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修証義について教えて下さい。

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

祖父の葬儀を境に改めて仏教を学び始めました。 
宗派は、曹洞宗です。
お坊様が唱えて下さるお経を理解した上でご先祖様や祖父に手を合わせ今後、向き合いたいと強く感じたからです。また、現在の生活の中でお経について調べる事は、小さな安らぎを感じられる学びの場になっています。

現在の学び方ですが、hasunohaにてお経についての質問をブラッシュアップしたりしながら般若心経や修証義について調べています。

また修証義については、以下の現代語訳をみつつ内容を深めています。しかし、解釈や内容が正しいのか不安もあります。
https://www.zen-essay.com/entry/soujyo
そもそも、現代語訳事態がダメでしょうか?
曹洞宗の教えが分かる書物があれば知りたいです。浅い状態ですが曹洞宗の教えに…悟ることすら手放す(悟りたい欲求を手放す)座禅スタイルが凄く衝撃的で素敵な考えでもっと色々と知りたいのです。

また、触れてみた状態な上での発言で恥ずかしいのですが…お経を調べると供養する相手よりも供養する側に対する生きる上での教えを説いている様に感じました。間違ってたらすみません。
余談ですが、普段、お世話になっているお坊様の爺様に法事後、お経について調べている事や内容を理解したいとの相談をしましたら笑顔で学んで来なさいと言って経本を頂きました。宿題を逆に出された気分で終わりましたので次の法事が違う意味で緊張します…。後、曹洞宗の本山は、身近な場所にあるので一度行ってみようと思っています。

※質問して申し訳ないのですが現在、生活苦なので「お気持ち」は後々にさせて下さい。申し訳ありません。

2022年10月1日 3:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まずはあなたが菩提心を持つことです。菩提心とはブラッシュアップそのものです。十分にお持ちであると感じますが継続が無いと歯の治療・内科通いで喩えれば「自分が治ったらそれまで」という継続しない菩提心。仏教やお経を学ぶということは、そこから人間性も磨き上げられて良い働きをなす人となることです。
お経は私も色んな本を読みましたが解釈・推測本はダメでした。何冊か読んでみるとわかるのですが「あ、この人、本人が分かっていないことを書いている」という本があるのです。般若心経の本だけでも一万冊以上あるので下手なものを掴むと点で方向違いな方向に向かってしまうのです。
たとえば地上波テレビでよく見かける池◎彰氏はお話は上手ですが、仏教の専門家ではないのでわかりやすいといっても違うことをわかりやすく説いてしまっては方向が変わってしまいます。
禅宗は「やりぬいた人」の本がおすすめです
原田祖岳 飯田トウ隠 井上義衍 井上貫道老師がたの本がおススメです。
この方々は悟り肯定派です。悟りって別に特殊なことや変な超能力めいた特殊な悟りではありません。修証義でいえば「衆生の成仏・得道に回向すべし」とありますように、得法、得道、成仏が悟りの内容です。
よって、アンチ悟り派は眉唾スタンスでその人の「真意」が何を言っているのかをよく読み取る必要があります。※沢木興道老師門下はアンチ悟り派も多い。
仏教はそもそも覚者の教え。覚者イコール悟った人、自己を明らかにされた人、人間の見解解釈を離れたこの世と自己の真実相=ダルマ(法)を明らかにされた人ですから、悟りなんてねぇよとか言っちゃう坊さんはもはや仏教とも関係ない「只のおっさん」の場合も。私はそういう人たちとは上手にお付き合い。
仏教なのに生老病死、四苦八苦、三毒からの救いがないなら只のおっさんの独論。そりゃみんな見た目は坊主頭でお坊さんに見えます。ラベル抜きで本質で判断するしかない。修証義の「無上菩提を演説する師にあわんには」「ただ般若を尊重するがゆえに」とはそういうことです。道元禅師はちゃんと悟りを肯定しているのに、後世の仏教【学者】さんがカスタムした面があるという事実も知っておきましょう。
現在の曹洞宗は総体的に見て悟り否定派が多いと感じます。教学を決める要職に誰が就任するかによって公式の教義も変わる面がありますが、道元禅師の教えは道元禅師の教えです。

2022年10月2日 7:27
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

丹下覚元 様
お忙しい中、質問に対し親身にお応え下さり感謝致します。まるで正座をしながら向かい合わせで説明をして頂いたような気持ちになりました。心が凛としました。
 まるで広い海の小波に触れた、触れ始めた自分に対し丹下様から今から触れる海の広さや深さ、見え方、感じ方、取り巻く環境をご指導頂いたように思えました。同時に知りたい気持ちを持続し、年を重ねてもけして知りえたと錯覚せず、追究する気持ちを有限な人生の中で持って学びたいと強く感じました。きっとコレだと言いきれるほど甘くない歴史であり教えだと理解できました。

曹洞宗を調べ始め道元禅師を知り、何々宗派というカテゴライズを嫌う方である事、悟りを目指す中で悟りを意識せず無我になる座禅(勉強中)など道元禅師が素敵で難しく知りたい気持ちにかられます。今後、深い歴史ゆえ広く、歪みのしょうじた教えに出会う(それに気付ける程に学びたい)日が来た時、丹下様を思い出し、鵜呑みにせず探求できる己であるよう努めます。アドバイス頂い書物を軸として地道に知っていきたいと思います。
(※丹下様が多くを読んできた中でお勧めする書物であり、何より沢山読み比べた中でしかも知識の深い方が吟味し提示して下さった事に感謝せます。この様な縁を結ぶ素敵な時代に感謝ですね。)

最後に新しい課題として、菩提心とは何か、考えなきゃと思いました。今あるこの追究心は、悟りを知り悟を目指すことを求めているのでなく、まずは生まれながらに触れ私の心に根付いた曹洞宗に対し理解をしたい(深めたい)からきています。この学びの中で己とは何か、この世とは何か、感じ考えてみたいと思っています。自信はありませんがw

上手く言葉にできませんが、知らずに触れるよりも知りたい気持ち。知り得たモノに更に触れる為に手を伸ばしてゆきます。
長々とすみません。
本当にありがとうございました!!!

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浄土で人はなにをしているのか

我が家は浄土宗ですが、私は必ずしも浄土宗の教えがしっくりきません。 後世安穏、往生安楽国という表現があります。死んだら極楽浄土に行く、というのですが、じゃあ浄土では安楽にのんびりと暮らすんでしょうか?何も苦がない世界では何をしているんでしょうか?それはとても退屈で飽きる生活が延々と続く事ではないかと悩みます。 解釈が間違っているかも知れませんが、私は最澄さんは「生きていることそのものが菩薩行だ」と言われたように思っています。だから日々、観音経を唱えるのは「自らもかくあれ」ということだと思って唱えています。 でも生きている間には私たちは菩薩の域には到達できません。となれば、死んでからも菩薩になるための修行をするんだと思っているのですが、すると浄土では何をするんでしょうか。地獄についてはたくさんの絵も説明もあります。しかし、極楽世界といわれるところで、私たちはどのような生活を、どのような思想的な深みを目指す営みをするのでしょうか。今が苦しい、その救いとして安楽な浄土があるという理解ではどうしても納得がいかないのです。 浄土で、私たちは何をする覚悟をもって旅立てば良いものでしょう。

有り難し有り難し 8
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