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自殺以外の選択肢が思い付きません

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お世話になります。2年半ほど前にコロナ禍で生きがいを失い、悩み相談させて頂きました。その時に頂いたご助言のおかげもありなんとか生きながらえています。
しかしながら、タイトルにもある通り以下のようなことから希死念慮が絶えず付き纏っています。
まず仕事面については今年色々と行き詰まりがあり数ヶ月の休職をしてしまいました。今は復帰していますがリハビリと言うこともあり給料に見合わない(不当に高く払われすぎだろうと思われるような)単純作業をする日々です。周りの同世代や下の世代がどんどん仕事を覚えてキャリアを進める中で自分1人が無様な状況。転職しようにもこんな奴が箸にも棒にもかかるとは思えず。30になるので第二新卒もない。情けない状況です。
次にプライベート。当方男ですが、周りの同世代は上記の仕事面だけでなく恋人がいたり結婚したり子供を授かったりとプライベートにおいても充実させてます。それに比べて自分は未だ一人で仕事は上記のざまで、趣味も1人でライブやスポーツ観戦をするもコロナ規制や同じ場所にカップルで来てる人を指を咥えて眺め悶々とする日々。
そしてコロナ禍に対する不満。前回質問時もお話ししましたが、日本だけが一向にコロナ規制が終わらず、ライブやスポーツ観戦も思ったように楽しめない日々。まして今はカタールW杯でマスクなしの声出し応援をしてる風景を見て余計に悶々とします。「うちはうちよそはよそ」と言われても現状を正当化したいだけの屁理屈にしか聞こえません。

上記の通り仕事やプライベートで一向に思ったような改善や向上が見られない、そしてその原因は自分にある。

どんなに嘆いても社会や世の中は変わってはくれません。分かってます。どんなにコロナ規制の不満を嘆いても変わらない。だったら自分が良くなるように変わるしかない。でもそれも出来てない。なら自殺以外に選択肢がないですよね。弱者男性という言葉がネットで流行ってますがまさに私のことです。ネット曰く私のような人間は安楽死で淘汰されるべきだそうで是非そうしてもらいたいです(笑)

ならさっさと死ねよに対して返す言葉もありません。慰めが欲しくて書いてるのでもないです。死にたいなら死ねも大歓迎です。最後は取り止めもなく気持ちを書かせて頂きました。
要は死ぬ勇気と生きる希望のどちらかが欲しいと言う悩みです。申し訳ありません。

2022年12月1日 20:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

希死念慮という言葉に騙されてはいけない

私も死にたいというときは何度もありましたよ。
人間誰だって、辛いことが重なる=心の中で悪いこと・暗いこと・ネガティブなこと・陰鬱なこと・精神に活力を与えないことを考えていればそれが脳内で最優先案件とされる。だから、死にたい死にたいということをやるようになるの。そういう心理に追い詰められているというだけなのです。私自身も当時は死にてーという気持ちに取りつかれていました。あるとき「ああ、これは脳が死にたいということを考えているだけじゃん。」と気づけました。人は考えたことに「なる」。
西遊記やアニメのドラゴンボールになんにでも変化するキャラクターが登場するでしょ。それは人間が「考えたことになる」ということを象徴している一面もあります。
選択肢は二つどころではない。
死にたいというならそれは我なのか。我を捨ててもいいと思うくらいなら無我です。無我は千手観音の象徴。無我だからこそ、死のうという選択肢を改変することができる。
死ぬ気になれるということ。
死んでもいいくらい、何でもやれるということ。
死んでも誰かを守りたい。助けたいという力にもなる。
私は、死んでもいいというほどに思うのであれば、この世に本当の救いというものはないのか!と奮起しました。
仏教でもサトリサトリといいますが、本当に悟りということがあるならそれはどういうことなのかを知りたいと思いました。
こんなに死にたい死にたい行っててばかばかしい、情けない!と怒りの気持ちすらわきました。
その時、怒りというエネルギーは私をすくったのです。
怒りも悪い怒りばかりではない。
世の中の多くの人たちを救われた人たちもみんな怒りを上手に用いた。
この世の中を何とかしたい!
こんなことで苦しむなら、この苦しみをもう誰にもあわせたくない!
そうして生まれたものがあんたの前にあるあらゆる道具だとおもってみなさい。
するとカーテンだってまぶしさをさえぎるもの。
布団だって寒さを無くしてくださるもの。
携帯だって伝書バトや早馬を用いずとも遠方の人と連絡が取りあえる素晴らしい救済グッズでしょう。
あなたの悩みだって、これを通して誰かを救う力になるのです。
生きるか死ぬかだけではなく、今俺はこれを見ていたという選択肢があったはず。
人間の心は迷うためだけにあるのではない。誓願。より良い心へ向かうためにある。

2022年12月2日 8:26
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有り難し
おきもち


丹下 覚元(たんげ かくげん)
お悩み相談は「08020659278」まで。どなたでも無料。 救われた方...
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「自殺・自死」問答一覧

自死を計画している友人

 近日自死を計画している友人がいます。自分にとって本当に大切な人です。 昨年11月ごろから計画の事を薄っすらと聞いておりましたが、日が近づいてきて現実味を帯びてきました。  友人実家の連絡先を知っているため、せめてご家族にお伝えしたいと思うのですが、面識のない友人からの連絡をすべきなのでしょうか、友人家族をめちゃくちゃにしてしまうのではないかと恐怖があり中々踏み込めず、その上時間が無くなってきました。  また、友人は病気だから死を望むと言うよりは、生きるのに疲れた何もかもが面倒になったと言う雰囲気で、慰めや傾聴はもはや効果はない様子でした。  死ぬ事を選んでも仕方ないと思えるほど生きる事に苦しんでいます、自分は自分の勝手で家族に連絡してそれを止めようとしているのかもしれないと言うのも悩む理由です、正直ここまでよく頑張ったね、お疲れ様とも思えるのです。  役所にも相談しましたが、友人本人かご家族からの相談がなければ行動を起こせないと言われました。友人は家族とは関係が悪い感じでは無さそうです。  自分は友人にどうにか前向きになってもらえないか、何度も会って遊んで楽しい時間を過ごしてとやってきましたが、どこでも良いから相談して欲しいと告げたら気を損ねてしまい、友人から連絡が来なくなってしまいました。  自分自身も悩みすぎて睡眠薬とうのお世話になり正直参っております。

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正月に自殺します。

今年の秋,うつ病と診断され1ヶ月ほど休職し現在は職場復帰しました。 しかしながら配慮された業務配置で周りにも迷惑をかけている現状で,とてもとても居心地の悪い状態です。(それに関しては自分自身の感情に大したことはありません。元々仕事嫌いなのでいずらいなあと思う程度です。) 先日,会社が提供している社員向けサービスの心理カウンセラーとオンラインでカウンセリングを受けました。その際に「今後どうしていきたいか?どうなりたいか?」と問われました。私は全然わかりませんでしたが,その場しのぎで「穏やかに健康に生きていられればいい」と答えそのカウンセリングは終わりました。 後になって考えてハッとしたのですが,私はもう「どうにもなりたくない」のだと悟りました。復職を果たしても頑張っていかなければならないことはかわらないし,苦痛はその都度やってくるのだと思います。 今まで無理をして生きてきたので,ここらが丁度いい潮時だなと感じています。不思議とこれから自殺することに清々しささえ感じておりやっと終われるんだなと安心しています。 質問というよりは宣言になってしまいましたが,自分の人生に満足し勝手に死ぬことは悪くないなあと思います。今までよい人生でした。幸せでした。

有り難し有り難し 88
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自殺したくないが……

初めまして。 稚拙な文章で、ご相談させていただくことを最初にお詫びします。 前日、解雇勧奨を受けてしまいました。その話を上司からされた時、頭の中が真っ白になり、どうすればいいのか分からなくなりました。 そしてようやく考えられることが出来たのが自殺。死に逃げる事だったのです。 普段から精神的に苦痛を感じると自殺を考えてしまう癖が、中学生の頃にいじめを受けてから芽生えてしまいました。 それが自分の悪い癖だということを自覚してこれまで切り替えながら生きてきましたが、今回は具体的な自殺方法を考えるまでに至りました。 ようやく天職と思える職業に就けたからです。やる気も情熱もとてもあったので反動が大きかったのでしょうか。帰宅中も自殺の事ばかり考えていました。 しかしながら、大好きな恋人や身を削りながらここまで育ててくれた母親を悲しませられないので行動には移せません。自殺するとき痛いのも苦しいのも怖いです。 それらが理性となり、自らにブレーキがかかっていますが、残念ながら世の中にはブレーキがかからず自ら旅立ってしまう方が少なくないです。私のようにブレーキは機能していた時はあったかと思います。 私もいつかブレーキが悲しみの涙で錆びきってしまい自殺を成し遂げてしまうのでしょうか。 死にたくないですが、死にたい衝動が大きくなりつつあり、泣いてしまいます。現在生活が困窮しており、同棲してる恋人には「私の頑張りが足りない」と謝られてしまいました。絶対そんなことないのに。 未来のために、この絶望に負けず耐えて生きたいですが、絶望こそ甘えでもあるのでしょうか。そう思うと自身に自信が持てず、自殺が近くなるようも気がします。 普段から自分の弱い所を母親、恋人、友人に相談する勇気が持てないので初めてhasunohaでの相談に至りました。 いつか自ら命を断ってしまうのでしょうか。しない為にもどのように生きればいいでしょうか。 とても未熟な質問で申し訳ありませんが、御回答願います。

有り難し有り難し 4
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自殺願望から逃れられません。

私はもともと引っ込み思案な子供で、子供のころ何度かいじめにあい、 それから人とコミュニケーションをとるのが苦手になり人を信じられず、 常に自分に自信がなくて卑屈で、常に人の顔色を窺う生活をしてきました。 <br>そんな自分を変えたくて、社会人になってからあえて人と接する仕事を選んだり、 同じ趣味を持つ人たちのコミュニティに入ってみたりしましたが、結局うまくいかなくて毎日孤独と不安と戦いながら生活しています。 <br>今は話し相手をうわべを取り繕えるネット上でしか見つけられず、 結婚もできず、親友と呼べる人もいない。ただ無駄に酸素を消費して生きているだけで、自分の存在価値をみじんも感じることができず、生きていく意味が分からなくなってしまいました。 <br>正直な所、ずいぶん前から自殺を考えています。 でも誰にも迷惑をかけない死に方が見つからない。 家族は私がこんな悩みを持っていること自体知らないから、 きっと私が自殺をすれば驚いて苦しむでしょう。 世間体を気にする親だから、娘が自殺したなんて周りに知れたら、 私を怨むかもしれない。 そう思って頑張ってきたけど、 だけどもう限界で、毎日仕事では自分の意志とは正反対に笑って過ごして、 家に帰れば不安と孤独で一人で泣いて、ほんとに苦しくて辛くて、これが生きている間一生続くと思ったらもうたえられないんです。 <br>自分の精神状態が異常なのは理解しています。でも病院に行って薬をもらったところで、私の今おかれている現実は何も変わらない。ならこの苦しみから逃れる方法はやっぱりこの世から消えるしかないという考えに行きつく。 このループから抜け出す方法なんて、本当にあるのでしょうか?

有り難し有り難し 26
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自死は幸せなことなのでしょうか。

こんにちは。 うつ病を患っていて、精神科に通院中です。 時折、とても強い希死念慮に襲われます。 その度に処方された薬を飲んで、逃げるように眠ります。 私は父を自死で亡くしていて、娘の私もその選択をしようとしているのです。 現状は確かに辛いのですが、死ぬほどのことなのかと言われるとそうでもない気もするし、けれど確かに「死にたい」「消えてしまいたい」「死ななければ」という思いもあるのです。 子どもはかわいいはずなのに、今は成長を喜ぶことが精一杯で、世話はほとんどを母に任せてしまっています。 私がいなくてもきっと、子どもは育っていくのでしょう。 無責任なのは十分に承知していますが、もう疲れてしまいました。 いつもいつも、ギリギリのところでなんとか生きてきたような、綱渡りをしてきたような感じがします。 自死した父は、今幸せなのでしょうか。 自死する私は、後悔するでしょうか。 とりとめのない文で申し訳ありません。 なにかお言葉を頂けるとありがたいです。 子どもは3人、下の子は双子です。 夫とは離婚を前提とした別居中。 過去に実家族から性暴力を受けていました。(今もたまにあります)

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自殺は止めるべきなのか

自殺はいけない。 以前はそう考えていました。 実際目の前で自分の命を絶とうとしている者がいたら全力で止めたと思います。 実際には止めてるつもりでも言葉の使い方によっては最後の一押しになるかもしれず、こういう時は中国人のように無関心で居た方が安全なのかもしれません。まぁそれでも「止めよう」とはしたと思います。全力で。 止めるのが正しいのか悩んでいる今でも実際にその場に居合わせたら止めるかもしれません。でもその理由は「目の前で死のうとしている人を放置して実際に死なれたら寝覚めが悪いから」という利己的な理由からであって。以前のように「それが正しいことだから止める」という風には考えられなくなっているのです。 先日「刑務所に入りたいから」という動機で漫喫に立てこもったバカがいました。去年も同様の事件があったと記憶しています。というかもはやそんなに珍しい事件ではないのかもしれません。 もっと悲惨な事件もあります。今年二月に起きた大坂の心療内科クリニック放火事件。動機も空かさないまま犯人は死んでしまいましたが生前「生きづらさ」を訴えていたとと聞きます。生活困窮者で将来の希望もなかったのでしょう。 自分の嫁との関係を疑って相手の家族を殺した挙げ句(相手本人は不在のため殺害を免れる)犯人が自殺、というケースもあります。遺族には恨みをぶつける相手もいません。 そして今回安倍氏を銃撃した山上某。 彼の境遇も悲惨、凄惨です。事情だけ聞けば春原も同情しています。同情せずにはいられません。 これはこれで本心なのですがその上で「こんなことするくらいなら死ねよ」と考えている自分が居ます。 そんなにタヒにたいのなら他人を巻き込まず自分だけでどうぞ、ってことです。 自殺がいけないことだということはよくわかっています。生きるための努力をすべき、ということも。 でも精神やられちゃってそういうことができない人も居るでしょう。そういう人が死のうとしている時に果たしてそれでも止めるべきなのか。 どうお考えでしょうか。

有り難し有り難し 45
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ