般若心経を唱えるときの心や態度について
毎回相談させていただくたびにありがたいご回答を賜り、本当に本当に感謝しております。
毎日夫とともに朝晩仏壇に向き般若心経を唱えています。
私はお経を唱えるとき、精神というか意識が100%完全にお経に集中できていません。
夫が般若心経を読む脇で手を会わせるのがいつものかたちですが、私は亡き娘を思いながらなので生前の娘のあれこれが頭に浮かんで、
娘との面白おかしかったことを思い出したり、仏前に備えてある供花に目がいけば、花がいたんでるから取り替えなきゃいけない→どこの花屋にいこうかな→そういえばいつもいくあの花屋は…などといろいろなことが頭に浮かんできてしまい、
そうしている瞬間は、仏様に気持ちを向ける大事な時であるのはわかっているに、集中できていないということで、
これでは仏様に失礼で供養になっていないのでしょうか。正しく向き合う姿勢はどのようにあるのでしょうか。ご教示いただき改めたいと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それも一つの供養です。
こんにちは。
故人を想いながら読経をする事は私は一つの供養のあり方だと思います。
えむえむ様の読経の仕方が間違っているとは思いません。むしろ正しいと思います。
我々僧侶が自行(自分が悟るために行う修行です)に於いて雑念ばかりで読経するのは論外ですが、亡くなられた方の回向の為の読経ですので色々と在りし日を思い出しながら、今もそばにいるように念じながら語り掛けるように読経や御供養をなさってあげて下さい。
御仏の御加護がありますように。
是非、ご一緒に読経を。
えむえむさん お悩み拝読致しました。お辛い気持ちもある中で、毎朝旦那様とご一緒に読経されているとのこと、そのお姿に娘さんも応えてくださる、そう思います。
読経するということは、ご供養するということ。可能な限りお経の前に、お香、燈明(蝋燭)、お花、お水、食べ物(お菓子や果物、お膳など)をお供えして頂けたらと存じます。お花も毎日変える必要はありませんが、枯れ始めているものを入れ続けるのは望ましくありません。毎回お花屋さんで購入する必要はありません。もし庭などで咲いている花があれば、そういうお花を生けてくださっても大丈夫です。
そして、お経本を見ながらでもいいので、旦那様とご一緒に読経して頂けたら、娘さんへの最高のご供養になるかと思います。過去のことを思い出すことも素敵なことです。そのことを胸に置きながら、亡き娘さんの幸せを祈り、是非、ご夫婦で読経して頂けたらと思います。私も陰ながらお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございます。
お礼が遅くなり失礼いたしました。
慈正様
毎日お経をあげることが日課になっており、時として気持ちに慣れが生じているのかもしれません。お教えいただいたように読経の前のお供えを新たにするよう心がけます。娘を始めご先祖様に対しておざなりにならないように努めます。
渡部二海様
遺影を前にしての読経はどうしても娘との思い出が頭に浮かんでしまいます。
でも、それは娘と向き合う大事な時間なのかもと、渡部様のお言葉から気づきを得ました。
ありがとうございました。