hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分を認めてほしいという気持ち

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

どうしたら自分を認めてほしいという気持ちをなくせますか

自分の良いところが無くていつも強がってひねくれて人と親しくなれず寂しくなります。

誰を見ても自分より優れているとしか感じられず辛いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分で自分を認められないと最終的に自信にならない

Qどうしたら自分を認めてほしいという気持ちをなくせますか?
A他人に認めてもらいたいのならば、誰に何を認めてもらいたいのかを明確にいたしましょう。
例:「オレはこの仕事を専一にやり続けて、〇〇さんから認めてもらうぞ」
ですが、最終的には、自分で自分に安心ができなければ、他人の評価に翻弄される事となります。わたしは別に特別な能力がある訳ではありません。
ですが、自分に満足、知足、この程度だと思っていて幸せです。
他に立派な和尚さんたちがワンサカいますが、自分ができる事は、自分の持ち味を生かすことだけだと思っています。

Q自分の良いところが無くていつも強がってひねくれて人と親しくなれず寂しくなります。
A自分の持ち味のそれが良いかどうかは、自分が決めることではない。

べらべらしゃべる男子よりも寡黙な男の方が女子ウケする場合だってあります。
良いところが無いというのは、自分の持ち味を生かせる場所や機会に恵まれていないというだけの事。
物事の本質は、良いも悪いも無い。
それを「活用する力」「活かし用い得る力」を身につければよいのです。
○○が得意、好きなら、それをサクサクこなせるのが、能力、良い所、有用なところ。
それを必要とする処で、大いに活用することです。(^<^)

Q誰を見ても自分より優れているとしか感じられず辛いです
Aそれは比較をしているからです。他人に目が向いているのです。
人生一生これから先も自分のことしかありません。
他人が優れて観えるのは、その一点、その一種目、その一能力においてのみです。
トータルでそこそこできる人もいますが、努力で手に入るものです。
優れる事が人生の最終目的ではありません。
幸せになる事こそが、人間個人の最高の能力です。
能力があって、金持ちになっても、幸せにならない人はワンサカいます。
あなたはもっとそのままの自分を好きになって、人の評価の詮なきことを悟り、自分を生きる事です。あなたがもし千葉の小松菜なら、他の花をうらやまず、粉になって小松菜うどんになるもより、小松菜ハイボールになるもよし、おひたしになるもよし、自分にしかできない事をやることです。花はきれいでも食べられません。小松菜は命を活かす素晴らしい働きがあるのです。自分の好きなことを深めましょう。

16
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

縁起的存在

sakumadai様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

どうしても私たちは他とあれこれと比べてしまっては、一喜一憂して、「慢」による悪い煩悩によって苦しんでしまうことになってしまいます・・

これまでにも、「比べてしまうこと」や「自己嫌悪に陥ってしまうこと」につきましては、下記の各問いにてもお答えさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_320135.html

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自己嫌悪

ここからは、上記の各問いにおける拙生の回答を参考にして頂いた上となりますが、とにかく、私たちは様々な関係性に依存しないと生きていけない存在でございます。仏教的には「縁起」的な存在と申しますが、sakumadai様も、ただ一人で生きていけるような存在ではなく、多くの周りにおける支え、分かち、助けの中において存在できている次第となります。

そのため、このような世界の中で、例えば、俺が俺がとなって、自分さえ良ければいいと、我を出して自己中心的に、独り善がりに生きてしまうようでは、とても周りと協調できることもなく、孤立してしまうのも必然なことになってしまいます。

そこで、自分は様々な支えや助けにより生きていくことができている、そのことへの感謝の心、報恩の心を養うことが、少しくでもこの度の問いへの答えとなるのではないかと存じております。

是非、この機会に自分を認めてほしいと思うことから少し離れて、自分の今ある存在の無数の支えや助けになっている存在へと目を向けられて、思いを馳せて頂けましたらと存じます。そこから少しこの世界の見方も若干だけでも変わってくるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

3
有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ