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阿弥陀如来と釈迦如来、大日如来の関係

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有り難し有り難し 9

最近、他宗にも興味を持ってあれこれ勉強しているのですが、阿弥陀如来は真言宗では大日如来の分身、天台宗では久遠実成の釈迦如来の分身と捉えているようです。
そこで、はて我が浄土宗ではどうだったかな?となりました。
僕の理解では阿弥陀如来の方が上位で釈迦如来は阿弥陀如来の誓願を衆生に伝えるために娑婆世界に現れたものだと捉えていましたがどうでしょうか? それとも浄土宗も天台宗から派生したのだから僕が聞いた事ないだけで久遠実成の釈迦如来の分身ということになっているのでしょうか?
またそれ以外の他宗(例えば禅宗)などではどう捉えているのかもお聞きしてみたいです。

2023年1月16日 7:32

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一切智者同士、融通無碍の関係

花果山さま

悟りを開かれた仏陀・如来は、境地は同一であり、優劣は特にありません。(法身)

ただ、救済力にはそれぞれの修行過程における菩提心や誓願、功徳行等による違いがあり、色身の能力が異なるところとなります。(報身・応身)

また、仏陀・如来は、一切智者同士で、融通無碍に互いのことを知り得るところとなります。衆生の救済にあたっては協力関係を互いに図ることも可能となります。

一つの三千大千世界は広大なため、如来の力が及ぶ範囲(報身・応身)は限定的となります。いわゆる一仏国土であります。

そのため、法身のみの仏国土や法身も不在となった仏国土では、衆生の教化が進められないこともあります。現在の娑婆世界では、釈尊の最勝応身が入滅されて以降、次に弥勒仏が下生なさられるまでは、仏陀・如来の報身・最勝応身が不在であるため、我々凡夫が直接に仏陀・如来から教えを頂けることができなくなってしまっています。(但し、衆生の側の機根が菩薩の八地以上の境地となれば、見仏も可能にはなります。)

そのため、釈尊は、他の仏国土、他の仏陀・如来も色々とご紹介なさられて、他の仏陀・如来との見仏と授記(仏陀・如来から直接に個別具体的な修行のアドバイスを受ける)を頂けるようにも促されたのでもあります。阿弥陀経などがその一つとなります。

とにかく私たち凡夫が相見えて、質疑応答等もできるなどして、直接に教えを頂けるのは仏陀・如来の最勝応身のみとなります。

もちろん、仏陀・如来の在世である他の仏国土へと赴いて(往生・引導)、仏陀・如来の報身や他の応身からも教えを頂けることがあり得ることにはなりますが、それには衆生の側において、ある程度の最低限の境地、境涯がやはり必要となります。無条件で見仏・授記を頂けるわけではないことは十分に注意が必要となります。

特に葬儀の役割というものは、亡者を仏弟子としてある程度の条件を調えさせた上で、仏国土へと往生・引導させしめて、見仏・授記を頂けるように促すためとなります。また、密教においては、灌頂という方法にて、ある程度の条件を調えさせて凡夫であっても見仏・授記を頂けることができます。

ただ、その「ある程度の条件」が、実際に仏陀・如来(の報身・最勝応身以外の応身)との見仏・授記に適うものであるのかどうかは別に慎重に吟味する必要性があるものと考えております。

合掌

2023年1月16日 8:13
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三休さん
二休みも三休みもしてしまう怠け者。三休です。 最新の仏教論考はこちら...
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質問者からのお礼

>三休さま

回答ありがとうございました。
正直言うとおっしゃっている事が難しく、結局質問の原意への答えがどうなのかわからずじまいです。

「仏教全般」問答一覧

仏教はその目的の実践以外何もない(3)

 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略  (私見)  釈尊の説教にしては珍しく、修行者であった過去の苦労を述懐しています。  輪廻転生は既に先達が確認しているので、終始その出離を模索していたことになります。  生があれば自然の摂理で老病死は免れず、仏教とて救うことは出来ません。  死後は苦が無くなるので、仏教は救う必要はありません。  再生を断ち切ることだけが、仏教の救いです。  仏教はその目的以外何もないのです。  「生」については、心が永続するとなれば誕生の仕組みが常識と大幅に変わります。  渡哲也の病状に関して、一時テレビに出演した臨死体験者の新堂のぶ子氏は、講演会で「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」と述べています。  また「子は授かりもの」とも言います。  またある宗教学者が、多分「大縁経(広縁経?)」に「意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と伝えています。  このことから想像すると、総てが自分の意思で生まれたのだということになります。  親は唯この世で生きるために身体を作ってくれたのです。従って「生老病死」は自己責任です。   因みに、浄土宗ではお説教の初めに三帰衣文を唱和するそうですね?  その内容は「この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん」だそうですね。  「度する」は多分般若心経の結論である、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」の「度」ですから 正に「仏教の目的」そのものです。

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仏教はその目的の実践以外何もない(2)

 阿含経典 縁起 (南伝 相応部経典 12.3. 道跡) 前略  「比丘たちよ、正しからぬ道とは何であろうか。  比丘たちよ、無明によって行がある。(以下十二支縁縁起)受→愛。愛→取。取→有。有→生。生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積のよって起こるところである。  比丘たちよ、これを正しからぬ道というのである。  比丘たちよ、では正しい道とはなんであろうか。  無明を余すところなく滅することによって行は滅する。(以下十二支縁起)愛→取。取→有。有→生。生の滅することによって老死・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。このすべての苦の集積のよって滅するところである。  比丘たちよ、これを正しい道というのである。」  (私見)  仏教を知らない人は、皆「無明」なのでしょう。だから縁起に従って生まれてきます。  それは正しい道ではないと警告しています。  生まれてきた人間にお前は正しくないと言われては、何とも救いがなく宗教にはなりません。  従って仏教は「真実の教え」であって生きている人間には救いもなく大変冷たいのです。  救いは次の「正しい道」だと教えています。  しかし無明を「有明」にするのであれば比較的易しいですが、無明を「滅する」となっていますので、とんでもない話です。比丘には「涅槃」を勧めています。いわゆる「心の死(エネルギー化)」ですね。   唯「目的」は「解脱」となっていますので、衆生には、浄土(天界?)へ行く「生まれ変わらない」道をを含んでいるようですので少しは安心です。

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仏教≒物理学と言われたけれど?

 いつもお世話になっております。常々こちらで申し上げております 通り、私は、昨今の仏教情勢に強い危機感を感じています。この道に 関心や知識のない方からは、 「仏教は、非現実的で、拝めばどうにでもなると思っている偶像 主義・神秘主義で、拝んでいない奴は救われない、拝んでいる自分 たちは特別な存在だと思い込んでいて、現実的な考え方ができない 人たち」 という印象を持たれ、信者側には、 「拝んでいない連中は、貧乏暇なし。私たちは、拝んでいるから 努力しなくてもいい。神仏が何とかしてくれるから。全ては、 神仏の働きによって成り立っている。拝めばなんとかなる。 ○○寺は強い、××寺は弱い。だから○○寺のお守りを持って いれば、力を得られる」 などという、宗教ではなくオカルト的な認識が蔓延しています。 信者だけでなく、本山や有名寺院まで、オカルトビジネスで 儲けています。  私もそんな愚かな妄信者でしたが、こちらのお坊様のお話を 勉強させていただくうち、 「世の中でまことしやかにささやかれているオカルト的な考え方は、 本当の仏教じゃない。仏教は、とことん現実を見て、現実に存在 する事物を駆使して苦しみを除き、間違った論説に惑わされず、 冷静に生きていく教えなんだ」 と感得しました。  そこで私は、学生時代に大嫌いだった理科を学ぶことにいたしました。 基礎、有機、生化学の教科書が家にあります。白衣も、簡単な実験器具 もあります。  近所のお寺の住職様にこの考えを伝えたところ、 「化学もいいけど、物理が大事な気がするなあ」 と言われました。  しかし、物理は戸口が大変広い学問です。力学、電磁気学、量子論、 相対性理論、光学…身近な例だと、心霊写真は光学でしょう。霊感は、 精神疾患や劣悪な環境(カビ毒など)、低周波音が原因といわれる ので、化学なら生化学、物理なら音波…  色々調べているのですが、わかりません。大学に行けば、と言われ そうですが、私は持病があり、大学受験に割くことのできるエネルギー がありません。市民講座や、好きな科学者さんの実験ショーにはお邪魔 しようと考えていますが…  物理学の中では、何が一番仏教に通じていますでしょうか? ご高見を賜りたく存じます。よろしくお願い申し上げます。

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仏教はその目的の実践以外何もない(1)

 「仏教の目的」とは「輪廻転生からの解脱」ですが、阿含経によれば、それだけと言う大変厳しい教えです。  従って、この説教は釈尊の予言通り、没後500年で滅亡したようです。  自己否定の説教では誰も就いていけなかったのでしょう。  現代の仏教は四苦ではなく多くは「老病死」の三苦となっていますが、滅亡した仏教では「生」が最大の問題です。  以下順を追って経典を眺めて見ます。 阿含経典 縁  (南伝 相応部経典 12.20. 縁 )  前略  「比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。生によって老死がある、という。このことは如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているものである。」(以下略)  (私見) ここで「縁起」とは「生老病死」の四苦を言い、しかもそれは仏教とは関係のない、自然の摂理であると断定しています。  自然の摂理ですから、仏教はそれを救うことは出来ないと言う意味に取れます。 生まれたら苦しみを逃れるにはひたすら死を待つだけです。死ねば四苦から解放されます。  死後が無ければ、それですべて解決しますが、身体(色)は死んでも心(受想行識)は同時には死なないようです。身体は構造が複雑ですから故障しがちですが、心はその構造もわからず、臨死体験から想像すると多分空気のように軽いでしょうから、死ぬ要素が無いのでしょう。だから仏教では「死」を死と言わず「往生」と言っています。  従って仏教の救いは死後にあると言いうことになりますが、四苦が無いですから、仏教の出番は無い筈です。  多分前世に残った欲の記憶が、再び生へのあこがれになるのでないかと思います。  これは人間に限らずすべての動物に共通の営みでしょう。  これ等を生前に理解して実践し、再び出生しないよう救うのが滅亡した仏教です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ