hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自殺は止めるべきなのか

回答数回答 2
有り難し有り難し 49

自殺はいけない。

以前はそう考えていました。

実際目の前で自分の命を絶とうとしている者がいたら全力で止めたと思います。

実際には止めてるつもりでも言葉の使い方によっては最後の一押しになるかもしれず、こういう時は中国人のように無関心で居た方が安全なのかもしれません。まぁそれでも「止めよう」とはしたと思います。全力で。

止めるのが正しいのか悩んでいる今でも実際にその場に居合わせたら止めるかもしれません。でもその理由は「目の前で死のうとしている人を放置して実際に死なれたら寝覚めが悪いから」という利己的な理由からであって。以前のように「それが正しいことだから止める」という風には考えられなくなっているのです。

先日「刑務所に入りたいから」という動機で漫喫に立てこもったバカがいました。去年も同様の事件があったと記憶しています。というかもはやそんなに珍しい事件ではないのかもしれません。

もっと悲惨な事件もあります。今年二月に起きた大坂の心療内科クリニック放火事件。動機も空かさないまま犯人は死んでしまいましたが生前「生きづらさ」を訴えていたとと聞きます。生活困窮者で将来の希望もなかったのでしょう。

自分の嫁との関係を疑って相手の家族を殺した挙げ句(相手本人は不在のため殺害を免れる)犯人が自殺、というケースもあります。遺族には恨みをぶつける相手もいません。
そして今回安倍氏を銃撃した山上某。
彼の境遇も悲惨、凄惨です。事情だけ聞けば春原も同情しています。同情せずにはいられません。
これはこれで本心なのですがその上で「こんなことするくらいなら死ねよ」と考えている自分が居ます。
そんなにタヒにたいのなら他人を巻き込まず自分だけでどうぞ、ってことです。

自殺がいけないことだということはよくわかっています。生きるための努力をすべき、ということも。
でも精神やられちゃってそういうことができない人も居るでしょう。そういう人が死のうとしている時に果たしてそれでも止めるべきなのか。
どうお考えでしょうか。

2022年7月15日 12:46

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そこには、その人が置かれている事情や背景があります。

ニュースになった事件は、最悪の結末になってしまったと、本当に残念でなりません。

私は日頃、希死念慮のある方のサポートをしているゲートキーパーです。死にたい、死ぬしかない、という悲痛な心の声をたくさん聞いてきました。

自死.自殺がどうかという議論より前に、なぜ「死にたい」と思ってしまうのか。そこには、その人が置かれている事情や背景があります。
私は、止めるんだ!と思って活動しているわけではなく、何があったのか、なぜそう思うのか、それほどまでの苦悩を抱えている人にちゃんと丁寧に向き合いたいと思っています。

止める前に、まずは、一番の理解者でいてあげたいと思っています。止めることだけしか見えていないと、ダメだと言う言葉とともに、死にたい(死にたくなる)気持ちすら否定してしまうことになります。それは、その人の今をわかろうともせず、叱りつけ、否定し、追い込む危険があるからです。

誰だって、どうしようもない状況になれば、苦しくて、逃げたくなる、消えたくなる、生きていくことが難しくなることだってあるでしょう。置かれた立場をまずちゃん理解し、その気持ちに耳を傾ける。

そこからなんじゃないかなと思っています。
その人にとって、何が必要なのかを考えるのは。

関わりに正解はありませんし、その人の生き方はその人が決めたらいいでしょう。
それでも、気づいたら、手を伸ばしているのなら、その手を掴んでいたいなと思うのです。そして最後まで、その人の気持ちを尊重したい。

2022年7月15日 19:27
{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
このお坊さんを応援する

「死」という選択肢は本当にその人を幸せにするのか。

こんばんは。亀山純史と申します。

確かに今は精神がやられてしまい苦しんでいる人に対して、「そのようなことではだめだ。生きるための努力をもっとすべきだ。」とは言えないでしょう。しかし一方で、そのような人が死という選択肢を選び、その苦しみから解放されたとき、「その人は死後の世界から、自分の人生をどう思うんだろうか。」と私は考えてしまいます。はじめは、「あー、やっと苦しみから解放された。」と思うかもしれません。でも、それがずっと続くかどうかは分かりません。もしかしたら、あとになって、「自分は死という選択肢を選ぶような人生を歩みたくなかった。」と思うかもしれません。そう考えれば、何とかして、この世での生を全うしてほしいと思うのです。

仏教は「一切皆苦」を説き、その「苦」から解放される道を説く教えです。そして、ここでの「苦」に限度があるはずがありません。つまり、「レベル3までの苦からの解放は仏教では出来ても、レベル4以上の苦は仏教では扱うことが出来ません。」などと言うことはないのです。

この世の中には、多くの人が精神的に病んでいます。心療内科の前には、朝早くから何人もの人が並んでいる風景を目にします。私たち僧侶は、医師ではありませんが、私たちも医師のように、一人でも多くの人の心に寄り添い、その苦しみを和らげることが出来るように精進していくべきだと自戒しております。

2022年7月15日 20:49
{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

置かれた立場をまずちゃん理解し、その気持ちに耳を傾ける。> 結局の所当事者でないならば「話を聞く」しかないのかな、と思います。
でもいざ自分がその立場になったら多分向き合えないかな、とも思います。

希死念慮のある方のサポートをしているゲートキーパー > 立派だと思います。頭が下がります。そういう方の居ない社会にしたいものです。

以前も御回答いただいたように思います。
ありがとうございました。

亀山純史様、丁寧な御回答痛み入ります。
この世での生を全うできなかった人のことを理解できれば・・・いや、多分できないでしょう。所詮他人のことなどわからない。自分のことでさえわからないのに。
でも考えることはできます。正解に至らなくても。
仏教の「一切皆苦」。言葉としては知っていましたがなんとも深く恐ろしいものですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ