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考えない事は先送り? 受容するには?

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以前よりお世話になっております。

私は死の恐怖と、それに伴う宇宙や自分の存在などといった説明のつかないものに対しての恐怖が異常に強く、困っています。
「今生きている幸せな世界(自分)はいつか終わる」「そして二度と戻らない」と思うことが頻繁にあり、その度に発狂したり、自分を殴ったりしてしまいます。

そのため、この強すぎる恐怖への対応策を探しており、hasunohaを利用させて頂きながら様々な角度から死について考えています。

しかし、死について考えるだけでも恐怖に襲われ、精神状態が極めて悪化してしまうのです。上記のような状態になってしまいます。
死について考えるのをやめると、日常の快適さは保たれます。ただ幸せで、よく食べてよく眠れます。
でも、それは問題を先送りにしているだけではないかとも思います。死ぬ間際になって、恐怖に溺れて発狂している自分を思うと、今のうちから解決へ努力すべきなのではないか、と思います。
これについて、どうやってバランスを取っていけば良いのでしょうか?お坊さん方のお考えをお聞かせ頂きたいです。

また、以前の質問で、仏教の教義を理解しても「受け入れる」事ができていないと教えて頂き、まさにその通りだと思いました。
死に限らず、「強い恐怖を伴う現実を、受け入れる」のは、どうしたらできるのでしょうか?

漠然とした質問で申し訳ございません。ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

2022年9月15日 21:42

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

先人・先学に学び、歴史的存在である私を発見・自覚しよう

ご相談拝読しました。

問題の先送りというのは的を得た分析だと思います。ただし健全な日常生活の確保も同時に重要な課題でしょう。

死の超克という根本課題への取り組みは休日のみに限定するなど、ご自分なりのペースを設けるといいかもしれません。

さて、以前からのご相談を拝読していると八正道などの実践に取り組んではいるようですが、くうさんの傾向として概ね頭でっかちなのかなと感じます。頭の中で解決しようとしすぎなのかもしれません。

対策としては

・身体性を伴う実践に取り組む
・誰かと問題を共有する(リアルな現場で)

が良いのでは?と思います。私は浄土真宗なので本来であればそちらをオススメしたいのですが、くうさんには座禅なんかの方が合うのかな?とも思ったりします。

独学・個人的見解を離れて是非ともお寺の座禅会や聞法会に参加してみましょう。くうさんほどの熱意と課題を自覚しながら参加している方との出会いは希かもしれませんが、誰もが同じ根本課題を抱えているのです。そのことに気がつくだけでも大分違うと思います。

私もSNS上だけで知り得たの印象に依ってしまうところがあるのですが、浄土真宗では瓜生崇さんの追っかけのようなことをしながら法話を聞いている方々からくうさんのような熱意を感じたりします。

https://www.youtube.com/c/uryuneko2011

いくつか法話を聞いてみてはいかがでしょう。

それから知の巨人と言われた立花隆さん。この方の生涯や著作も参考になるかもしれません。あらゆる知識を学び、自らの癌も研究対象にし、生死や人間についてご自身の中で一定の解決を得たように語っておられるそうです。仏教とは異なるかも知れませんがよかったら調べてみてくださいね。

最後に、人間は自分の死は自分であらかじめ体験したり証明できません。でも私たちは誰かの死を体験し、そこから学ぶことで自分の死を考えることができます。

ご先祖のお墓参りや、親戚にご先祖のことを教えてもらったり、身内に大切な人との死別の経験を聞くなんていうことも案外見落としがちな要素です。

くうさんだけじゃなく、誰もがその課題を抱え、程度の差はあれど苦を自覚しながら歩んでいるのです。そして私に先立って歩んでくださった方もいるのです。

2022年9月16日 9:27
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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武文法 様
お礼が遅くなり、大変申し訳ございません。以前の質問などもご覧頂いた上に、多角的な視点からご回答頂き、ありがとうございます。大変勉強になりました。

頭でっかちであるとのご指摘、まさにその通りです。今までの人生で「身体でわかった」という経験が少なく、「身体でわかる」の実感がよくわからないのです。でも、それこそやってみないと分からない、ですよね。
立花隆さん、浅学ですが存じております。その方面からも、たくさん著書を読んでいきたいです。

また、熱意という優しいお言葉を使って頂きましたが、そんな大層なものではないんです。どうにかこの恐怖を消したい、逃げたい、楽になりたいという煩悩です。仏教は学ばせて頂くものなのに、「仏教が死の恐怖を消してくれるだろう」という利己的な思いが捨てきれずにいます。恐怖から仏教に縋っている、と言っても過言ではないです。
これも、実践や共有を通して、楽になれる日が来るのでしょうか。自分の利己的な思いや、恐怖や不安からも、解放される日が来るのでしょうか。

とにかく、頭で考えるよりも、実践に重きを置いてみようと思います。とりあえず、座禅会などを探してみます。お勧めしていただいた法話も拝聴致しますね。

この度は暖かいご回答を頂き、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

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