傷つけてくる友達にバチはあたらないの?
以前も質問させていただいた25年の友達についてです。
私の不妊治療に対しても無知からか散々酷いことを言われ、また傷つけられました。
前回、私の不妊治療をやめさせようとしたのは自分より先を越されたくないからだとわかり距離をおきましたが、共通の友達に頼まれて仲直り?をしました。
それから半年くらいで、またもや傷つけられました。
クリニックのカウンセラーからもストレスは良くないと言われ、距離を置いています。
その友達は子供は嫌いで欲しくないのに避妊をしなかったから自然妊娠しました。
「子供がいるのは本当の私の人生ではない。もっと稼いで遊びたかったのに。人生が狂った」と言っていましたが、生後半年の子供を親やご主人に預けて好きなことをやっているそうです。
子供を育てられないと思ったら離婚して旦那に渡して、再婚する。だから私にも子供を育て上げるなんて思わなくていいんだよと言ってきました。
無責任だと思わないでね!と言われましたが、無責任以外のなにものでもないと思います…
更に社宅の別の既婚男性に目をつけていて仲良くなるところだ、ダブル不倫したいと言っていて、ご主人が気の毒になりました。
望んでいないとはいえ子供を産み、育児放棄気味、不倫願望あり。。
こんな人にバチは当たらないのでしょうか?
友達本人は自分のことを優しいと言っていました。
もちろん良いところもありますが、他人を散々傷つけているのに幸せになれるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
バチは必ず当たります バチが当たる「友達」に染まらないように
さんざん嫌な思いをさせられた上に、仲介者によって仲直り(?)させられ、更に不愉快な思いをさせられてしまい、とんだ災難でしたね。
こういう相手の場合、絶交宣言したらしたで、とんでもない報復をしかけてきそうです。距離を置くことです。完全無視しようとせず、「挨拶は返すけど、深い会話は避ける」ことが大事だと思います。「共通の友達」との付き合い方も注意が必要ですね。
不倫願望を持っていて、育児放棄している「友達」が幸せな家庭を作れると思いますか?旦那や子供に愛されると思えますか?答えは、言うまでもないと思います。不倫願望を公言し育児放棄している時点で、答えは出ていると思います。罰が既に当たっています。仮に現時点で表面化しなくても、この先必ずバチは表面化します。旦那に別れを告げられ、子供に恨まれ嫌われる。「友達」には、そういう人生が待っています。
過去の回答ですが、参考までにこちらもお読みください。
「人を踏み躙っておいて、幸せになれる訳がない」
https://hasunoha.jp/questions/3582
「楽してカッコよければ幸せか」
https://hasunoha.jp/questions/3315
注意しなければならないことは、たんたんさんが「友達」に汚されてしまわないことです。「友達」にバチに当たることを願ったり喜んだりする人間にはならないことです。不快な言動をしたり非道な行為をしたりする人間には、必ずバチが当たります。バチが当たって「ざまあみろ。」というのは、せいぜいドラマやコミックの世界のことにしておきましょう。バチが当たったことを喜んでいては、「友達」の汚れにたんたんさんも染まってしまうことになります。「友達」と同水準の人間に堕ちてしまいます。そうならないように注意しましょう。「友達」にバチが当たることを待ち望みバチが当たったことを喜ぶよりも、バチが当たった人を憐れむ人になりましょう。バチが当たったことで、「友達」が今までの自分の言動を反省し自分の言動を改める人間に変って欲しいものです。「友達」が良い方向に替わっていくことを祈ってあげましょう。
幸せとは何か
幸せというのは、難しいものです。
“何が幸せか”という問いに、様々な人が様々な答えを持っていることでしょう。
しかし、多くの現代人が、『幸せの正体』について見当外れな答えを持っているような気がしています。
「お金がある事」
「愛がある事」
「人気がある事」
どれもこれも、幸せでありそうですが、私は少し違うと思うのです。
私は『幸せとは“退屈”である』と思っています。
平凡で、安心で、無変化である。
今日起きたら昨日と同じことをし、同じ人と会い、同じものを食べ、同じ場所で眠る。
このような生活に興奮はないかもしれませんが、悩みはなく、憂いもありません。
つまり、幸せとは「プラスがある」ことではなく、「マイナスがない」ことなのです。
人間、プラスを求めればマイナスが大きくなります。
出世して何十何百人の部下を背負った決断をすることが幸せでしょうか?
豪邸に住んで多くの嫉妬を集めることが幸せでしょうか?
何人もの男性と関係を持ち、快楽を得ることが幸せでしょうか?
もちろん、楽しいと感じる人はいるでしょう。
高揚もするでしょう。
しかし、それは安心・安全とは程遠く、不安・危険と隣り合わせです。
動物園でライオンを眺めるのが好きな人の中でも、サバンナで直接触れたいと思う人は少数です。
人は危険に身を置く人間にあこがれるでしょう。
もしくはあなたのように疎ましく思うこともあるでしょう。
リスクに身を置く分、その人が得ているメリットは莫大に見えるかもしれません。
しかし、彼らは不安と戦い、消耗するのです。
そこは気質としか言いようがありません。
彼ら・彼女らの頭に“幸せ”はありません。
あるのは“興奮・高揚”なのです。
その違いを理解して眺めてみると、違ったものが見えると思いますよ。
返答:
本人が興奮を"幸せ"と呼んでいるだけでしょう。
多くの人はそれを幸せとは呼べません。
不安になるからです。
質問者からのお礼
吉田俊英様
ありがとうございます。
バチが当たると聞いて心が軽くなりました。
もし、何かバチが当たったのを知った時、やはりどこかで「ざまあみろ」と思ってしまうとはおもいます。。
ただ、私が望まなくても自分で自滅の道を歩んでいるのに気づかないなんて哀れだなとは思えます。
今まで付き合ってきて、反省して改善するタイプとは考えにくいですが、それも友達本人が悟らないとダメなことですよね。
染まらないように気をつけます!
けいじょう様
ありがとうございます。
幸せとは退屈なもの…わかります。でも、それだけだと退屈で刺激を求めてしまうのもわかります。
彼ら・彼女らの頭に“幸せ”はありません。
あるのは“興奮・高揚”なのです。
⟶友達は幸せになりたいとは思ってないということでしょうか?
遊んでる時に「幸せ」と連呼しているのですが、それは興奮・高揚であり、本当の意味で幸せではないのでしょうか?