心願成就について
いつもご丁寧な回答ありがとうございます。
心願成就についてお尋ねいたします。
どうしても叶えたいことがあり、9月にいつもお世話になっている厄除大師で心願成就をしてもらいました。
その場では「いつまで」ということは明言しませんでした。
家に帰り、毎日お願い事をすることを初めて知ったのですが、毎日お願いをする際の言い方に「いつまで」も言うということを知り、「9月まで」で毎日お願いしていました。
しかし、残念ながら叶う様子はありません。
ですが、どうしても叶えたく、明日からは「今年中」に変えて毎日お願いしたいと考えています。
このようにお願い事は途中で変えても良いのでしょうか?
叶わなかった際は、キッパリ諦めるしかないのでしょうか?
また、心願成就をした厄除大師以外の神社・お寺にお参りするのはご法度でしょうか?
ご教示よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幾度と願い事は変わってもいいのです。
拝読させていただきました。
世間一般のご認知されている願掛けは一つと捉えることが通常でしょう。
しかし、現代社会では便利になり過ぎた科学進化の時代でもあり、あらゆる便利なツールがあり、飽きることも多々あれば、また新しい事に趣きが変化していきます。
説明しました意味はどのようなことを表したのかと申しますと、「夢をもつ人が少なくなった時代」なのです。
夢を見つけることは難しいものであり、生きる上で多くのご縁に依り、自分自身のやりたいこと(仕事・目的・夢など)が芽生え、目標に向かい"自分の心は働いていきます"
自身の中で「夢と思っていたこと」が、夢に向かっているときに、本当にしたかった夢が、夢に向かっているとき新たに見つかることも多々あります。また自分が向いていることなど、多くを気付かせてくれることもあります。
だからこそ、夢や目的など願掛けとなる願いは「変更してもOK」なのです。
今、Matsu_kuwaさんが叶えたいことが変わったことも、はじめの願いの中から動き出されたことで、新たな発見となる叶えたいことが芽生えたものです。それは、ひとつの夢を見失わず追いかけていたことで気付かせてくれた神仏からの啓示ともとらえてもらっても大丈夫です。
願いを叶えてくれる。という神社仏閣という観念も、自分の心への「誓願」となる戒めと捉えてもらったほうが何よりです。
すべてが良い方向へ赴きますことを心より願っています。
合掌