生まれたくなかった
死にたいです。
でも自殺する勇気がありません。
生まれてきたくなかったです。
できれば死にたくて苦しむことなく幸せに暮らしたかったです。
何度か自殺を試みました。失敗しました。
怖かったです。
気持ちを切り替えて、何度も人生をやりなおそうと頑張りました。
でも、死にたいと思う気持ちがなくなることはありませんでした。
他人には気持ちを隠しているのに、隠しきれていないのか、みんな離れていきます。
これから先死ねるまで、死にたくて苦しい気持ちに耐えるしかないのでしょうか。
精神科にも何度も通っていますが、甘えるなとか理解できないとか、否定されるだけで不快な思いをするだけでした。薬も効果がありませんでした。
生まれてきたくて生まれたわけじゃないのに、なぜこんなに苦しんでつらい思いをしなければならないのでしょうか。
なぜ私はこんな考えを持ってしまったのでしょうか。
好きなものを食べても好きなことをしても、生きたいと思うことはありません。
もし今死ぬことができたら私は幸せです。
自殺する勇気はないので、死ねるまで楽に暮らす方法を教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の身、仏法に学ぶ
本当は幸せに生きたいのですよね。
苦しいから死にたいと思うのですよね。
幸せってなんだろう。
実は自分の思い描く通りの人生にすることが幸せではないのです。自分の思いに振り回されることなく自然の摂理にお任せして生きていくことの豊かさを知ることなんです。
当たり前だと思っている授かりもの。
それはこの身で感じている事実です。
朝起きて目を開けると物が見える。太陽の光を感じる。自分の思いとは関係なく授かるもの。こちらからとかあちらからとかいう感覚もなく一体となりなりきっている様子があります。今日はウグイスの囀りが聞こえていましたが、ホーホケキョと音があれば聞こうとしなくても全身でホーホケキョとなります。
そんな当たり前とも言える授かりの連続が生活なのです。そこに満足できる生活は生き活きとしているのです。足りないもっと他にあるはずと貪ると苦しくなるのです。
抜け出さないといけない環境があるなら抜け出したら良い。人は生まれながらに自由な存在です。ネバナラナイ、〇〇ベキ、なんていう思考は作り事ですから振り回されてはいけません。自らの考え方や思いに振り回されることなく、それ以前に触れている事実に学び生きるのです。
この身はそうやって生きています。生きようとして呼吸をし、心臓を動かし、皮膚も生まれ変わり、髪も爪も伸びます。思いとは関係なく、だからそこに任せるのです。仏法に任せる勇気が必要なのです。思いを切る。思いっきりです。
追記
よくわからない。そうでしょうね。頭を使いすぎる癖がついているのでしょう。私が言いたいのは頭を使わないこと。五感に任せありのままを受け入れている事実に生きることです。お釈迦様の修行そのものです。お釈迦様も悩まれました。頭を使いすぎたのです。最後は何にもしない修行、坐禅をしたのです。徹底的に思いや思考に手をつけない修行です。五感、事実に生きる道があるのです。
身近な誰かを笑顔で褒めてみましょう
お辛いご様子をお書きくださいまして、ありがとうございます
何をしても、好きなものを食べても、好きなことをしても死にたい気持ちから解放されないとのこと お辛いですね
もし 可能であるなら 試して頂きたいことが一つあります
それを試したから 気持ちが変わるかどうかは確実ではありませんが、もしかしたら貴女の中で何かが変わるかもしれません
貴女の日常の中で いつも近くにおられる方を 嫌いな方だとしても決して批判せずに ことあるごとに“素晴らしい" "凄い!" と称賛してみてください
心からそう思えなくても 口にださなくとも、とにかくそのように称賛してみてください
とりあえず3日間くらい、それを試してみたら もしかしたら 何かが変わるかもしれません
遊びは嫌いかも知れませんが 遊びだと思い可能であればやってみてください
変な提案をして申し訳ありません
でも 私には効果があったので…
よろしかったら…
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。申し訳ないのですがよく分かりませんでした。