どうにもできない想い
はじめまして。20代後半、男です。
幼い頃から父の影響で音楽を始めました。
初めてはピアノ、中学からは吹奏楽でフルートをし、高校は流れで音楽科のある学校に行きました。
高校では音楽の専門的な授業がありました。
例えば、[音楽理論]当時は、
音楽に理論?いるか?訳がわからない
などと碌に授業に参加せずにいました。
社会人になってあの頃の事を考えない日はありません。頭と感情が釣り合ってなかったんだと思います。
音大に進んで仕事としても趣味としても
音楽を続けたいと思いながらも授業についていけなかったからだと思います。
そして大学は全く関係のない所へ行き
仕事も関係のない仕事へ就きました。
それでも、音楽は続けていました。
高校受験の関係で知り合った恩師の所で
演奏させて頂いたりと満足しているつもりでした。
でも、2年前にバイクで通勤中に大型トラックに撥ねられ楽器をする人にとって
大事な手を骨折することになりました。
一年間リハビリを頑張りました。
そして、ある日に3人で組んで恩師の演奏会に出ようと話がきました。
即答でした。 やっと音楽ができると気分も上がりました。
結果から言うと、演奏は大失敗
手は思うように動かず、観客の目がある中
自分は唖然と立ってるだけで足を引っ張る始末。
これ以上ない絶望を味わった
羞恥、絶望、憎悪と色々なものが
一気に押し寄せました。
今も思うこと、気付いたことは
言い方はアレだけど、愛している
と言える程に自分にとっては拠り所だったのだと感じています。
高校の同窓会に参加すると音楽の話しがあり、親友は才能があり音大に進みコンクールでも賞をとっていたのに退学
そんな話を聞くと嫉妬や怒り、虚しさを感じ、それが嫌で全てを断ち切りました。
それでも最近は舞台に立ち演奏していた頃の夢を見るほどです。
目が覚めてからの行き場のない想いが
どうしようもなく湧いてきます。
昔、目指したもの、夢見たものへの 諦めきれない怒り
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
演奏を大切にしてきたこと、愛してきた誇りは、失われていない。
大切にしてきたものを、奪われてしまったのですね。二度と同じようには出来ない。あの頃には戻れない。それは、あなたの人生まで奪われたように感じてしまいますね。あなたがどれだけ音楽に情熱を燃やしてきたのか、愛してきたのか。そのことを考えますと、何をしていても苦しく虚しいだろうと思います。
喪失感でいっぱいのときには、得ている状況にある人が羨ましく、なぜ私はと苦しくなるばかりです。比べるものでもないのに、気持ちが揺れてしまいます。ですから、そっと離れましょうね。
音楽があなたを導いてきたように、また音楽に助けられることもあるんじゃないかな。
演奏者だけが音楽とともにあるのではなく、音楽に触れる全ての人が音楽を共有し、音の世界で生きていますものね。
あなたのリズム感や感性は、失われたわけではないでしょう。音楽や楽器の知識も優れたままでしょう。何より、音楽を愛することを知っている。それは、まだ見ぬ人との出会い、橋渡しになるかもしれません。
私が園で勤めていた時に、器楽合奏や和太鼓、マーチングを教えていました。幼児が初めて音楽に触れ、奏でる喜びや、聴く感動の瞬間に出会ってきました。得意不得意はありましたが、評価をすることが目的ではなく、音楽が与える心地良さを味わう。だから、皆笑顔で拍手が起こるのでしょうね。
音楽家もスポーツ選手も、ケガから引退ということはあるでしょう。その後の生き方はそれぞれですが、きっと触れたり感じたり携わったりなさっているのでしょうね。
あなたも、周りがどういう歩みを進めているかよりも、あなたが演奏を大切にしてきたこと、愛してきたことを誇りになさってくださいね。
質問者からのお礼
お話を聞いて頂きありがとうございます。
すぐには切り替えていくのは難しいかもしれませんが、貴重なお話を読み
これからは、少しずつ前向きに進めるようにしていこうと思います。
ありがとうございます。