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政治への抗議行動について

回答数回答 5
有り難し有り難し 29

新宿での焼身自殺、首相官邸での抗議デモなど、最近の「集団的自衛権」を巡っての抗議が行われています。

仏教的には、「流れに逆らわない」というイメージがあるのですが、今の現状の流れが戦争につながるかもしれない政治家の側にあるのか、戦争反対への自殺・デモなどの側にあるのか、もしくは大多数であろう「傍観者」なのか、疑問に思ってしまいます。

かつて、太平洋戦争が始まった頃ともしかしたら今は同じ状況なのかもしれないという気がしています。

太平洋戦争の頃の宗教家の言動などを踏まえて、今現在の宗教家の方々はどのように考えて、どのような行動を取っているのでしょうか?

大局に囚われず、右往左往するのではなく、今自分の眼の前にある日常生活を淡々と過ごすことが大切なのでしょうか?

2014年7月1日 16:22

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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

国も犯罪を犯す事を忘れてはならない

国だから大丈夫、先生だから大丈夫、警察官だから安心などと言うことはありません。
政治とか宗教という言葉を忘れて考えてみましょう。
結論は「誰も殺されるべきではない」「殺してはいけない」です。
それが命ある者同士の当然のルールです。
この世に存在するもので自分とかかわっていないものなどありません。
ならばこそ政治はしかるべき人物こそが政治家になるべきであり、利益の為に人の命を軽んずるような政治思想はあってはならないことです。
かつてカルト教団が教理の理念の下に信者を殺したことを、いくらどんな理由で正当化しようとも誰がみても殺人は殺人です。政治の名の下に人が殺されて良い訳はありません。
人の命を尊重できない、争いを好む、自分の感情を克服できていない、固有の思想に偏った人間が政治の実権を握れば我々の生活が脅かされてしまいます。
現にそもそも必要のなかった消費税は3パーセントから5パーセント、8パーセントやがては10%に上がると言われ◎◎税、△△税という名の下、国が一番の「大泥棒」をしている時代です。課税課税が続くという事のものの本質は国こそ「泥棒をしている」ということです。
それを自制、規制する政治家もいないのが今の日本です。
我々も厳しい眼をもって政治の本質を見極めるべきです。
国が守ってくれるという幻想を捨て、国と言われるところの本部中枢、具体的には「個人」が国の命運を左右しているのです。
その為にも、今の時期から政治に参入するにふさわしい真の人材に焦点を当て、その人材を守り立てていく、力を貸すことが大切です。
選挙、投票よりもそういう人物を世に広く知らしめる、真の政治家を国政に介入させることこそ大切なのです。
戦争で誰か一人が死ねば、その人の親も家族も皆悲しむのです。
法律よりも、政治よりも、国の定めた規定よりも先に人間の実生活こそ優先される者です。
いよいよ政治や法律が私たちを戦争という殺人行為に加担させるような国家になりゆくのであれば、人を殺す前に、その法律をこそ滅するべきです。
人間が作ったものでない法、仏法は変えることはできないもの。
人間が作った法は、人間が改善、改良することができる。

2014年7月5日 21:35
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

兵戈無用

兵戈無用(ひょうがむよう)とは、仏説無量寿経の一説で、「兵(軍隊)も戈(ほこ=武器)も用いること無き」という意味です。現在のこの国の行方、世界状況を観てこの言葉の持つ意味を考えさせられます。

新宿での焼身事件や抗議デモからも大きく憂いている方々がたくさんいらっしゃることがわかります。仏教各派においても、これまで様々な抗議行動はなされてきていますが、右傾化に熱心な為政者たちにはどこ吹く風といったところでしょうか。

当派(真宗大谷派)でも、敗戦後50年の年に前大戦での反省をもとに「不戦決議」が宗会(宗派の議会)で可決されました。また、時の首相や閣僚が靖国神社参拝をされるたびに抗議文を発しています。

流れに逆らわないイメージですか? 当派の蓮如上人は「仏法を主とし、世間を客とせよ」とおっしゃいました。人の生きる道であり永遠不変な教えである仏法を主と据え、常に移り変わる世間やその価値観などはその都度客として対応せよ、ということです。逆らわないのではなく、それで良いのか? と、ご縁ある人々(同朋)とともに考え、間違いであるならばそれを正す方向を実践していくということではないかと思います。

日中戦争中、宗派はどんどん戦争協力に進む中、「戦争は罪悪である」と叫び続けた竹中彰元という方は、投獄されても同じことを叫び続けられたと言いますし、他宗派においても同様の僧方がいらっしゃっいました。

方法論はともかく、こういう先達のお心に学び、戦争という罪悪が再び起こらないようご縁ある方々と考え、少しでも良い方向に行くよう生活の中で実践していきたいものです。

合掌

2014年7月4日 16:56
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おきもち

真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...

自然法爾

宗教家と言う言葉には、少し違和感を覚えてしまいます。

⚪️⚪️家とは、その事を生活の糧にされている方では、ないでしょうか。

私達は、僧侶です、生き方であり、一挙手一投足、一言一言、一呼吸一呼吸、残すもの、自分自身すべてが、僧侶であると、思っております。

モチロン、私にも家族が有り、生活をさせて頂いております。

人生は、蓮の華に、例えられます。

絶対に綺麗な水では、花は咲かず、実は結ばない。

蓮の華や、葉の茎は二メートル程あり、長い、しかし、風に逆らわ無いから、折れることは無いのです、

仏様が、語りかけて下さる言葉に従います。

そこに、自ずと自分自身の取るべき道はあると、思っております。

私見ですが
流される事も、振り回され事も、ただ、傍観する事も、あってはなら無いと思っており、例え微力でも、正しい導きを進みたい所存です。

2014年7月5日 16:48
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おきもち

長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...

振り回されない、煽られない。

こんにちは。ご無沙汰しております。
「右往左往するのではなく、今自分の目の前にある日常生活を淡々と過ごすことが大切か」という
問いに対しては、
「右往左往するのではなく、今自分の目の前にある日常生活を大切に過ごしてください。」が答えになります。

浄土真宗も一向一揆という大きなムーブメントを過去に経験しています。
私はそれに懲りている立場です。
私は抗議の自殺をするくらいなら、過去の戦争を乗り越えてきた方のために何かできることを必死に探すことに重きを置きたいです。

大局という言葉を使うのなら、「集団自衛権」を使ってほしいと思う人は本当はどこにいるのでしょうか?
仮に日本の偉い人が「自己実現だけではなく、嫌とはいえない誰かにずっと言われ続けていて、いよいよ断れなくなった。」という視点であれば、流れを変えるために目を向けるべき対象は国内にあるのでしょうか、外国にあるのでしょうか?政治にあるのでしょうか、経済にあるのでしょうか?

目に映りやすい部分と、鍵を握っている部分が一致しているとは限らないです。

「流れに対して執着を持って抵抗する」ことではなく、「流されてしまったあとに残された人に対し何ができるか」という視点を私は大事にしています。
それが、「流れに逆らわない」と映るのかもしれませんが、流れに逆らえずに流されてしまった部分もあることはご承知おきください。

お寺や老人施設でお会いするお年寄りの皆さんは、過去の戦争を生き抜いてきた方々やその遺族もいらっしゃいます。
メディアに煽られるあまり、その方たちへのフォローが疎かになることだけは避けたいです。

感情的な文章になってしまいすいません。
触発されるなにかと出会ったときに「淡々と」という態度をとるのは自分には難しいです。

2014年7月5日 9:21
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おきもち

『助けて』 「当たり前だ!」 って海賊みたいに強い敵を蹴散らす...

政治と仏教について

すっぴん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

既に政治の世界から離れて10年程になり、今は中立・中道的立場でございますが、学生時代に政治家を目指して政治活動をしておりました。以下は、その頃の政治への想いを表した拙著でございます。興味がございましたらアマゾンの中古(280円~)でもどうぞ(笑)

「誇れる社会のために」
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/4-8355-7012-X.jsp

さて、「集団的自衛権」に関することについての個人的雑感につきましては、下記をご参照下さいませ。

「集団的自衛権に関しての雑感拙ツイートまとめ」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52167212.html

まず、仏教家・宗教家云々というよりも、この民主主義社会のルールの下で、とにかく国民・有権者一人一人がしっかりと政治への参加意識を高めて、確かなる選挙権の行使により、政治参加への義務・責務を果たしていくことが何よりも重要であるかと存じております。

次に、政治と宗教についてですが、世界史上でも宗教による政治的弊害の過去を鑑みて、政教分離の原則があり、日本においても「宗教団体の政治的権力の行使の禁止」を含む政教分離の原則が実質的にあるため、宗教が政治に介入するのは憲法的にもあまり好ましくないということは言えます。

また、仏教としては、釈尊ご自身が政治や社会運動・活動へ積極的に関わることをなさられておられなかったことから、仏教の態度としてもあまり介入せずに中立・中道的立場が望ましいと言えるのではないかと存じます。

唯一と言っていいのかどうかは広義において語弊があるかもしれませんが、釈尊の政治介入として有名であるのが、コーサラ国による釈迦族への軍事侵攻の際に三度、それを留めさせたことであります。しかし、四度目は無く、もはや釈迦族の業によるどうしょうもない厳しい因果の流れを見極められて軍事侵攻を見送られ、釈迦族は結局滅亡の憂き目となってしまいました・・

とにかく、政治や世論動向にあまり惑わされずに、何よりも善い行いに各々が努め励むことにより、より善い因果の流れを調えていくことが大切であるということになるかと存じております。

川口英俊 合掌

2014年7月24日 10:15
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

多くの皆さんから回答を頂きまして、ありがとうございます。
その後も、マレーシア航空機撃墜や、北朝鮮のミサイル発射、佐賀空港へオスプレイ配備などもあり、自衛隊員だけではなく、民間人でさえも「危険な状況」に流れているような気がしています。

今まで長い年月をかけて積み重ねてしまった政治への無関心、低い投票率などの因果が今の状況に繋がったということなのでしょう。
以前、どこかの法話で聞いたことがあります。
「長年、漁師をしていた親子。ある時父が海に落ちてしまった時に一緒にいた息子は親を助けることも無く、そのまま出家した。」と。
その話で「起きてしまったことに慌てて対応するのではなく、自分がすべきことをすべき」ということを学んだ気がします。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

私の理解されにくい考え方や気持ち

私は高校生です。本を読み漁っても曖昧なヒントしか得られません。「人は人を殺してはならない」というのは分かっているし、人を殺めることに肯定的な訳でも加害者を庇う訳でも無いけれど、加害者の生い立ちや事件の背景を見た時に、とても悲しくなるのです。(快楽殺人とは別) ニュースやマスメディアでは表面的に事実を淡々と言い、加害者を責めます。みんなどこか他人事のように感じるのです。 でも、もし、誰かが加害者の背景を事件の裏みたいなものを見れていて、そこに愛や差し伸べられる手があったのなら、何かが変わっていたのかもしれない。生まれながらに悪い人なんていないし、なにがこの人を歪めてしまったのだろうと考えるのです。 繰り返さないためには咎めるのではなくて、愛を持ち続けることでは? 貧困や虐待など、社会全体が目をそらさないことだと思うのです。 なぜ人を簡単に殺めるの?という人がいるけれど、じゃあ、なぜそこを追求しないの?と思うのです。私は加害者の育った環境は大いに影響していると考えるからです。もしも手を差し伸べることが出来たなら、被害者の人生も加害者の人生もこんな結末にはならなかったのでは?と無念の涙が止まりません。高校を卒業したらなにか私にできないだろうかと思います。 私はこのことを言ったりすると、誰もが顔をしかめます。私は私の話を理解できる人に出会えたことがありません。理解されない時のひとりぼっちのような寂しさが辛いです。 私の考え方が変わっているから、みんなに合わせなさいと言われます。私は普通なのに。 学校は苦痛で同級生とは話が合わず、悲しさと自分の至らなさと無力さに苦しんでいます。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

何故人は匿名の場だと辛苦を余計に煽るのか

これは私自身の見識による物なので一概に言えない部分も有ると思いますが… 何故ネットや匿名が許される場所、または普段の生活や仕事でも 一度の失敗で人を痛烈に責めたり、艱難辛苦を煽る人々が居るのでしょうか? 中には疾患を抱えてしまった方や障害と言われる人まで責められる人も居ます 例えば家庭内で虐待を受けた人が学校に相談しても、または虐めが原因で教師に 相談しても取り合ってくれなかった子ども達のニュースを見ると酷く思いますが、更に子どもの時に大人に相談しても聞いてくれなかった事で大人に対する信頼を失い、20代や30代になってようやく行政機関や周囲に相談できた方も居ます。 それまでにもネットや匿名の場所、現実世界でも「甘えるな、苦しむのは当たり前、苦しんだ?だからどうした相談するのは非常識だ、誰もお前の話など聞いていない、お前には先が無い」などと徒らに弱者を責め煽り更に弱者を作り出し、他人同士で生き甲斐を奪い合ってるのを見ると、何故互いに尊重し問題を解決する為の話し合いをしないのか?と思ってしまいます。 お坊さんは、この様な場合どの様な対処法が必要だと思いますか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

命に不公平さが生じる理由が知りたいです

はじめて投稿します。 僕は世の中の理不尽さが心底嫌で仕方ありません。 子供に対する虐待のニュースを見るたびに、本来ならその子にあるべき楽しみや訪れたはずの幸せを、なぜ奪われて中には命まで奪われなくてはならないのかと悲しいです。 動物の殺処分や虐待もです。この世に生まれてきた…ただそれだけの事なのに殺されたり、人と仲良くしたがるあの子たちに対して虐待する。 人間の子供も動物たちも「なんでそんな事するの?いじめないで」と、たとえ一瞬でもそんな悲しい気持ちになったのかと想像しただけで、泣くほど悲しいです。 なのに自分も含め、救えるのに救わない、世の中を変える努力も特にしない、きっとそんな人が大半を占めていて、一部では悪事を働き私服を肥やし思うままに生きています。 同じ命なのに、どうしてこの様な不公平が起こるのでしょうか?単なる運でしょうか? あるいは幸せになる為に生まれた者と、一方前世のツケか何かで苦行の為に生まれて者との違いとか、そういう事なのでしょうか? 特に自殺願望などありませんが、この命と引き換えに子供や動物が助かればどんなに良いかと思っています。

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善悪とは、どう生きれば?

世の中は陰陽の関係で構成されていますよね? そこで、わたしが葛藤しているのは、善悪や幸不幸などが見る立場や目線を変えて考えると、善悪や幸不幸がコロコロ変わるという事。 例えば戦争、「武器を作る商人にとって戦争は生きていくために必要なので善」しかし「家族を無意味に殺された人達からしたら悪」このように考えるその人の主張、属しているグループ、見る立場や見る視点、価値観、人それぞれによって善悪がコロコロ変わる、それぞれの善悪の主張が目線を変えるとその立場では正しくなるんですよね。 私はみんなが共通で善だと思う世界にしたいんですよ。 でも世の中、育った環境も価値観、思想、知識も違う、千差万別、陰陽の関係で出来ているので私が人を幸せにすると、間接てきに不幸になる人も出る、もう無理じゃんと、これが、壁として出てくるんですよね。これが一つ。 二つ目が、自分を含めこの世全員の幸せと世界平和が叶って欲しい。でも人間欲がある、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲などなど、これらがある限り世界平和は夢物語。 ならば自分の欲に忠実に生きた方が楽だし、楽しいだろうなと、自己中に生きた方が良いのではと、自暴自棄になっています。 でも、私としては来世の為にも徳分は減るような行為はしたくない、十善戒は守りたいし、経典の思想に則って生きたい。 でも、どうせ現世でみんなが幸せになるのが無理なら、俺も周りの人みたいに自己中になって現世は自分の欲を満たして過ごすかな!という欲 vs 経典に書いてあるような思想にそぐわない、徳分を損なうような事はするな、という構図になるんですよね。 我欲 vs 仏教的思想 心vs脳 これが二つ目。 長くなりましたが、利他の精神で皆んなの幸せを祈る→しかし幸せは人それぞれ、間接的に不幸を祈る事にもなる→仏教思想に矛盾が起きる→アホらしくなる→自己中になる→仏教思想に反するし、来世がろくなことにならない、となる→訳が分からなくなる。これが現状です。 私なりに考えて、利他の精神から起こった純粋な欲かどうかで、自分の欲も他人の欲も、仏教的にも矛盾せず善悪、幸不幸を決めれるのかな?と思いました、又、皆が皆幸せになれなくても、報われなくとも、努力する心が一番大事なのかなと思ったのですがどうなのでしょう。 読んだ感想でも構いません、回答お待ちしています。

有り難し有り難し 21
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みんな幸せになればいいのに

なんでみんな死にたいなんて言うんですか。 本当に死にたいわけがないのに。自分で命を経ってしまうひとたちだって、本当に死にたくて死んだわけじゃないだろうに。 どうしようもないことってあります。 記憶喪失になった方がマシだと思えるほど辛いこともあります。 でも、世の中これだけ人がいるんだからどんなにどん底でも誰かが助けてくれるはずなんです。 私の過去の質問を見ていただいたらわかるかもしれませんが、私の日常も決して平坦だはないし、 過去に自分の容姿のコンプレックスでものすごくひどく悩んで黒魔術に手を出したこともあります笑(全て効果はありませんでしたが) 私は、最近いろんな人に助けられています。罪悪感で夕方になると涙が出て胃も痛くなりますが、彼に精一杯愛情をそそぎ、借金を返す努力もし、母にも少し助けてもらい、赤の他人にも気を配り幸せを願い、父親とも和解し、スピリチュアル系の美しい音楽を聴き、YouTubeのコメント欄で批判することをやめて悩んでいる人に励ましのコメントを送るようにし、どんなに寒くても毎朝部屋の換気を行い、占いに行って貴重な話を聞き、厄除のお守りをブラの下に身につけて過ごしています。 なんだか人生、絶対に好転していくなって毎日一度は感じます! 人生って、生き方を少し変えるだけで美しいんですね。今がどん底だとしても。 だから、今死のうとしてる人を絶対に助けたい。人を助けたいんです。 何から始めたらいいんでしょうか。 なんだか世の中汚すぎて心が痛くなります。苦しいです。 文章めちゃくちゃですみません。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

戦争に興味があるっておかしい?

小学生のときに社会科の授業で太平洋戦争について勉強しました。 あれ以来、なぜか太平洋戦争に興味を持ち続けています。 戦艦や戦車に興味があるというのではなくて、あの時代、なぜ戦争への道を突き進むことになったのか、どういった経緯を辿って終戦へ至ったのか、その当時の人々は何を思ってどのように暮らしていたのか。 理由はまったくわからないのですが、そういった時代背景についての興味が明らかに周りの人よりも強いと思います。 戦争に関する記念館に行ったときも展示品をまじまじと見ていたり解説をじっくり読んでいると一緒に行った人達から「お前、変わってるな~」と言われました。 また、年配の方とお話する機会が多いのですが自然と戦争の話題になることが多く、いろいろ質問していると「戦争のことを聞くなんて若いのに珍しいわね。」と言われます。 夏ごろになると戦争をテーマにした番組がよく放送されますが、よく観ています。やっぱり周りから「そういうの好きだよね」って言われます。 自分の中に変な思想があるわけでもないのにどうして当時のことを知りたいと思うのかがわかりません。 それ以外のことに興味がないというわけでもありません。 ただ、普段はあまり外では言わないようにしています。 何かおかしいんじゃないか?と思ってしまうこともありますが、やはり当時のことが知りたいという思いが強く、いろいろ調べています。 戦争に興味があるというのはどう考えたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 32
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