩提心をめぐっては菩提心釈と言って、浄土諸派で考え方が違うのですね。浄土宗は確かいるという立場だったはず。
恩師のテキストがあるので読んでみたくなりました。
袴谷憲昭さんの『法然と明恵日本仏教思想史序説』が手元にありますので、また読んでみたくなりました。
ちなみに、袴谷さんですが、曹洞宗の僧籍を離脱したそうですね。
そうですね。『世界に一つだけの花』ですね。すでに40から再出発は始まっています。20で精神的におかしくなり通院、31で完全におかしくなり入院、40の時職業訓練に半年間通って、それからB型作業所に通って、東京にアイドルのライブの追っかけで行ったとき、大学の同期(一般学生)にあって、「お前何やってんだよ。ニートじゃねぇか。」と言われた時目が覚めましたね。
それから仕事はてんてんとしてますが、なかなか続かないのですが、今はフードデリバリーの仕事を休業中です。やりたいときやれる仕事なのが良いです。それと年金で将来は生きていきたいと思います。ありがとうございました。
願誉上人
わかりません。その話住職から聞かされていないので、なっていないと思います。
丹下老師
先日はお電話ありがとうございました。まさしく老師って感じの方で、話を聞いてもらってスッキリしました。
さて改めて回答を読み直して、前から引っかかっていたのですが、農家の方がドローン農業したり、遺伝子組み換え作物を栽培したりすることに関して、私は抵抗がありません。むしろ、農業も機械化が進んだ結果今があると思っています。そして農業の未来はそういった工業技術を生かしていくことにあると思っています。もちろん新しいものに対する違和感はあるでしょうしかし、わたしはそれを「悪魔に魂を売る」わけではないと思います。
生意気なこと言ってすいません。私もパソコンが好きで13歳の時からパソコンをいじり始めて、今年50歳ですから、はや37年のキャリアになります。
あるとき実家の寺の住職であり、私の師僧である父に言われたことがあります。「寺が無理なら私が学費を出すから、専門学校に通って、(お前が好きな)パソコンの道を目指せばいいのではないか?」とまたある時は言いました。「寺でパソコンはダメだ。」と。でもこうやってお坊さんとパソコンで会話できる日が来るとは夢にも思いませんでした。嬉しくて涙が出ます。(本当に泣いている)ありがとうございました。