死や終わることへの恐怖
よろしくお願い致します。
先日祖母が亡くなり、ふと死が怖くなりました。自分が死ぬことへの恐怖、死んだらどうなるんだろうという事や、自分の家族や周りの大切な人が死んでしまったら、自分は耐えられるのか、そればかり考えて漠然と不安になります。
昔から「死」まで行かなくとも、卒業や引越しでの「別れ」や「終わり」というものに人一倍敏感で、ドラマやアニメの最終回ですら気持ちが不安定になる性格です。
これから年齢を重ねるにつれ、色々なものとの別れが増えると思いますが、どういう心構えでいればよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ただ今」を生きることに専念する思考を取り入れて行く。
拝読させていただきました。
答えから申しますと、
心構えは「なに事にも執着しない意識」からです。
なぜなら、すべての事象は因縁によって執着(依存)の対象となるとみるのが仏教の本質だからなのです。
この事象は因果律という生きていく中に誰もが生じることであり、深い洞察力の訓練が必要となってきます。もしくは経験を積んだ人などから話を聞くのも参考になります。
死も執着の対象となっているから不安などが芽生えます。それば死を考えると誰もが不安はよぎるものです。仏教でいう四苦八苦の死苦に値します。
釈迦は「過去は追うな。未来を願うな。今を生きよ。」と真理を説きます。
これが執着から離れれることなのですが、簡単なことができないのが人間性なのです。
ただ今を切に生きるだけなのですが、ほとんどの人は未来への不安、過去の後悔や失敗などからの蓄積されたマイナス要素を今に置き換え不安をさらに構築させています。
釈迦は続いて「他人過失を見るなかれ、他人のしたこと、しなかったことを見るな。自分のしたことと、しなかったことだけを見よ。」と真理を説きます。
この言葉は他人や世間の在り方にとらわれることで自己評価に不安要素を形成させるからなのです。
他人と比較する生き方は肯定否定観念を生み出してしまうので、自分らしく今を生きることで、今・今・今だけを切に生きていけば未来(先ゆく死も含め)も減少していきます。もちろん訓練が必要です。ヨガやマインドフルネスも特化した効用があります。
仏教では「空の思想」が真髄となり
・かたよらない思念
・こだわらない思念
・とらわれない思念
この三つです。たった三つのことができれば、自己で抱えている1億あろうが100兆の悩みがあろうが、すべて消え去っていきます。
死は誰もが恐れるものですが
「やりきった!もう悔いはない!」
「死ぬぐらいだったら勇気を出して生きてやる!」
「命があるなら、死に物狂いでやり遂げてやる!」
色々ですが、すべて今やることで明日という未来の明暗はすべて変化します。
今です。今を専念して、未来を明るくするなら今を切に生きることが、死を遠ざける一つの方法です。
合掌
怖いですよね
拝読させて頂きました。
あなたが大切なお祖母様の死にあい死や終わりを不安や恐怖に感じていることを読ませて頂きました。あなたがそうお感じなさるのももっともかと思います。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
私も死は怖いですし、不安です。私が死を恐怖に感じる様になったのは小学生の頃からです。そう感じてから夜も眠れず外にも出られずただひたすら恐れおののいていました。その後少しずつ和らいできましたが、今でも死は怖いです。或いはふと死にたいと思ってしまうこともあります。ですからその狭間で生きているのかもしれません。
最近思うのは生と死はいつも隣り合わせというか裏表というか実は一体なのだと思っています。私達はいつも生と死の中で生きているのですからね。そして生と死は決して終わりではないことです。死んだ後も続いていくのです。
そして生と死や迷いや疑問や悩み苦しむ私達を仏様が必ずお救いなさって下さいます、亡くなった後も必ずお導きなさって下さり親しい方々やご先祖様がお迎えなさって下さいます。そして皆さんと一緒に一切の迷いや苦しみから救われて円満に成仏することができます。そして生きる方々を心穏やかに安らかに見守り続けていくのです。
どうかご安心なさって下さい。そして毎日を穏やかに皆さんと仲良く助け合いながら生きて下さい。
あなたがこれからもずっと心から豊かに皆さんと安心して生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っています。
質問者からのお礼
お二方ともとてもご丁寧で、的確なアドバイスをありがとうございました。
お二人から頂いたお言葉を胸に、今を大事に生きてきたらと思います。