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小さい子に舌打ちする人

回答数回答 3
有り難し有り難し 23

先日、一歳の子供とお出かけしていたときのことです。
外が余りにも暑くお昼時にドリンクが飲めるラウンジで休んでいたのですが、案内された隣のテーブルに一人の男性が座っていました。
そのときに子供は泣いていたり叫んだりはしていないものの、「うーん」などの喃語を発していました。
子育てしていない人には大きい声に聞こえるかもしれないのであやしたり窓の外を見せたりして落ち着かせていましたがその男性に舌打ちされました。
お昼時で泣き喚いたり叫んだりしていないし、必死にあやしているのになぜ舌打ちされなければならないんだと憤りを感じました。
子供が苦手とか嫌いな人がいるのは分かりますが、自分だけの部屋ではないし色々な人が利用していい場所です。
舌打ちしても子供が静かになるわけでもないのにとても嫌な気持ちになりました。
最近そういう人が多いなと感じどこへ行っても肩身が狭く子育てしにくい国だなと思います。
結局足早に立ち去りましたが、ずっと嫌な気持ちです。家の中でずっと子育てしていておでかけをするのも半年に一回位の頻度です。
その人もストレスは溜まっているのかもしれませんが、老後の税金や年金はいまの子供達に稼いでもらう予定なのにうるさいという理由だけで子供に冷たい人が理解できません。
色々と話が逸れてしまいましたが、人をわざわざ嫌な気持ちにさせる意地悪な人が理解出来ません。どういう風に考えてみたら楽になるでしょうか。

2022年7月3日 13:43

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「かわいそうな人だな」って思えばいいんです。

他者に文句を言う人は
自分自身も同じだけ
ダメージを受けることを知らないのです。

文句を言っても気が晴れることはありません。
欲が満たされないように
他者を制したいという思いも尽きません。

その人は常に不満を抱いたままなのでしょうね。
そういう思いにがんじがらめになっている人は
かわいそうだなって私は思うようにしています。

2022年7月4日 10:04
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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

マイルールは人それぞれ 人はいつでも自分の事で精一杯

その人がまだまだ子供なのでしょう。
あるいは自分の事で精一杯。
仕事ばかりしている人は職場風な雰囲気であれば問題ないのでしょうが、それと異なる状況だとイライラするのではないでしょうか。脳内が仕事モードでイライラしてしまう心がついポロリしてしまったのでしょう。あなたも気にする必要はありません。人のイライラや悪口や文句はその人本人の脳内の独り言だと思うと良いです。
この国がどこへ行ってもそういう風潮があるのかもしれませんが、私は法事の際には気を使い過ぎてしまっているママさんがいらっしゃったら、大いにお子さんに元気な姿を故人様にみせてあげてください、とお伝えします。日本が悪いんじゃァありません。おかしな世論・状況が人や世の中を変にさせるのです。
多様性名目で日本人が肩身の狭い思いをさせられてしまう世論は実は多様性ではなく多様性名目の日本人の権益侵害です。たとえば「公園で子供を遊ばせるな・除夜の鐘反対・日の丸・君が代・日本文化反対・天皇制反対・多様化多様化」系の人たちは日本人の少子化・弱体化を企み「そういう世論を広める」。まさかと思われるかもしれませんが、そういう勢力は現実に存在します。人間世界ゆえに変な主義思想・民族主義・カルト的な偏狭思想は実際に存在します。実際に「除夜の鐘反対」勢力によって除夜の鐘を慎んでしまったお寺も多いのです。狭いのは日本が狭いというより、そういうヘンナ狭い考えですよね。もちろんピリピリした職場でお子さんの声が響けば私だって睨まれます。(当方育パパ)
その舌打ちした人も、今自分が最優先で何かやりたかったことが脳内に生じていてそれを妨害されたと思っただけの事でしょう。大人だって急いでいる時にレジが詰まっていておじいちゃんおばあちゃんが支払いが遅ければイライラするような人はよく見かけます。
よって、結論「同じ」なのです。仏の前ではみんな0歳児赤ちゃんなのでちゅ。👶そのぐらいに思っていることバブ。そして私もそうなんだなぁ、と誰かをワルモノにしないことでちゅ。地球・人類はまだまだ発展途上国なんでちゅ。だからこそ、おかしなことに声を上げバブバブと正すべきでちゅ。👶
あなたがこういう声を上げてくださることで男性の意識も変わっていくでしょう。ただし正義の剣で相手を斬らず、相手の心情も読み取りつつ、お互い譲歩しつつもおかしな人間性は良くないと改めゆくべきです。

2022年7月4日 8:39
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

少子化で子供に慣れていない人急増

昔なら、自分に子供がいなくても家族親戚ご近所の子供の相手をしたことがある人が多かったでしょう。
でも今は、子供に接したことが無い人が増えているはず。
大変な世の中です。

2022年7月4日 8:04
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

がんじがらめになっているのですね。気に入らないことがあればすぐに他者を攻撃し無意識に敵を増やす、ずっと不幸な人なのかもしれませんね。
そんな不幸な人のことで頭を悩ますのはやめようと思います。ありがとうございます。

私もワルモノにしているわけではないのですが子供に苛立たれると、その人も赤ちゃんの頃は周りの人に散々迷惑かけてきたのではと思います。子を守ろうとする生存本能がそうさせるのかもしれません。仏の前では皆ベビーですね。ありがとうございました。

少子化のせいで子持ちの肩身が狭くなりさらに子育て世代が減っていく負の悪循環ですよね。ありがとうございました。

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