3年
妻が亡くなって、早いもので3年が過ぎました。自分なりに必死に生きて来ました。子達を育て上げることが使命だと思いながら。でも最近、妻を想う気持ちが強くなり、名前を呼んだり、涙したり。会いたくて会いたくて…
やはり妻あっての私だと思います。毎日、空を眺めては妻を想い、早めに迎えに来てほしいなって。あちらで再会できますかね?
一緒に子の成長を見たかったな、一緒に出かけたかったなって、その場その場で思うと気持ちが滅入ってしまいます。乱文申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あの人がいたから〜特別な出会いと時間を重ねてきたからこそ
今までの質問も読ませてもらいました。
あなたの心の中には、ずっと生きていてくださるのですね。どれほどの方だったのだろうかと、私も想い巡らせています。
大切な人の死と向き合い 越えていくために、こうして気持ちを言葉にしていくって、大事な作業だと思っています。
私は毎月参りがありますから、読経の後で亡き人への思いを聞かせてもらっています。「あの人がいたから〜」そんな特別な出会いと時間を重ねてきたからこそ、死別体験は辛いけれど、忘れたくない思い出したい記憶として語っていきたいものなのですよね。
あなたもそうですよね。
一緒に生きて 見ていくはずだって景色を、一人で過ごさなくてはならないことが、どれほどの悲しみか。会いたくて堪らなくなりますよね。
仏様なら、それを叶えてくださいます。
あなたのそばで、あなたと同じ景色を、見られるように。また会える世界(浄土)をご用意くださっているのです。
いつの日か。ちゃんと待っていてくださいますよ。
私もそうして、仏様のお力(救い)を頼りに、何とか生きています。
また、話をしましょう。
あなたの気持ちを、想いを聞かせてくださいね。
これまでの質問も拝見し、
あなたの想いがどれほどのものか
そのお気持ちが分かるよとは到底言えませんが
そのお気持ちの強さは私にも伝わってきました。
どなたかと分かちあうことはできませんか?
あなたの想いをお子さんに話してみましたか?
いずれあなたも亡くなって
同じお浄土に往くことでしょう。
そしてそこで再会できるはずです。
でも
それがいつなのか?
それこそ
それが真実なのか?
我々には分からないことですが
それが真実であってほしいと願うなら
ただただ合掌しお念仏称えるだけです。
質問者からのお礼
ありがとうございました。涙しながら拝見しました。何だか、ここに相談と言いますか、聴いてもらうとスッと力が抜けます。いつの日か訪問させてもらい、お話できればいいなと思います。