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精神病が治らなくてつらい

回答数回答 2
有り難し有り難し 37

十年以上精神科に通っていますが、精神病が治りません。
もう一生治らないのかもしれません。
他人に迷惑をかけてしまうので申し訳ないです。
こんな自分でも生き続けていいのでしょうか。

2022年9月9日 22:19

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

抗う心をやめてみる

人間は誰でも心を患うものです。
遅かれ早かれ、あるいは自覚症状があるかないか。
どんなエリートさんでも世間の問題を治せないものもある。
自分自身に対しても高すぎる理想を持たないことです。
理想が高いと今の自分がダメだと思うようになる。
今の自分ではいけないんだ、ダメなんだと思ってしまうのです。
ガンの患者さんでも明日亡くなられてしまう方でも元気な方でも同じ今がある。同じ呼吸をしている。
同じくものが見えるということをしている。
同じく音が聞こえている。香り、呼吸、味わい、体感をしている。
ですが、賢者、覚者はそこで心に苦しみをおこす作用となる煩悩を作らないようにしているのです。
煩悩はつくれるのです。そして作らないようにもできるのです。
あなたの質問も読み返してみてください。
煩悩というわけではないですが、自分自身を否定したり、ダメ扱いする様な心理的活動に該当する文言がいくつか見受けられます。

・十年以上精神科に通っていますが、精神病が治りません。
👉精神病はいけない。治らない。こんな自分が嫌だ、ダメだという心の動きがあなたを苦しめる。大丈夫です。抗う心をやめる。精神病という言葉にマイナス意味を添えない。一時の症状で不都合な時が一時的にあるだけだと見抜く。
・もう一生治らないのかもしれません。
👉どうせだめだ、不安や失望があなたを苦しめる。治るということのビジョンを遠くに求めない。
他人に迷惑をかけてしまうので申し訳ないです。大丈夫です。
👉自分が悪いことをしていると思っている。大丈夫ですみんなと一緒で存在しているだけです。みんな仲間です。
👉こんな自分でも生き続けていいのでしょうか。
もちろん、生きていいのです。世界中の人が今の一呼吸をするのに誰の許可も要りません。あなたの心臓も呼吸もあなたの煩悩や悩みとは無縁に生きることを赦してくれています。誰もがそうです。
今これをご覧いただいていた時に一秒でも数秒でも自分が病気だとか自分を否定する様な心から離れられていたひと時があったはずです。むしろ、普段はご自分をご自身で否定する・批判する・悲観する・非難するようなことばかりをしていたのではないでしょうか。
そのような心の運転の仕方をやめるのです。
それが「抗い(あらがい)」を無くすということの意味であり、今後取り入れて頂きたい心の動かし方です。大丈夫です。

2022年9月9日 23:42
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

そばにいます。

さんかくさん、お悩みをハスノハに投稿してくださって有難うございます。十年以上精神科に通っていらっしゃることは、相当ご自身もお辛いことだとお察しします。

通っていらっしゃる精神科の先生にどのような診断をされているかわかりかねますが、根本的に人は一人では生きていけず、お互いに助け合う存在としてあります。誰が悲しい思いをしたり困っていたら何かできないかという想いが湧き上がるのはふつうのことです。だから、さんかくさんの悩みに寄り添いたいと私は思っています。

さんかくさん、生きていて良いのです。今は、言いたいことを言い、甘えられる相手がいたら精一杯甘えてください。(もし、身近にいなければハスノハにまた投稿ください)。さんかくさんは一人ではありません。私はいつでもそばにいたいと思います。

2022年9月9日 23:47
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有り難し
おきもち

個別相談可能
曹洞宗(禅宗)僧侶。スピリチュアルケア師。 もの心がついた頃から「生きるとはどういうことか」ずっと考え続けてきている気がしています。みなさまのお悩みに触れさせて頂きながら、深めていきたいと思っております。
事前にご希望の時間帯と相談内容をご連絡下さい。 プライバシー、相談内容の守秘義務は遵守いたします。

質問者からのお礼

お礼が遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。
お二方のメッセージを何度も読み返して勇気をもらいました。

相談したときは少し混乱していて、焦りの気持ちが強かったかもしれません。
しばらくは先生やカウンセラーの方など、周りの人に助けてもらいながら生きてみようと思います。
また、今回教えていただいた「抗いを無くす」ことにも少しずつ取り組んでいきたいです。

慈正様、丹下覚元様、この度は本当にありがとうございました。

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