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有り難し有り難し 13

盗み、嘘、自慰、騙し、我が儘、人の話を聞かない、殺生、過去に食べ物を粗末を粗末にしていた。ガチャガチャで当てた仏様を壊してしまった。

このような場合死後に当てられる罰は何処の地獄なのでしょうか。

善行なのか分かりませんが昨日目の見えない猫に食べ物を与えましたがこれも善行なのか。。 上記の行いを反省していて善行を積みたいのですが人と関わるのが苦手でどの様に善行を積むのか、近所のお地蔵様に手を合わせるのも良いのかを教えて頂きたいです。

2022年4月24日 13:24

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

業はややこしい

善行為に楽果、悪行為に苦果、と、業は単純明快なはずなのですが、実際はとてもややこしいです。
 一刹那(一ナノ秒とかそれよりもっと短いとか)ごとの心の状態について一つずつの業が生じます。悟らない間は、自分の心でも追いきれないスピードです。
 しかも業を作りながら、同時に、過去の業の結果を受け続けています。善業を行いながら痛みで苦しむとか、よくあります。
 おまけに、結果は一つなのですが、業を作る原因も、とりあえず自分の心ひとつなのですが、周りからいろんな縁が同時に関わるので、「えっ、どうして?」というほど別の効果が生じたりもします。善意で何かをやってあげて、自分の心は満足。しかし相手は何か勘違いして怒ってきた。あれ?とか。自分の善行為分は善業が、相手の反応によって自分も嫌な気分になって、その分は悪業が、生じます。

 業のポイントは、心が欲、怒り、無知のどれかで汚れているかいないかです。欲も怒りも無知でもなく何かを考え、言葉にし、行動することは、善行為です。わざわざ何かをするときにも、欲、怒り、無知でなくやるべきです。何もしていないときも、イライラとかしているとその分悪業になります。

 善行為も悪行為も、私たちはたくさんしています。過去の業に余計な気を取られないように、反省して次から頑張るのは良いですが後悔してくよくよしないようにしましょう。どうせ、新たな業がどんどん作られていくので、今の、これからの心に気をつけましょう。

2022年4月25日 8:34
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

追記
こうかな?と思ってやったことが有り難迷惑になっていたことが常にあります。それはやはり自己満足なだけで悪業になってしまうのですね。
我が儘や上記の条件だと地獄行きなのでしょうか。。

多くのペットを私が管理を怠ったばかりに亡くしてしまった事、親のお金を盗んだこと、食べ物粗末にしたこと。
命を粗末にしようとしたこと
もしかしたら真言唱えて元カレの彼女を奪ってしまったこと。その後幻聴を聞いて僧をして彼氏を犯人だと罵ってしまったこと。深く反省してます。なのでもう同じことは二度としません。したくもないです。

ですが死後これらの事は計りにかけられて地獄へ落とされる事になるのでしょう。。

だとするとお坊様目線でどの地獄が近いのか教えていただけたら幸いかと思い質問しました。

長文で読みにくさもあり失礼します

それとも地獄に落ちる夢をみてから怖くて。。
夢はあの世の予行練習という動画を見たことがあるので。。

「仏教全般」問答一覧

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

有り難し有り難し 6
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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ