仏教はその目的の実践以外何もない(完)
有縁 (南伝 相応部経典 12.23. 縁)
前略
比丘たちよ、そのように、無明を条件として行がある。行を条件として識がある。(以下同書式)識→名色。名色→六処(中略)愛→取。取→生。生→苦。
(ここまでは十二支縁起と同じ)
(続けて)苦→信。信→悦。悦→喜。喜→軽安。軽安→楽。楽→三昧。三昧→如実知見。如実知見→厭離。厭離→離貪。離貪→解脱。解脱によって煩悩を滅尽したと知るのである。
後略
(私見)
ここでは解脱への縁起を示しています。
特に厭離→離貪。離貪→解脱が重要です。
ここから「厭離穢土 欣求浄土」が派出したのでしょうか?
特に「穢土」の認識が重要です。
生を享けたとき、その継続には空気、水、食料が最低必要です。
空気と水は、とりあえず容易に入手できますが、食料を得るのが至難です。
端的に言えば、他の動物と同じく誰もが一生食料を得るための生活に終始しているのです。
植物だけで生活している間は比較的平穏ですが、人口が増大して、安易な栄養摂取のため動物を摂取する知恵を知ると、醜い殺生が始まります。
特に人間は知恵が発達しているので、他人の食料を得る争いが始まり、人同士やがては国同士の殺生も加わります。
今まさに穢土です。
直接間接を問わず殺生なしに動物の食料は得られませんから、総てが「悪人」にならざるを得ません。
殺生を避けるために「精進料理」が工夫されたのでしょう。
動物の味を知った凡夫には「精進料理」だけでは到底耐えられません。
法華経に「現世安穏 後生善処」という言葉があるそうですから、私は不満を持たぬよう「安穏」を優先して、既に殺生を犯した悪人が今更と、来世の精進を願って目をつむっています。
現世が「穢土」であるという認識を持てば、先ずは前進ではないでしょうか?
以上が「滅びた釈迦仏教」の「真実の教え」てです。 (完)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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苦から信・・・解脱に行く流れは大乗仏教と関係があるような気はしますね。この教えが大乗仏教の生まれる縁の一つになったのか、または反対に、大乗仏教が生まれてからこの部分が追記されたのかは私には分かりませんが。
ともかく、できるだけ悪いことはせずに安穏に生きていきたいですね。
ちなみに苦から解脱に向かう流れの実践は六波羅蜜が合うと思いますよ。
質問者からのお礼
聖章 御住職様
ご指導を有難うございます。
同じ仏教ですから、大乗仏教に引き継がれた部分は多々あると思います。
確か北伝の阿含経もあったよな気がします。
僧侶の方は精進料理で、修行されておられるでしょうから解脱は近いでしょうが、衆生はたっぷり動物食を堪能していますので、何度目の四苦を経て解脱できるのでしょうか?
精進料理と言えば「徹子の部屋」で漫画家の藤子不二雄A氏が「私は僧侶の家で生まれたので精進料理で育ち、動物食のパーティなどの付き合いに苦労した」と話をしていました。
有難うございました。