肉親の捉え方
以前に親の事でご相談しましたがその際に、浅はかだ、最低だ、愛情は無いなど、親に対する誹謗を書き連ねました。正直な気持ちとはいえ少々言い過ぎな気がして窘められるのではと思いましたが、それに対してのお言葉はありませんでした。
また他の方の投稿を拝見していますと、親とはいえ所詮は他人、親から離れなさい、とアドバイスされているお坊さまがいらっしゃいました。
宗教に限った事ではないですが、先祖や肉親の関係は大事にして然るべきものと思っていましたので、意外な気がします。(私自身の事は横に置かせていただきます(汗))
仏教では親兄弟など肉親を、どう捉えるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
すべて自分と同じ尊い存在なのです。
黒うささんへ こんにちは。
親に対しての思いが強いのですね。
仏教には今月の4月8日のお釈迦様の誕生に発せられた言葉「天上天下唯我独尊」があります。この世の中で私がただ一人尊いという宣言です。これはお釈迦さまだけが尊いのではなく、それぞれの命は一つの尊い命であることを教えてもらっているのです。そしてだからこそ自分も尊いのだから相手の命も自分と同じように尊ばなければならないと教えてくださいます。
親、兄弟、家族のつながりだけでく、すべての命は尊く敬意を持たなければならないのです。
その中で一番かかわりのある自分以外の命が親・家族です。父母恩重経というお経には、両親が生んで頂いたが故に、そして育てて頂いた故に自分の命があることへの感謝を説いています。たとえ酷い親でも捨て子の親でも、自分が今存在しているのは親のお陰です。もし母が子がいらないと思えば中絶もできます。生まれたと同時に殺すこともできます。多くの身勝手な中絶で尊い命が奪われるなかで、少なくともと月十日母体で育ててもらい生んでもらったおかげで私はここにいるのです。この感謝は親の良い悪いは関係ありません。
親孝行・先祖供養は、親のため、先祖のためにするものではありません。親・先祖に関係なく、自分の命の感謝の表現としてするのです。自分の命が尊い故に行う感謝の形です。
現実の世界ではいろんな親がいます。親も人間ですから完成された人間ではありません。子供と同じ悩みを持つ人間です。故に親の問題は親自身が解決する問題です。
心の改革ができるのは自分の心だけです。親の心を変えることはできません。自分の生き方は自分が一番人間として輝く生き方を目的に方法を考えますので、親と離れた時が良い場合は、そのようなアドバイスをするのです。合掌