精神病が治らなくてつらい
十年以上精神科に通っていますが、精神病が治りません。
もう一生治らないのかもしれません。
他人に迷惑をかけてしまうので申し訳ないです。
こんな自分でも生き続けていいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
抗う心をやめてみる
人間は誰でも心を患うものです。
遅かれ早かれ、あるいは自覚症状があるかないか。
どんなエリートさんでも世間の問題を治せないものもある。
自分自身に対しても高すぎる理想を持たないことです。
理想が高いと今の自分がダメだと思うようになる。
今の自分ではいけないんだ、ダメなんだと思ってしまうのです。
ガンの患者さんでも明日亡くなられてしまう方でも元気な方でも同じ今がある。同じ呼吸をしている。
同じくものが見えるということをしている。
同じく音が聞こえている。香り、呼吸、味わい、体感をしている。
ですが、賢者、覚者はそこで心に苦しみをおこす作用となる煩悩を作らないようにしているのです。
煩悩はつくれるのです。そして作らないようにもできるのです。
あなたの質問も読み返してみてください。
煩悩というわけではないですが、自分自身を否定したり、ダメ扱いする様な心理的活動に該当する文言がいくつか見受けられます。
・十年以上精神科に通っていますが、精神病が治りません。
👉精神病はいけない。治らない。こんな自分が嫌だ、ダメだという心の動きがあなたを苦しめる。大丈夫です。抗う心をやめる。精神病という言葉にマイナス意味を添えない。一時の症状で不都合な時が一時的にあるだけだと見抜く。
・もう一生治らないのかもしれません。
👉どうせだめだ、不安や失望があなたを苦しめる。治るということのビジョンを遠くに求めない。
他人に迷惑をかけてしまうので申し訳ないです。大丈夫です。
👉自分が悪いことをしていると思っている。大丈夫ですみんなと一緒で存在しているだけです。みんな仲間です。
👉こんな自分でも生き続けていいのでしょうか。
もちろん、生きていいのです。世界中の人が今の一呼吸をするのに誰の許可も要りません。あなたの心臓も呼吸もあなたの煩悩や悩みとは無縁に生きることを赦してくれています。誰もがそうです。
今これをご覧いただいていた時に一秒でも数秒でも自分が病気だとか自分を否定する様な心から離れられていたひと時があったはずです。むしろ、普段はご自分をご自身で否定する・批判する・悲観する・非難するようなことばかりをしていたのではないでしょうか。
そのような心の運転の仕方をやめるのです。
それが「抗い(あらがい)」を無くすということの意味であり、今後取り入れて頂きたい心の動かし方です。大丈夫です。
そばにいます。
さんかくさん、お悩みをハスノハに投稿してくださって有難うございます。十年以上精神科に通っていらっしゃることは、相当ご自身もお辛いことだとお察しします。
通っていらっしゃる精神科の先生にどのような診断をされているかわかりかねますが、根本的に人は一人では生きていけず、お互いに助け合う存在としてあります。誰が悲しい思いをしたり困っていたら何かできないかという想いが湧き上がるのはふつうのことです。だから、さんかくさんの悩みに寄り添いたいと私は思っています。
さんかくさん、生きていて良いのです。今は、言いたいことを言い、甘えられる相手がいたら精一杯甘えてください。(もし、身近にいなければハスノハにまた投稿ください)。さんかくさんは一人ではありません。私はいつでもそばにいたいと思います。
質問者からのお礼
お礼が遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。
お二方のメッセージを何度も読み返して勇気をもらいました。
相談したときは少し混乱していて、焦りの気持ちが強かったかもしれません。
しばらくは先生やカウンセラーの方など、周りの人に助けてもらいながら生きてみようと思います。
また、今回教えていただいた「抗いを無くす」ことにも少しずつ取り組んでいきたいです。
慈正様、丹下覚元様、この度は本当にありがとうございました。