仏教において自殺とはなんなのか。
お疲れ様です。北風小僧と申します。
今回の質問は
自分自身が自殺したい云々では無く、
仏教的な観点から見て
"自殺"とは一体何なのか。
そこに興味を持って質問させて
頂きたく思います。
まず、なぜそう思ったのかと言うと
趣味で歴史や宗教について
調べていたところ、
様々な方が論文やブログ等で
自殺とは仏教において
"許される"のか"許されない"のか
という点に触れておりました。
人によって
「お釈迦様が自殺について明確に咎めた記述は無いから許される。」
という方、
「動物に対する殺生をそもそも禁じているのだから人間も動物だし、自らを殺めることは許されない」
という方、
十人十色の見解があり、非常に興味深かったです。
そこで、
「お坊さんの考えはどうなんだろう?」
と思いました。
是非とも多くのお坊さんにお答え頂きたいです。
どうかよろしくお願い致します。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
分け隔てありません
拝読させて頂きました。
仏教的な観点から自死・自殺をどう捉えるのかというご質問とても有り難うございます。今まで様々なお坊さんや聖職者や研究者の方々が語っていらしたと思います。それぞれの方々が自らの観点やみおしえからおっしゃっておられるでしょう。不殺生という戒についてそれぞれの方々や宗派や時代や状況に於いてだいぶ捉え方が変わってくるでしょう。日本でも戦前と戦後そして現代ではだいぶ考え方も変わっていると思います。ですからあくまで私の考えとして書かせて頂きます。
戒の不殺生とすれば「殺してはならない」ですから私達は日々直接的間接的に殺生してます。自らが生きる為に必要だからです。ですから自ら生きる為にやむを得ず殺生しております。
自死・自殺の行為に至るまでには沢山の原因・タイミング・他との関係が要因となっています。自ら死にたいという気持ちは様々辛く苦しんで追い込まれたり精神的に限界を超えて病いをわずらってしまう時にも起きるでしょう。本当は生きたいと思っていても目の前の厳しい現実の前ではもう死ぬ以外に選択の余地がない時もあります。或いは他に助けを求めても協力や支援や救いを求めてもなかなかご縁が合わずに死を選択せざるを得ない状況に追い込まれている時もあるかと思います。
戦場や社会混乱等の異常事態の中で例えば我が子やパートナーを生かす為にも自ら代わりとなって死を選択することもあります。
一概に自死・自殺が単に悪いことと言い切ることできないと私は思います。
もしかしたら自死なさった人にとっては生きづらいこの世の中で、まともな人生を送ることが難しい状況の中で自分のできる限りを一生懸命に尽くし生き抜いて、そして自ら死を選ぶこともあるかと思います。
とはいえどの様な生もどの様な死も決して簡単ではありませんし、ないがしろにできはしないです。
仏様はその生や死に対して分け隔てなさることはありません、全てのものを平等にお導きなさって下さりお救い下さいます。
仏様はその生や死に対して一切差別することはありませんし、仏教とは全てのものを救う教えだからです。
若いからとか年老いたから、生き方がどうだから、死に方がどうだからで死後の行き先が変わったり差別されたり見捨てられることは一切ありません。それぞれが尊い与えられた生命ですし、それぞれが尊い死だからです。至心合掌
死因の一つに過ぎない。
自死者は地獄に堕ちて成仏できないと世間では言われますが、
実は仏教では、そのようなことは説いていません。
お釈迦様には自死したお弟子がいましたが、
その彼を誰も責めることはありませんでした。
亡くなり方に仏教的な善悪は無く、
老衰でも病死でも事故死でも、自死でも、
誰もが仏様に救われて成仏します。