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金儲け

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私はある地域の八十八ヶ所のお遍路をしていて、それをYouTubeで紹介しています。
あるお寺でYouTubeの事を話すと、金儲けのためにやっているなら撮らないでくれと言われました。
今までお寺を何十と回って来て、初めて言われた事なのでとてもショックを受けました。
もしかしたら私のしている事は、とても失礼な事だったのかと思い、この活動を今後続けて良いのか迷っています。
そのお寺の方は、話の中でNHKの番組の話をたくさんされていたのですが、例えばテレビ局がドキュメンタリー番組を作るのと、YouTubeで個人がドキュメンタリーを作るのと何か違いがあるのでしょうか?
仏教では、金儲けは悪なのでしょうか?

2023年6月26日 11:34

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

趣旨を誤解せず趣意を読み取り、ただ仏法、菩提心のために…✨

その寺の坊さんがどういう趣旨で言ったのかをここで勝手に想像してあれこれ論じても私どももその坊さんではありませんので正直真意は存じ上げません。
ですが、おおよそ、こういうことではないか?という推測でもうしあげるのであれば、お寺としても安易にYOUTUBE、YOUTUBEで勝手に紹介されても困るものがあるんじゃないでしょうか?肖像権の侵害だって言われる時代です。肖像権どころか敷地内をいつの間にか勝手に撮影して無許可アップの人たちだって沢山いるでしょう。あなたの家の外観、庭の中身、どこどこにこんなものが置いてあるという風にいつの間にかアップされていたらあなたもプライベートZONEやパーソナルスペースを脅かされるような気持にもなるのでは?師も以前、新聞でインタビューを受けられましたが、言ってもいないことや全然違う解釈をされて広められてしまったことがあるそうです。どうせ広めるならこういう形でというのがあるのに、まるで違う形にされてしまう。
あるいはお寺であれば、観光を目的としてほしくないお寺さんも存在します。
お寺に来る人たちの目的は人によって異なりましょうが、招かざる客は参拝客とは言えない面もあるといえばあるのです。
私も祖跡巡拝で中国のお寺に参拝に行きましたが、あちらの方々からすれば「何だあんたらは?」という風にみられた経験もあります。坊さん同士でだってそういうことがある。
そもそもお寺とは何のために建てられて何がどう広まることでよろこばしくなるのか?それに準ずるYOUTUBERがどれだけいるのか?菩提心とは何ぞや?
私もかつてお寺系のバラエティ番組に出たことがありますが、違和感を覚えて関わるのをやめました。何と言いましょうか。自己実現欲求みたいな心理が仏教や仏教の布教活動よりも優先されている心理があるような。あなたもYOUTUBE配信・宣伝をしながらそういう心理に思い当たるところはありませんかね?何のために?その坊さんはそこんところを指摘してくださったんじゃないでしょうか?
冷静に考えればあなたに「金儲けをするな」という趣旨で言ったわけではないことぐらいは想像がつくでしょう。
お寺にはお寺の王道、本道、第一優先とすべき形がある。それとはちょっと異なる形で違うことをされしてしまうとお寺の本来のありかたからズレて困ってしまう方にも配慮は大切です。ただ菩提心のために。GJを✨

2023年6月26日 15:45
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

各お寺の運営方針

仏教的には、お金儲け自体を悪とは考えません。
もちろん、内容によっては避けるべき仕事もありますが。
今回の件は、仏教的にどうのこうのの話ではなく、あくまでそのお寺の運営方針の話でしょうね。
取材お断りの頑固オヤジのラーメン屋とか、基本的には営利企業には貸し出していない市立体育館(公共施設)とかのように、それぞれの所有者の考えに従うしかありません。
また、信仰の場ですから、撮影禁止エリアがあるお寺は珍しくありません。
NHKとはは例外的に許可したけど、誰もがれもOKじゃないという場合はあるでしょうね。

2023年6月26日 12:55
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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