人を思いやる方法
自分の恐怖や不安、感情に押しつぶされ他人の気持ちや都合を考えられなくなります。
そういうときの自分のことが、すごく自己中だなってうんざりします…。他人にも生活があり、自由があり、感情があり、都合があるというのに、私はそのことを忘れてしまいます…。そしてワガママや欲が顔を出しそうになります。必死に言い聞かせて、感じ取ろうとしたりするのですが…こんな自分が怖くなります。
相手との信頼関係を築けないし、懐や弱い面を晒すなど難しいです。でも相手のことが好きだし、ちゃんと汲み取ろうと努力はするのですが、寂しさに押しつぶされそうになると自分の勝手な思い込みや決めつけが発動します。
趣味など集中したくても、いつも他のことを考えてしまいます…。
思いやりを持つにはどうしたらいいでしょうか。今からでも変わりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を責めない
乃行 様
人を思いやる時に、同時に不安や寂しさ恐怖が出てきてしまうのは、幼き頃から成長する間に、信頼され愛されるべき人(例えば母親など)へ、自分の方から愛情を求めた時に、その人が受け入れてくれなかった(例えば、仕事などで不在だったや無視されたなどの体験の)為に、我儘や欲求を出さなければ、その人の愛情を得られないと、学習してしまった人が多いですね。
そのような人は、自分が意識せずとも、優しさや愛情に不安がつきまとう心の状態となってしまうようです。
ですので、乃行さんが、そのような心の状態になったのは、乃行さんのせいではないし、何も悪くないし、自分を責める必要はありません。
まず、自分は悪くない、自分を責めないということを意識してください。
これは、甘えではありません。自分を自律させていくために意識してください。
そして、心を癒すこと、安らぐことの何かに積極的に取り組んでください。
心を落ち着かせる、安心安全感を得ることが大事になります。
リラックスできる散歩でもいいし、瞑想でもいいし、ヨガでもいい、あるいは座禅や写経でもいい。何かしてみて、自分を癒して安心安全を充分に感じてください。
それから、出てくる不安や寂しさ、自分勝手な思い込みという感情を、テレビのCMを客観的に見て流していくように、不安な感情を流していきましょう。マイナス感情に囚われないことが肝心です。
そして、さらに、呼吸を整えて、自分をいたわり、信頼される人に包まれているようなイメージを持って、自分の中の温かさや優しさや繋がりや寛容さを育み、自分に思いやりを向け続けたら、だんだんと他人に思いやりを向けるということができるようになっていきます。少し練習が必要ですが、是非とも始めていってください。変わっていく自分を意識できるようになるでしょう。一礼
笑顔は幸せ
人の喜ぶ顔が自分の幸せになるということあなたは知っているはずです。自分のためになるのです。
我欲、渇愛などの貪りは自身を満たそうとしているようでいて、実は無限の地獄にむかう自傷行為です。
好きなチョコレートばかり食べていたら、どんどん欲するようになり、そのうち病にかかり命を縮めます。
人のために相手の喜び、笑顔は何事にも変え難い喜びです。
私も回答することで、有難しやイイネ、お礼の言葉をいただき全て自らの喜びに変わります。
思い、気持ち、心というものはマボロシのようなものです。握る必要はないです。思っても思っただけのこと。リアルではないですから。すぐに消えます。想いに取り憑かれ奴隷になってはなりません。
目の前の今身体のある現実に目を向け生きていくだけで、自然と人のことを大切にできますよ。人間そのようにできているものです。
質問者からのお礼
邦元様、考修様。お返事が遅くなりましてすみません。そして丁寧なご回答をありがとうございます。
仰られる通り、我欲などで満たしては自分を責めたり真の意味で、深いところでは癒されたり満たされたりしてなかったように思えます…。少しピンときました。
最近瞑想などをしてみたのですが、すごく心が落ち着きました。呼吸も大事な気がします。
上手くいかなかったり、人の成功を見て焦ってしまったりしますが、比べてしまうのもダメですね。比べるということは自分を卑下してることなのかもしれません。自分で自分を認めてあげられてませんでした。いつもどんな時も。
雑草のように欲や不安が生えてきそうな時は、整え直すようにしてみます。それが人生の修行なのかもしれません…。穏やかに過ごせるように、見つめなおしてみます。ありがとうございます。