亡くなった母を思い出して悲しい
私が28歳の頃、母が半年ほど自宅で闘病した後、ガンで亡くなり、私は自分が自立していなかったこともあり、悲しいのと同時に、とても不安でした。
当時は、人間的にも他にはいないような、やさしい母、私のせいで、私がもっと何かできたのではないかということばかり考えていました。
ここ何年か、さも私や家族が悪いように言いながら、わがままを言ったり、私のためを思っているようで、ただ感情をぶつけていたのではないかと思えるような、母のみっともない面、いやな面を思い出すようになりました。
なにか遅れてきた反抗期のようでもありますし、母親を悪く言う、ひどいことを言うほど私は堕したのかなとも思えます。
母が死んだ年は、うつ状態になり、その後人生で起こることも悪いことが多く、今も引きずっているようなところもあります。
私の現状はいいとは言えず、そういったことも母を思い出すことと関係があるのかなとも思えます。ただ、直接には存じ上げませんが、幸運に恵まれなくても、不幸続きでも、良く生きている人はいるのだろうから、そういうことは理由にはならないのかなとも思います。
母が亡くなって10年以上経ちますが、今も悲しく、さびしいです。つらいです。人並み以上に母がみじめな思いをしたように思えたり、私自身もひどくみじめに思え、母と、なんというか、心のつながりがないように思えます。一方で、以前よりも痛切にさびしさを感じるようになりました。私の人間関係が母しかなかったこともあると思います。母の死が過去のことになっていきません。苦しいです。
なにかの本で読んだように、母のことを思い出し、自分は大丈夫と思えるようになりたいと思うのは、欲でしょうか。
どうして母のいやなことばかり思い出してしまうのでしょうか。
なにかお言葉をいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自己愛 わが子愛 親族愛 から 慈愛 慈悲 へ
全部読み終わった後にもう一度読み返してください。
道元禅師はただ仏法のために生きなさい、と。
別の言葉で通訳すれば自己愛よりも他人愛よりも真実の愛のために生き、愛そのもののために生きろ、と。自分が愛の塊になれ、と。
食品製造者であれば、食のために、生産のために、工場のためにではなく、人類全体のその食を通じての向上のために。
さて、ここからです。
お母様の大慈悲心と願いに寄り添う形であなたよりもお母さん目線でお話をさせていただきます。厳しいこともあえて申し上げます。
愛は愛でも「自分がかわいそうな気持ち」になるような愛であったり、喪失感にとらわれて自分が何もしたくないような気持にとどまってしまうレベルの愛は自分を愛する愛が先立っているかもしれません。
こういうと傷つくかもしれませんが、それは「傷つく」のではなく「気づく」作用に転ずべきこと。この世のすべての人間はおおよそ自分を保持・保身し、自分を守ろうと必死。そういう自己愛意識があるのは万人共通です。ですが、その自分を保持・保身しようとする目線で他の存在から守っていただいた愛を愛と呼ぶよりも、人間誰でもこの至らぬわが身を長年、見守って育ててくださったことへの素晴らしい愛の作用を拝む気持ちが先に優先されないと、自分LOVEを先としてしまう悲しい心理が人にはあるように感じます。我々はボーさんですので、この人類全体の哀しい自分LOVEにも目を向けて心を省察いたします。修行が辛い厳しい言いますのは自己愛ゆえに。そういう複雑な自分愛がものすごくネバネバしいものであるということを見抜くことこそが大変なのです。
もし、そこに自分愛がこれっぽっちもなければ本当はあなたは傷つきません。
本当に自分よりもお母様ファーストな愛に目覚めることができれば亡きお母様もお喜びになるのです。
なぜか。
あなたが真実の愛に目覚めるからです。
真の母性とは自分よりもわが子のために。いや、自分なんぞよりも我が子よりも「愛」の働きそのもののために。
あなたもお母さんがあなたにしてくださったような同じ母性に目覚めれば、自分よりも愛すべき存在のために動けるようになるでしょう。
そして、さらなる高い愛に目覚めることができればお母様と自分との過去におけるわだかまりも救うことになり、これから出会うすべての方々を愛の力、慈悲の力によって助けることができるのです。礼拝
負のループを断ち切るには
マツ 様
私は人生で、努力をしてこなかったから苦しいと自分を責める。鬱になり情けないと思う自分を受け入れられないから、10年も前に亡くなっているけど、頼っていた母に思いを向けて、今の自分の嘆きを母に転嫁し、反抗期のようだと亡くなった母を責める。それがまたさらに辛く悲しいうえに孤独で、そしてまたそれをみじめに思いまた自分を責める。
あなたは、苦しい辛い負のループをどこで断ち切りますか?
あなたはもっと自分を大切に扱っていい。と私は思います。
暖かな、穏やかな、優しい雰囲気にもっと近づき触れていいのです。
自分の好きな場所へ行き、優しい光に包まれて、癒されていいのです。
鬱になったのも、お母様を責めるのも、自分を苦しく思うのも
あなたがそうなりたくてなったのではありません。
もっと癒されていいし、もっと泣いていいし、
もっと、だれかに優しさを分けてもらっていいのです。
どこかで、安全や安心を感じて、なだめてもらってください。
そして、自分の心を開放し、辛い思いを全て吐露した時、
あなたの声が感謝に変わり、お母様の微笑みがあなたに返ってくるでしょう。
上記の事を
親友や恩師やカウンセラーやセラピストやお坊さんなど、あなたのもっとも頼れる人を頼って、ゆっくりと気持ちを傾聴してもらってください。
それがあなたの一歩となるでしょう。
私はそう思います。合掌礼
追伸:ご丁寧なお礼メッセージありがとうございました。
「誰かに話を聞いてもらいたい、癒やされたいです。たぶんそれは本音です。」「そう切に願います。」を頑張らずに、頼れそうな人をとりあえず頼ってみましょう。見当たらなければ、ハスノハのZ00Mで話すオンライン相談を申し込めばよいと思います。話しできそうな回答僧を頼ってみてください。再礼
あったものが亡くなったのではなく、今の様子があるだけ
お母様のこと、過去の記憶や思い出を掴み考えの中であーじゃないこうじゃないとやってらっしゃる。そりゃ辛いですよ。今の様子を見ればお母様はいない、しかし記憶にはある。比較していないことに悲しさを感じる。
仏道の救いは記憶や考え方にはありません。今すぐにあなたの体のあるここに目をむけることです。思いではなく、リアルの今。今触れているここには、あるとかないとかいうこともなく、満ち足りています。
考え方としては、お母様はいい加減思いを手放してほしいでしょう。ですから嫌われるような嫌なことを思い出させていると考えてみてください。これは一つの区切りです。過去にとらわれず今を生きなさいというメッセージと捉えてみてはどうでしょう。
お母様にお伝えなさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたがお母様のことをとても思い出してしまいいいこと悪いことも含めてあれこれと思い悩んでしまっておられることを読ませて頂きました。あなたのそのお悩みを心よりお察しします。
あなたも年齢を重ねていく中でお母様の様々な一人の人間として色々なこと思い当たる様になっていらしたのかと思います。あの時はこうだった、その時こんな風に言われたあんな態度だったというのがあれこれと思い出されているのかと思います。
私達は誰しもが完璧ではありませんし日々様々なことを経験しながら移り変わりゆくのです。そして成長なさっていくのです。
あなたからみてもお母様は成長過程にあったのかと思います。
そしてお母様はお母様なりにできるだけあなたを一生懸命に愛して育てておられたことでしょう。
お母様はお亡くなりになられて仏様や神様に導かれご先祖様に迎えられて心安らかに穏やかにご成仏なさっておられるでしょう。そして今でもあなたをことを片時も忘れることなく優しくお見守りなさっていて下さっているでしょう。
あなたとお母様とのご縁はこれからもずっと永遠に続くのです。
どうかこれからもお母様へ安らかにとご供養なさると共にあなたのお母様への思いを素直に心からお母様にお伝えなさって下さいね。お母様はあなたのそのお気持ちを全て優しく受け止めて下さいます。あなたのお気持ちを優しく受け入れて優しく寄り添って下さいます。あなたがこれからも生きていかれる中でお母様と共に成長なさっていかれるのです。
そしていつの日かあなたがその天寿を全うなさる時には必ず仏様や神様がお迎えなさって下さり、お母様がご先祖様を連れてあなたを優しくお迎えなさって下さいます。そして喜び合い分かち合い共に安らかに成仏させて頂くのです。
あなたがこれからもお母様とのつながりの中であなたの人生を心豊かに健やかに生き抜いていかれます様に切にお母様にお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
たくさんご回答をいただき、胸がいっぱいです。追ってお一方ずつお礼させていただきます。
ありがとうございます。
邦元 様
ご回答誠にありがとうございます。
生前私があまり外に出ていかない、人付き合いをしないので、母から色々言われていたことを思い出しました。亡くなってからも同じことを繰り返していますね。
今ここに目を向ける。実行に難しさも感じています。
仏教に源流を持つ瞑想をしたことがあるのですが、色々あってやめています。また始めてみるのもよいのかもしれないと思いました。
ありがとうございます。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご回答誠にありがとうございます。
私自身変化していくにつれて、母への見方が変わっていくのですね。
やさしい母だったと思います。母は迎えに来てくれるでしょうか。
母が安らかであるよう祈りたいと思います。
私が成長していけるように、母が見守ってくれているというふうに、時には思い出したいです。
ありがとうございます。
丹下 覚元 様
ご回答誠にありがとうございます。
母が亡くなる少し前に「お金よりも愛情とかそういうもののほうが大事だよ」と言っていたのを思い出します。そういう照れくさい話をする間柄でもなかったのですが、母なりに仏法、真理を伝えようとしていたのかなと思います。
今の私には母のしてくれたようなことはできないと思えます。また、母は私の社会における立ち位置、社会で、社会に何ができるかという点からも考えてくれていたようにも思います。
今私は毎日をつらく感じています。
少しわかったようにも思いますが、私が未熟なので、何度か読み返しているのですが、自己愛と今のつらさがうまくつながりません。それほど自己愛を見抜くということは難しいのだなと思います。
レベルの高いお話をしてくださり、ありがとうございます。
一朝一夕にはいかないとは思いますが、慈悲心でもって生きていけるようになりたいです。
ありがとうございます。
釋 孝修 様
ご回答誠にありがとうございます。
温かいお言葉をありがとうございます。
お写真を見て、実家で飼っていた犬のももを思い出しました。向こうはなんとも思っていなかったと思いますが、私は唯一無二の親友のように思っておりました。晩年はそうでもなかったですが、人間とはケンカしない方なのですが、よくケンカしていました。同じく10年ほど前に亡くなったのですが、不思議とペットロスにもなりませんでした。
今それほど大変な生活をしているわけでもないのに、安全や安心の感覚を久しく味わっていないように思います。
誰かに話を聞いてもらいたい、癒やされたいです。たぶんそれは本音です。
聞いてもらっていいのかなと思いますし、結局自分が頑張らないといけないのだろうと思います。それでもそう切に願います。
誰かを頼ってみたいと思います。
ありがとうございます。