49日法要、欠席しても良い?
先月大好きだった母方祖母を亡くし、5日後に49日法要があります。
通常であれば当然出席しますが、出席したくない気持ちがあり、どうしていいのかわかりません。
(外孫です。既婚、車で2時間半の距離に住んでいます)
とても簡単に説明すると、私は幼少期から実母に心身の虐待を受け、成人してからも言葉の暴力を受け続けてきました。
長いこと自分の中で折り合いをつけてきましたが、最近は私が心を壊すことが増え、なるべく関わりを持たないようにしていました。
そんな中、大好きだった祖母が加齢と共に弱りだすと母は祖母にまで言葉の暴力をふるいはじめ、それだけでなく医療や介護に関してもネグレクト状態を続けました。
祖母の財産も管理していたのですが、祖母の介護や医療には出し惜しみをし、自分のポケットマネー代わりにするなどもありました。
祖母が亡くなりその葬儀の席でも祖母を冒涜するような暴言を吐き、私への理不尽な言葉の暴力も続き、私は心の中でこの人との絶縁を決めました。
そんな中、法要です。
浄土宗の祖母の49日、大きな節目の法要であることは理解しています。
しかし、また葬儀の時のように、母が祖母を冒涜するような言葉を吐くのを聞きたくはありませんし、そもそももう母の顔を見たくない、声も聞きたくないし、同じ空間にいたくもありません。
祖母の財産を祖母自身のために使わずに母が好き勝手にしたことも許せないので、香典という形でもこれ以上母に金品を手渡すことに嫌悪感があります。
(葬儀での香典のお返しも、私だけでなく誰にもありません。)
母に関わるとなると、パニック発作が起き、関わった後数日間メンタルを壊してしまいます。(葬儀後もそうでした。)
法要を欠席し、私なりのやり方で祖母を偲び、冥福を祈って供養してもいいものでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
出席しなくて善いのです。
拝読させていただきました。
供養に出席しなければならない風習はまだまだ世間の風は強いものです。
しかし祖母様が、お母様とあいさんの関係を親族・血族というだけで出席することを喜んでくれるでしょうか。
法要は遺族のためだけにあるのでなく、故人様が主要となるものです。
最後の文面ーーー
"「法要を欠席し、私なりのやり方で祖母を偲び、冥福を祈って供養してもいいものでしょうか。」"ーーー
それで良いのです。あいさんが幼少より受け、今なお煩悶されている心身を削る必要はありません。
因果の法則を絶対とする仏教では、今苦しみとなる結果(法要)が分かっているのであれば、原因(行く)を作らないことです。まだ執着となっている段階では解決には時間を要します。
釈迦はこのように説きます。
『汝よ。過去の原因を知りたければ現在の結果を見よ。また未来の結果を知りたければ、現在の原因を見よ。』
と、説きます。
これが真理であり、道理であり、三世因果の法則なのです。
まだ起きていないことに、"行く気持ちを馳せることが"不安や苦悶を心に萌芽させています。
ただ一方通行でお母様の善悪を判断するには難しいものでもあります。
喧嘩や疎遠になった関係は当人同士にしか分からないこともあるものです。
だからといって、あいさんを責めたり悪いと言っているわけでもないのです。
お母様さまもそれなりの心情があったのでしょう。そして改善する機縁が少なかったのでしょう。
そう、可哀想に見てあげることも争いや嫌悪感から解放させる慈悲となります。
今、あいさんは既婚され大切な家族がいる身です。家族を守る母・女房として、決断されたのなら「これでいいんだ。」と自心に言い聞かせてください。
合掌
あなたのいる場所で心からお祈りなさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたは大好きなお祖母様の49日法要に参加するかどうかとてもお悩みなさっておられるのですね。詳細な関係性はわからないですけれども、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
あなたの文面を読ませて頂く限りに於いてはお母様からの暴言や暴力等であなたは今までも大変辛い思いをなさっていらして深く傷ついておられるのですね、ましてやお祖母様へもひどい扱いをなさったり、お祖母様がお亡くなりになられた際にもあなたのことを冒涜なさっていらしたのですね。あなたがお母様と会いたくないのも、お母様と縁を切りたいと思われるのも当然かと思います。
あなたがその様に思われるのであれば法要に参加なさらなくてもいいでしょうし、お母様に会わなくてもいいと思います。
お祖母様は必ず仏様がお導きなさって下さり、ご先祖様がお祖母様を優しくお迎えなさって下さいます。そして49日には必ずや極楽浄土に往生なさり、仏様のもとにてご先祖様方に再会なされ一切の迷いや苦しみからも救われて心から清らかに円満にご成仏なさっていかれます。そしてこれからもあなたや皆さんを優しくお見守りなさって下さいます。あなたとお祖母様とのご縁はこれからもずっと続いていくのです。
私も心を込めてお祖母様が安らかに往生なさいます様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏
あなたも場所は違えどもどうか心を込めてお祖母様が安らかに往生なさいます様にとお祈りなさって下さいね。至心合掌 南無阿弥陀仏
ですから無理に法要には参加することはありません。あなたのいる場所から心を込めて仏様にお祈りすればいいのですからね。必ずあなたのその思いや祈りは仏様やご先祖様や何よりもお祖母様に届いていくでしょうからね。ですからご安心なさって下さい。
そして悪縁をしっかりと切り捨てましょう。
あなたがこれからもお祖母様とのご縁を大切になさり毎日を本当に大切な方々と一緒にお互いを思いやり助け合いながら心から幸せに生き抜いていかれます様にと切に仏様やご先祖様そしてお祖母様にお祈りさせて頂きます。
いつでもどこでもどんな状況にあっても必ずお祖母様はあなたを見守り続けていて下さいますからね。そしてあなたがいつか天寿全うなさる時には必ず仏様があなたを導きお祖母様があなたを温かく迎えて下さいます。南無阿弥陀仏
無理をして出席しなくてもよいと思います
個人様への供養は、できるだけ長く折々に個人様を思い出して回向することが大切だと思います。
どんなことでも無理をすると長く続きません。
他の事に気を取られてお参りも供養の気持ちも上の空では、なかなか回向も難しいのではないでしょうか。
人の心は変わりますから、いずれ落ち着いた気持ちで法要に出席できる時がくるかもしれません。その時は、個人様のために丁寧にお参りされると良いと思います。
今はとても落ち着てお婆様のためにお参りできないということであれば、出席しないという選択肢もやむを得ないと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
本当に、ありがとうございます。
なぜか震えが止まらず、しかししっかりと拝読し、そして涙と嗚咽が止まらず号泣しています。
あたたかく、優しく、私だけでなく大好きな祖母にもそっと寄り添ってくださるお言葉、本当に嬉しくありがたいです。
救われる思いです。
大好きでした。本当に大好きな祖母でした。
もうどこを探してもいなくなってしまった祖母。
49日法要は、お骨やお位牌や遺影の前ではないですが、私が私らしくいられる場所で、祖母が好きだった私の夫と一緒に、祖母が好きだった花を飾り、祖母が好きだったケーキを食べ、祖母の思い出話に花を咲かせ、お念仏を唱え、笑顔で極楽浄土へ送り出そうと思います。
生前は祖母に会うたびに「大好きよ」と伝えハグしていましたから、今回もそうします。今回は南無阿弥陀とともに。
ご回答、本当にありがとうございました。
(一つ目のお礼は一向寺さまへでした。不慣れなもので、明記しておらず申し訳ありませんでした。)
法源さま
ご回答ありがとうございます。
私がこのような気持ちで法要に出席して、祖母は喜ぶだろうか。これは常に考えていることでした。
とはいえ、欠席ということが大切な節目の法要の場で許されるのか。これもまた、大きな問いでありました。
ですので、こちらにご相談させていただくことにした次第です。
いただいたお言葉
「あいさんが幼少より受け、今なお煩悶されている心身を削る必要はありません。」
「因果の法則を絶対とする仏教では、今苦しみとなる結果(法要)が分かっているのであれば、原因(行く)を作らないことです。」
というのがとても心に響き、同時に安堵いたしました。私なりの方法で、大好きな大切な祖母を偲び供養しても良いのだ、ゆるされるのだ、と許可が降りたような安堵感です。
母に関しては、わかりません。
実母ですから、娘として最大限、可能な限りの努力をこれまでしましたが、わかったことは「私が何をしても何をしなくても、とにかく気に食わないようだ」ということです。
避妊していたのにあんたができた、あんたよりお兄ちゃんの方がかわいい、あんたなんて私の娘じゃない、など数えきれない生存否定や人格否定をされてきました。
おかげで幼少期より自分を責めてきましたが、中年になりある時「それは私の問題ではない」「母自身の問題である」と気づきました。
それでも先方はことあるごとにその問題をサンドバッグがわりの私に投げつけて来るので、ついに私は心を壊してしまい、自己防衛のために縁を切ることをおもったのであります。
母がかわいそう、そうですね、ある意味かわいそうな人だなと思いますが、私の問題ではありません。
私は自分自身を守ることに専念したいと思っております。
話がそれまして申し訳ありません。
法要ですか、欠席しましても私なりのやり方で祖母を偲び、冥福を祈って供養いたします。
背中を押してくださり、思いに寄り添ってくださり、本当に感謝しております。
ありがとうございます。
百目鬼洋一さま
ご回答ありがとうございます。
『他の事に気を取られてお参りも供養の気持ちも上の空では、なかなか回向も難しいのではないでしょうか。 』
これは私もずっと思っていたことでありました。
祖母のためにと法要に出席したとて、母の非礼な立ち回りを目耳にし、心穏やかでいられることはありません。事実として葬儀では大変心を乱され常に「穏やかに祖母を見送りたいのに」と苛立ち怒り落胆し悲しく思っていましたから。同じことの繰り返しですよね。
法要には出席せず、落ち着いて穏やかに、私なりに祖母を偲ぼうと思います。
そして納骨された後でしたら母のいる家を訪れる必要もないですから、改めて手を合わせお参りに、祖母に会いに行こうと思います。