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ヴィパッサナー瞑想

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有り難し有り難し 4

ヴィパッサナー瞑想、慈悲の瞑想を独学で実践しております。
最近呼吸の瞑想を始めて眠気に襲われるのですが、私には入眠時にたまに出会った人たちの声や、テレビで聞いたことがある声などが聞こえてくるケースがあります。
この幻聴?に関して暗いイメージはなくもうすぐ寝るなとか、あの時のあの人の声だなど微笑ましい感じでつきあってます。

呼吸の瞑想を始めて最近では毎回幻聴?がありますが中断すべきでしょうか。
問題となっている場合、対策をご教授頂ければ助かります。
妄想に関しては頭に浮かぶ映像も妄想とカテゴリ化されると思うので映像は妄想で遮断してます。

幻聴?はとりあえず妄想で遮断するようにしてますが、眠気で後半はほぼほぼ寝かけてる感じです。あと幻聴?も後半ひどいです。

専門的な質問となりますのでご返信なくても結構ですので、よろしければでご対応頂ければ幸いでございます。

2022年5月14日 8:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

スマナサーラ長老のやり方で

やるのが安全です。独学で構いませんので、スマナサーラ長老の本やyoutubeを参考されるとよいでしょう。
 眠りに落ちるまでの瞑想はヴィパッサナーより慈悲の瞑想が適していると、スマナサーラ長老が勧めています。ヴィパッサナーでは眠気は失敗ですが、寝ているときも起きているときも普段の心を慈悲で満たすのは良いことです。
 普段のヴィパッサナーを呼吸に集中してやって眠気が出るなら、他の、例えば座るならお腹の膨らみ縮みを観察したり、歩いたり立ったりに切り替えるのが良いと思います。
 寝落ちしてよい眠るまでの瞑想と、普段の眠気が出てはいけない瞑想を使い分けるとよいと思います。

2022年5月15日 8:11
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

いつも的確なご回答感謝しきれません思いでございます。

仰る通りもう少しそちらの方面で独学で改めて勉強してみようかと思います。
とりあえずは眠気に細心の注意を払いステップダウンするなりしてみようかと思います。
非常に助かりました。ありがとうございました。

追記:進展がございましたので追求させていただきます。
独学で勉強を進めましたがどうやら慈悲の瞑想は伝統的なものではなく新しい瞑想法のようでした。
一宗派にこだわるのではなく、さらなる観察を続け、釈尊が説いたものを見つめ直そうかと思います。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ