人は優しくなくなったのでしょうか。
最近の状況とか、ニュースだけではなくて、
人は優しくなくなってしまったのでしょうか。
学校では、
わからないことを聞いているのに「そんなこともわからないなら特別支援学級に行きな」と言う先生がいると、
学校に行きたくないと感じて登校を渋っていると「わざわざ迎えに来てあげたのに、行かないってどういうこと」という養護教諭がいると、
勉強が苦手で、それでも一生懸命調べて宿題を提出したのに「答え教えてもらってんでしょう」という担任がいると言い、
子ども達は学校どころか大人を信じてくれなくなっています。
生活支援を受けながら病院に行って、病気ではないかと不安に感じている患者に「気のせいだからなんともないけど、そんなに薬飲んでどうすんの?タダだから?」という医者。
うつ病を患い不安で一人でいられない人に「甘えてんでしょう。なんでも一人でやっていかないと」という精神科医。
勇気を振り絞って助けてほしいと相談の扉を叩いてくる人に、「そのくらい自分で何とかできないもんなの?」という相談員。
それなら誰にも頼ってはいけないんですか。と、泣いている人がいます。
他人の少しのミスや問題を晒しあげて騒ぐのは、みんな。
相手のうれしい事を共に喜べず、妬んで陰口を言うのは、みんな。
寛容になれないのは何のせいですか。
そんな私も、それらが目に付いているという事は、優しくないのでしょうか。
優しさとは、何でしょう。
「相手の立場を鑑みて、許すこと・労わる事」と感じています。
それも、みんなは考えないのでしょうか。
いちいち考える私は、何でしょうか。
時には厳しい言葉も必要な時もあるのはわかります。
しかしながら、開口一番、関係性も希薄なうちに、そんな言葉を投げかけて、
傷つかないんだろうか。とか思わないんでしょうか。
それとも、そんなに偉いんですか。
先生と呼ばれる者は、相談員・支援員は、そんなに偉いんですか。
他人を否定していいほど。
そうはなりたくないという戒めも込めて、
人は優しくなくなったのでしょうか。
どうか、お言葉をお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
答えになるかどうか分かりませんが、
『みんな苦労はしているんだから、
そんな苦労は乗り越えられるだろう』『自分は出来たんだから
誰でも出来るだろう』
政治家や大きなお寺の跡継ぎ、それに
いわゆる『先生』と言われる人たちの
多くの考えにはそんな考えがあるのではないでしょうか。
自分が恵まれた環境にいること、
実力の中にも運があったことを忘れ、
自らの努力だけで今ここにいる、
地位に立っていると
思い込んでしまっている。
その結果、自分の言っていることは
全く間違っていない。となり、
人のことが見えなくなってしまうのではないでしょうか。
『今、目の前にいるその人は自分とは
違う環境に生まれ、違う状況を
生きてきた。だからこそ、
自分の価値観だけで
判断してはいけない』
その前提を持たなければ人は
傲慢になり、他人を顧みなくなるのではないでしょうか。
最後に、私の師のお一人が言われた言葉を記しておきます。
『自分の凡夫性に気づかないものは
他人の凡夫性を許せない』
◎凡夫性)自分がただの人だという意識
慈しみの心
さまに 様
「あたかも、母が己が独り子を、命を賭しても守護するがごとく、一切の生けるものに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に下にまた横に、障礙なき敵意なき、慈しみを行うべし。立ちつつも歩みつつも座しつつも臥しつつも、睡眠を離れたる限りはこの心遣いを確立せしむべし。この中においては、この状態を崇高な境地と呼ぶ」
上記はお釈迦様の言葉です。
確かに現代は「慈しみ」のこころが失われつつあるのではないかと思います。
でも、お釈迦様が「崇高な境地」と説いておられます。コツコツと「慈しみの心」「優しい心」を育てていかないといけないと思います。
どうか一緒に育てていきましょう。
心無い言葉に、意識が行って感情が左右されそうですが、「慈しみの心」が誰にでもある。その種があると思って、自分も他人もその心を育てていくように、心がけていきましょう。
一礼
自分に優しく。NPとFCの内部交流に変える
さまに様、はじめまして!
日々のお仕事、お疲れ様でございます。私も刑務所や失業中の方々がいる施設におりましたので、似ている環境かも知れません。ご苦労をお察しします。
>学校では、わからないことを聞いているのに「そんなこともわからないなら特別支援学級に行きな」と言う先生がいる。
これらは差別的な表現で、教育委員会などに報告をしても良い案件かと思われます。相談内容に酷い人たちが列挙されているのですが、私が気になったのは「人は…」「みんな…」の言葉です。みんなと言われると「全員が?」と思ってしまいます。100人いたら100人全員が妬んで陰口を言う…。自然に考えて、中には優しい人も数人は、もしかしたらそれ以上はいるのではないかな?と思うのです。
さまに様が其の道のプロなので専門用語で書かせて頂きます。申し訳ございません。
さまに様は今、かなりのストレスがありますよね。
それはエゴグラムのACとCPが高く、Aのアダルトが下がったV型。全体を俯瞰して観ることも難しい気がしたからです。それぐらいお疲れで、頑張り過ぎて緊張しています。
酷い事を言う先生は実際いますよね。そして、その怒りもありながらも「どうしてそんなことを言うんですか?これ以上言わないでください!!傷付けないでください」と伝え返せないご自身にも怒り、もどかしさ、イライラがある気がするのです。自分を責めている。
ご存知の通りCPは厳しい父親のようで「優しくするべき!優しくしなければならない!!」と怒りや正義感が出やすいです。ACは真面目で萎縮して「出来ない、無理ー」と反応する。これは不登校の子と同じ「学校には絶対に行かなきゃ!」「やっぱり行けなかった、僕は生きる価値もない」悪い悪いの無限ループです。
そのループを優しく、緩く、温かく、自由な心地良い内部交流に変える。NPとFCにする。
「学校、行けなかったなー」「あら、そうなの?行こうとしただけでも偉いじゃない?自分を褒めようよ」「そうだよね。完璧じゃなくてもいい。行ける時に行けばいいさ」「アハハ、テキトーだねぇ笑」
こんな漫画のようなほのぼのした環境からの方が笑い声が聞こえませんか?
今、何を感じていますか?
今、何に気づきましたか?
どうなりたいですか?
先ずは自分を大切に。
さまに様ががんばっていることは真っ先に仏様がお見通しですよ。